09.接触
コスモ・ボールルームの熱気は、時間の経過とともに高まっていた。カケルとミリアムは、アダム・クロスの一団から視線を離さず、ゆっくりと会場の奥、噴水のあるアートスペースへと近づいていく。周囲の客たちは、グラスを片手に談笑し、芸術作品を鑑賞するふりをしているが、カケルとミリアムの視線は獲物を捉えて離さない鷹のようだった。
「ノア、聞こえているか?ターゲットの一団が、今、会場中央のアートスペースへと向かっている。ミリアムが捉えた『音』の発生源に近づいているようだ」
カケルは、インカムに極小の声で報告した。隣を歩くミリアムは、深いブルーのドレスの裾を翻しながら、あたかも有名なアーティストの作品に夢中な令嬢のように振る舞っている。その瞳は、アート作品ではなく、人混みの奥にいるアダム・クロスとその秘書、そして件の「堅苦しい男」の動きを追っていた。
「クリアに聞こえる。こちらのシステムも、秘匿通信の信号がそのエリアで急激に強まっていることを確認した。どうやら、取引の準備を始めたようだな」
ノアの声が、二人の耳に直接響く。カケルは、ミリアムの手を握り、アートスペースに設置された煌びやかな噴水の前に立ち止まった。噴水の水が光を反射し、色とりどりの光が周囲を照らす。人々が記念写真を撮るために集まり、ささやかな人混みができていた。
「ノア、コレクターの秘書が、例の堅苦しい男と接触したわ」
ミリアムが、緊張した声でインカムに囁いた。カケルも視線を動かす。確かに、アダム・クロスの隣にいた若い秘書が、自然な笑顔を浮かべながら、堅苦しい男に近づき、親しげに言葉を交わし始めたのだ。彼らは、まるでビジネスパートナーとして、何気ない会話を楽しんでいるように見える。しかし、カケルの直感は、それが偽装であることを告げていた。
「秘書の左手が、男の右手に触れた。一瞬だけ、何かが渡されたような気がする……」
ミリアムの空間認識能力と、彼女の並外れた観察眼が、視認できるかどうかのギリギリの動きを捉えたのだ。しかし、二人の手元は、人々の流れと、噴水の水しぶきによって、完全に隠されていた。
ノアの声が、冷静に告げる。
「残念ながら、監視カメラはその瞬間を明確には捉えられなかった。だが、その接触と同時に、秘匿通信の信号が一時的にピークに達し、直後にわずかに減衰した。おそらく、情報データの受け渡しが行われたのだろう」
「情報データ、ということは、まだ麻薬そのものではない、ということか?」
カケルが確認した。
「ああ。まだ最終段階ではない。彼らは互いの身分を明かし、最終的な取引場所や時間を確認したのだろう。麻薬本体の受け渡しは、おそらく別の場所で行われる。ミリアム、その『音』は今、どうなっている?」
ノアの問いかけに、ミリアムは再び目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませた。
「『音』はね……堅苦しい男の近くで、まだ強く響いてる。だけど、彼が移動しようとしているわ……会場の隅の方へ」
ミリアムの言葉を聞き、カケルはすぐに次の行動を指示した。
「ノア、その男の動きを追跡しろ。ミリアムはその『音』を追って、その男がどこへ向かうか、正確に特定してくれ。僕たちは、引き続き二人の動きを監視する」
カケルは、ミリアムと顔を見合わせ、再びパーティを楽しむカップルを装って、堅苦しい男が向かう方向へと、ゆっくりと足を向け始めた。華やかな照明と喧騒の中、彼らは見えない糸で繋がれた獲物を、着実に追い詰めていた。




