02.夜の帰還
リュミエールを包む陽光が、ゆっくりと茜色に染まり始めた頃、ルナ・パレス駅の喧騒も少しずつ落ち着きを見せていた。観光客は煌びやかなナイトショーへと向かい、日中の賑わいは、心地よい夕暮れのざわめきへと変わっていく。
しかし、駅の裏側、地下貨物エリアの主任室では、イヴァンが疲労の色を隠せない顔で、ぶっきらぼうに日報を提出していた。
「今日の作業は以上だ。派遣、お疲れさん」
主任の声に、イヴァンは無言で頷き、汗で少し湿った作業着を脱いだ。その肩には、日中の重労働の跡がはっきりと残っている。彼の表情は相変わらず無愛想だったが、その瞳の奥には、日中の観察で得られたであろう情報が渦巻いているように見えた。
時を同じくして、高級レストラン「エトワール」でも、ディナータイムのピークが過ぎ去ろうとしていた。エミリーは、最後の客を見送りながら、丁寧にテーブルを整えていく。彼女の動きは、朝と同じく洗練されていて無駄がない。
「エミリーさん、お疲れ様です。今日のホールも完璧でしたよ」
同僚のウェイターが労いの言葉をかけると、エミリーは小さく微笑んだ。その日一日、彼女の観察眼が捉えた無数の情報が、静かにその聡明な頭脳に蓄積されている。バックヤードへと下がっていく彼女の背中は、まるで日中の出来事を全て記憶したコンピューターのようだった。
そして、ルナ・パレス駅の広大なコンコース。高校生カップルに扮していたカケルとミリアムは、人波に紛れて駅の出口へと向かっていた。ミリアムは、最後のクレープを食べ終え、満足げにカケルの腕に絡みつく。
「ねぇ、カケル、明日はどこのアトラクションに行こうか?」
「そうだな……」
カケルは、夕焼けに染まる駅のガラス天井を見上げながら、どこか遠くを見るような目をしていた。彼の表情は、一日の観光を楽しんだ少年とは少し違っていた。ミリアムもまた、カケルの隣で無邪気な笑顔を浮かべながらも、その瞳の奥には、日中に感知したであろう微細な情報が、鮮明に焼き付いているようだった。二人は、駅の出口を抜けると、そのままタクシーに乗り込み、賑やかな大通りを走り去っていった。
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しばらくして、リュミエール市街の商業ビルの一室。ノアが鎮座する隠れ家のドアが、電子音と共に開いた。最初に入ってきたのは、ラフな私服に着替えたイヴァンだった。彼は大きな体をそのままソファーに沈め、ため息をつく。
「くそ、腰が砕けそうだぜ。あんな肉体労働、やってられるか」
その言葉に、ノアはモニターから視線を離さないものの、「お疲れさん、飲み物冷えてるよ」と出迎えた。
次に、エミリーが静かに部屋に入ってきた。彼女はレストランの制服から着替えて、普段の落ち着いた服装に戻っている。テーブルにつき、手にしたタブレットに何かを入力し始めた。
「ご苦労様、エミリー。何か気になったことでもあったか?」
ノアの問いかけに、エミリーはタブレットから顔を上げ、静かに言った。
「ええ。ホールの特定の個室で、短時間の間に客が二度入れ替わった。どちらも観光客には見えなかったわ」
ノアは頷き、その情報を頭にインプットする。
最後に、カケルとミリアムが部屋へと入ってきた。ミリアムはすぐにイヴァンに駆け寄り、その肩を叩いた。
「イヴァン、お疲れ様!倉庫のおじさん、似合ってたよ!」
「うるせぇ、ミリアム。お前らも、デートごっこお疲れさん」
イヴァンは相変わらずぶっきらぼうだが、その表情にはどこか安堵の色が浮かんでいる。カケルは、部屋の奥でモニターを見つめるノアに視線を向けた。
「ノア、今日の状況はどうだった?」
カケルの問いかけに、ノアはようやくモニターから顔を上げた。彼の瞳は、日中と変わらず、しかし何らかの確信を宿した光を放っていた。
「ああ、面白いデータが取れてる。イヴァンが言ってた倉庫の貨物リスト、あれ、いくつか不自然な記載があった。エミリーの言う個室の回転率も異常だ。ミリアム、お前、何か感じたか?」
ノアはミリアムにも直接問いかける。ミリアムは頷いた。
「うん!特定のフロアで、なんだか変な"音"がしてたの。すごく小さくて、普通の人には聞こえないような。多分、あれは組織の通信だと思う」
「だろうな。カケル、全体の状況は?」
ノアがカケルに視線を戻す。部屋には、彼らが持ち帰ったそれぞれの情報が、静かに、しかし確実に集積されていく。夜の帳が降りたリュミエールで、彼らの本当の「仕事」が、これから始まろうとしていた。




