第12章 勉強会は甘い誘惑と赤点回避のデスゲーム
1.赤点フラグと悪魔のささやき
中間テスト一週間前。
放課後の教室は、いつもと違うピリピリとした空気に包まれていた。
だが、俺、鷹井順にとっては、それは死刑執行のカウントダウンに等しい。
「……やばい。数学と物理、完全に終わってる」
俺は模試の結果を見つめ、絶望していた。
最近、アプリのせいでトラブル続きだったため、勉強時間がゼロに等しい。
このままでは赤点確実。そして赤点を取れば、夏休みの補習地獄が確定し、俺の「夏休み二次元没頭計画」が破綻する。
頭を抱える俺のスマホが、空気を読まずにピロン♪ と鳴った。
『新機能実装:【天才脳インストール(期間限定トライアル)】』
『効果:指定した教科の知識を、周囲の「頭のいい人」の脳波と同期して一時的にコピーします』
『副作用:知識だけでなく、その人の「性格」や「癖」も少し移ります』
……怪しい。怪しすぎる。
だが、今の俺に選択肢はない。赤点回避のためなら悪魔に魂を売ってもいい(すでにアプリという悪魔と契約しているが)。
「よし、使ってみるか」
俺はアプリを起動し、『数学』を選択。ターゲットを探す。
クラスで一番頭がいいのは――
「ご主人様? 何かお困り?」
白樺乃愛だ。
学年トップの成績優秀者。才色兼備の完璧超人。性格以外はパーフェクトな素材だ。
「あ、いや、ちょっと数学がわからなくて……」
「あら、それなら私が教えてあげるわ。……個人レッスンで、ね?」
乃愛が妖艶に微笑む。
普通に教えてもらうと、絶対に変な条件(正解するたびにご褒美キスとか)をつけられる。
俺はこっそりスマホを乃愛に向け、『インストール』ボタンを押した。
ブウン……。
脳内で何かが繋がる感覚。
『同期完了:白樺乃愛の数学知識をダウンロード中』
次の瞬間。
俺の視界にある数式が、急に輝いて見えた。
わかる。解けるぞ! 微分も積分も、まるでパズルのように簡単だ!
「ふふっ……愚民どもが。この程度の数式に手こずるとは、滑稽ね」
「え?」
俺の口から、勝手に高飛車な言葉が飛び出した。
俺はハッとして口を押さえた。
副作用だ! 乃愛の「お嬢様気質(高慢ちき)」が移ってしまった!
2.図書館での性格崩壊
俺は逃げるように図書室へ向かった。
まずは自習だ。この力を使いこなさなければ。
図書室の机にテキストを広げる。スラスラと解ける。気持ちいい。
そこに、相沢里奈がやってきた。
「あ、順だ! 奇遇だね、私も勉強しに来たんだ。隣いい?」
「……許可する。ただし、私の半径50センチ以内に汚らわしい吐息をかけないことだ」
言ってしまった。
里奈が目を丸くする。
「は? 何そのキャラ。順、なんか変だよ?」
「変? フフッ、貴様のような凡人には理解できない高み(ハイ・ソサエティ)にいるだけよ」
俺は足を組み、ペンを優雅に回しながら里奈を見下ろした。
中身は俺なのに、言動が完全に乃愛だ。
「……なにそれ、ムカつく! でも……なんかゾクッとするかも」
「えっ」
里奈が頬を染めて身を乗り出してきた。
彼女はMっ気があったのか? それとも単に「ドSな順」という新ジャンルに開拓されたのか?
「ねえ順、もっと罵って? 『この偏差値40のメス豚が』って言って?」
「言わん! ……いや、言いたくないが口が勝手に……この低脳が!」
「あんっ♥」
カオスだ。
図書委員の山田さんが「静かにしてください!」と飛んできた。
俺はとっさに謝ろうとしたが、
「お黙りなさい。貴女こそ、私の集中を乱す雑音よ」
山田さんまで罵倒してしまった!
山田さんが涙目になって走り去る。
俺の社会的地位がまた一つ崩れ去った。
3.文系科目の悲劇と鉄輪先輩
数学はなんとかなったが、次は古文だ。
乃愛の知識(と高慢な性格)を解除し、別のターゲットを探す。
文系に強いのは……そうだ、鉄輪カンナ先輩だ。彼女は風紀委員長として法令や古典にも詳しいはず。
俺は図書室の奥にいた鉄輪先輩を見つけ、こっそり『インストール』した。
ターゲット変更:鉄輪カンナ(古文モード)。
『同期完了』
頭の中が切り替わる。
和歌の心が流れ込んでくる。いとをかし。
「鷹井くん? ここで何をしているの?」
「あ、先輩。……いと恐縮ながら、学問の道に励んでおり侍る」
口調がおかしい!
平安貴族かよ!
「あら、殊勝な心がけね。……でも、その手つき、少し乱れているわよ?」
先輩が俺の手元を覗き込んでくる。
距離が近い。先輩の洗剤の香りがする。
その時、俺の中の「鉄輪カンナ成分」が暴走した。
先輩の「隠れ変態性」までコピーしてしまったのだ。
「先輩……その、おみ足が……いと扇情的く候」
「はあ!?」
俺の視線が、先輩のスカートの裾に釘付けになる。
いけない。普段の先輩が抑圧している「性的好奇心」が、俺のフィルターを通すとストレートな欲望として出力されてしまう!
「何を見ているの! 不潔よ!」
「不潔にあらず! これぞ『あはれ』なり! 先輩の太ももは国宝級の曲線美にて……」
俺は無意識に先輩の手を握り、熱弁を振るっていた。
先輩の顔が真っ赤になる。
「な、何を……でも、そんなに褒められると……悪くないかも……」
「いざ、共寝(同衾)せん!」
「それはダメぇぇぇ!!」
パコーン!
図書室に、辞書で殴られた音が響いた。
4.多重人格勉強会
放課後。
俺は乃愛、里奈、そしてなぜか顔を赤らめたままついてきた鉄輪先輩の三人に囲まれ、教室で「合同勉強会」を開催することになってしまった。
俺の脳内はぐちゃぐちゃだ。
数学を解くときは「高飛車お嬢様(乃愛)」。
英語を解くときは「軽いギャル(里奈)」。
古文を解くときは「ムッツリスケベ(カンナ)」。
コロコロ変わる俺の人格に、ヒロインたちも困惑しつつ、なぜか楽しんでいる。
「順、この英単語の意味教えて?」
「あー? マジ簡単じゃん? 『Love』っしょ? ウチらのことじゃん、ウケるー!」
「……順くん、キャラ崩壊しすぎじゃない?」
「次は数学ですわ。……相沢さん、この計算ミス、恥を知りなさい」
「ひぃん! ごめんなさい女王様!」
「いとあはれな夕暮れ……皆様のうなじが眩しく候……」
「きゃっ! 鷹井くん、どこ見てるの!」
俺は多重人格のまま、必死にペンを動かし続けた。
知識は入ってくる。確かに勉強は捗っている。
だが、俺のアイデンティティが崩壊していく。
そして、ついにオーバーヒートした。
『警告:複数人の人格データの混線により、システムエラーが発生』
『全人格統合モード(キメラ)に移行します』
ブツンッ!
俺の中で、何かが弾けた。
「……あんですってー!? マジでお嬢様がいとエモく候だわよ!?」
全員の口調が混ざった!
「順……大丈夫?」
「大丈夫じゃないわよ! 雑種(メス豚)ども! マジでハグして癒やしてたもれ!」
俺は錯乱状態で三人に抱きつこうとした。
三方向からのハグ。
普通ならハーレムだが、今の俺は「高慢でギャルでムッツリな平安貴族」という妖怪だ。
「きゃあああ! キモい!」
「順、しっかりして!」
「除霊! 塩を持ってきて!」
三人は悲鳴を上げて教室から逃げ出した。
残されたのは、俺と、散乱したノートだけ。
俺は机に突っ伏した。
テスト勉強は終わった。
ある意味、孤独を取り戻すことには成功したかもしれない。
だが、俺の人間としての尊厳は、赤点よりも低い評価になったに違いない。
窓の外では、カラスが「アホゥ」と鳴いていた。
アプリの通知画面には、
『学習完了:テスト頑張ってくださいね(ハート)』
という煽り文句が表示されていた。
俺はスマホをペンケースに封印し、二度と勉強にアプリは使わないと心に誓った。
……まあ、次のトラブルが起きるまでの、短い誓いだが。




