第14章 七夕の短冊はデスノートより危険な契約書
1.笹の葉さらさら、欲望ぎらぎら
梅雨が明け、ジメジメした空気が嘘のような晴天が続く7月7日。
今日は七夕だ。
学校の中庭には、立派な笹が数本飾られ、生徒たちが色とりどりの短冊に願い事を書いて吊るしている。
「『テストでいい点が取れますように』……ふん、凡人の願いだな」
俺、鷹井順は、その光景を冷ややかな目で見つめていた。
俺の願いはただ一つ。『平穏な日常と、二次元への没入』。それだけだ。
だが、この学校において、その願いが最もハードルが高いことを俺は知っている。
「順くーん! 一緒に短冊書こー!」
「ご主人様、筆ペンを持参しましたわ。血判状にしましょうか?」
案の定、相沢里奈と白樺乃愛が現れた。
里奈はピンク色の短冊を、乃愛は漆黒の短冊(どこに売ってるんだ)を手にしている。
「俺はいいよ。書くことないし」
「えー、つまんない! じゃあ私が順の分も書いてあげる!」
里奈が勝手に俺の名前で短冊を書き始めた。
『順と里奈がずっとラブラブでいられますように 鷹井順』
偽造だ! 署名偽造だ!
「あら、甘いわね。願い事というのは、もっと具体的に、かつ強制力を持たせるべきよ」
乃愛が黒い短冊に達筆で書き殴る。
『鷹井順のDNA情報を恒久的に保存し、私との子孫繁栄にのみ使用される権利を独占できますように』
怖い! それは願い事じゃなくて契約書だ! 悪魔との契約書だ!
二人が笹に短冊を結びつけようと争っている隙に、俺はこっそり逃げようとした。
その時、ポケットのスマホが振動した。
『季節イベント検知:七夕』
『特別機能解放:【願いの強制成就】』
『効果:アプリのカメラで撮影した短冊の願いを、物理法則を無視して即座に叶えます(ただし解釈はAI任せ)』
『制限:一日一回限定』
……おいおい。
マジかよ。デスノートならぬウィッシュノートか。
こんな危険な機能、絶対に使ってはいけない。
特に、あの二人の短冊を読み込んだら世界が終わる。
俺はスマホを深くポケットに押し込み、その場を離れようとした。
2.風紀委員長の切実な願い
昼休み。
俺は屋上の給水塔の陰でパンを齧っていた。
ここなら誰も来ないはず――
「……はぁ。どうしてうまくいかないのかしら」
ため息が聞こえた。
フェンスの向こう側、風紀委員長の鉄輪カンナ先輩が、一人で空を見上げていた。
手には水色の短冊を持っている。
「『もっと素直になれますように』……なんて、キャラじゃないわよね」
先輩が自嘲気味に呟く。
意外だ。あの鉄の女が、そんな乙女チックな悩みを抱えていたとは。
普段は厳格な風紀委員長だが、アプリの影響で幼児退行したり、俺に甘えたりする自分に戸惑っているのかもしれない。
ちょっと可哀想になった。
俺のせいで人生狂わせてるわけだし、せめてこのくらいの可愛い願いなら、叶えてあげてもいいんじゃないか?
『もっと素直に』なら、害はないはずだ。
俺は魔が差した。
フェンス越しに、こっそりとスマホを構える。
カメラを先輩の短冊に向け、ズーム。
『実行』ボタンをタップ。
ピロン♪
『認識完了:【もっと素直になれますように】』
『解釈:対象の理性リミッターを解除し、本能全開モードへ移行させます』
――え?
解釈が極端すぎるだろAI!
ブォン!
先輩の体から、目に見えるオーラ(ピンク色)が噴き出した。
眼鏡がパリーンと割れ落ちる(イメージ)。
先輩がゆっくりと振り返った。その瞳は、猛獣のようにギラギラと輝いている。
「……見つけた」
低い声。
素直になりすぎた結果、普段の理性が完全に消滅し、「欲望の化身」と化してしまったのだ!
「順くん……そこにいたのね。……食べたかったの」
「えっ、パンですか? あげますよ」
「ううん。……順くんを、頭から丸ごと♥」
ダッ!
先輩がフェンスを飛び越えた! オリンピック選手並みの跳躍力だ!
「ひぃぃぃ!?」
俺は食べかけのパンを投げ捨てて逃げ出した。
素直ってそういう意味じゃない!
3.織姫と彦星の逃走劇
校舎内を逃げ回る俺。
背後からは「待てー! 捕食するぞー!」という先輩の野性的な咆哮が聞こえる。
廊下の生徒たちが悲鳴を上げて道を開ける。モーゼの再来だ。
角を曲がったところで、ドンッ! と誰かにぶつかった。
「きゃっ!」
「ぐおっ!」
白樺乃愛だ。彼女の手には、まだあの黒い短冊が握られている。
「ご主人様!? なぜそんなに慌てて……」
「逃げろ乃愛! 野獣が出た!」
「野獣……? あら、カンナさん?」
廊下の向こうから、四つん這いで(高速ハイハイで)迫りくる鉄輪先輩の姿が見えた。
スカートの中が見えそうだが、そんなこと言ってる場合じゃない。速すぎる!
「……面白いわね。受けて立つわ」
乃愛がスッと前に出た。
彼女は黒い短冊を構え、まるで呪符のように突き出した。
「この願い……今こそ叶える時!」
「やめろ! それを使ったら世界が終わる!」
しかし、乃愛の気迫に反応したのか、俺のスマホが勝手に誤作動を起こした。
ポケットの中で『願いの強制成就』が再起動してしまったのだ!
ピロン♪
『認識完了(二回目・エラー無視):【DNA情報の独占】』
『解釈:対象(主人公)を物理的に圧縮し、小瓶サイズに格納します』
シュゥゥゥン……。
俺の視界が急激に高くなった。いや、俺が小さくなったのだ!
体がみるみる縮み、手のひらサイズのスモールライト状態に!
「えっ? 順くん?」
「ご主人様……ちっちゃくて可愛い……!」
乃愛が床に落ちたミニ・俺を拾い上げる。
俺のサイズはハムスターくらいだ。
これなら確かに「独占」も「保存」も容易だ。ふざけんな!
「ふふふ……これならポケットに入れて、いつでも一緒ね」
乃愛が俺を胸のポケットに入れようとしたその時。
ガブッ!
「痛っ!?」
鉄輪先輩が乃愛の手首に噛み付いた!
野獣モードの先輩は、獲物(俺)を奪われまいと必死だ。
「よこせ……それは私のエサだ……」
「離しなさいこの狂犬!」
俺は乃愛の手から弾き飛ばされ、空を舞った。
スローモーションで流れる景色。
下には硬い床。
死ぬ! ミニサイズのまま潰れる!
バサッ!
柔らかい何かに受け止められた。
甘い匂い。
見上げると、そこには巨大な相沢里奈の顔があった。
「あ、順ゲットー☆」
里奈がナイスキャッチしてくれたのだ。
彼女は俺を両手で包み込み、頬ずりをした。
「ちっちゃい順、超可愛いー! このままフィギュアにして飾っちゃおっか?」
「喋れるのかこれ? ……助けてくれ里奈! 元に戻してくれ!」
俺の悲鳴は、蚊の鳴くような声にしかならない。
4.天の川は涙色
その後、俺を巡って三つ巴の争奪戦(バスケの試合みたいなもの)が繰り広げられた。
最終的に、俺は生徒指導の先生に見つかり、「校内でハムスターを飼育するな」と没収されそうになったところで、アプリの時間制限が切れて元のサイズに戻った。
ボロンッ! と巨大化した俺が、先生の目の前に現れる。
先生は腰を抜かし、俺たちはその隙に逃げ出した。
放課後。
夕暮れの屋上で、俺たち四人はボロボロになって並んでいた。
鉄輪先輩は正気に戻り、「私、また何かやっちゃいましたか……?」と記憶喪失パターンで頭を抱えている。
乃愛と里奈は、お互いの服についた汚れを払い合っている。
「……七夕なんて、二度とやらない」
俺が呟くと、乃愛がクスリと笑った。
「でも、願い事は叶わなかったわね。残念」
「私の短冊もどっか行っちゃったしー」
「……私の『素直になりたい』は、どうなったのかしら?」
先輩が首を傾げる。
俺は心の中で土下座した。あの野獣化は墓場まで持っていこう。
ふと空を見上げると、一番星が光っていた。
俺は心の中で、今日一番の願いを唱えた。
『来年の七夕は、一人で静かに過ごせますように』
スマホが小さく震え、画面に文字が表示された。
『来年の予約を受け付けました』
『手数料:来年もヒロインが増えること』
キャンセルだ! 今すぐキャンセルだ!
俺の悲痛な叫びは、天の川に届くこともなく消えていった。




