13.囚われのミリアム
冷たく、湿った空気がミリアムの頬を撫でた。
意識が朦朧とする中、彼女の頭の中には、あの耳鳴りのような、脳を直接叩くような「音」の残響がこだましていた。
瞼を開くと、視界に飛び込んできたのは、薄暗い部屋の天井と、金属の臭い。両腕と両足は、特殊な拘束具でベッドに固定され、身動き一つ取れない。
「……カケル……みんな……」
か細い声が、虚しく響いた。自分の身に何が起こったのか、朧げながらも理解できた。あの妨害音波。そして、襲いかかってきた影。任務は失敗し、自分は捕らえられたのだ。
どれくらいの時間が経ったのだろう。数分か、それとも数時間か。時間の感覚が曖昧なまま、部屋の隅の重い扉が、ゆっくりと開いた。
その扉の向こうに立っていたのは、見慣れた顔――『コレクター』こと、アダム・クロスだった。
彼は、パーティの時と同じ、仕立ての良いスーツを身につけていた。その顔には、勝利の余裕と、ある種の好奇心が浮かんでいる。彼の背後には、二人の屈強な警護員が控えていた。
アダム・クロスは、ミリアムが拘束されているベッドの傍に歩み寄り、静かに見下ろした。その瞳の奥には、冷徹な計算と、ある種の知性が宿る。
「目が覚めたようだね、GRSIのエージェントさん」
コレクターの言葉に、ミリアムの体が微かに震えた。やはり、自分たちの正体はバレていたのだ。
「残念だよ。せっかくのパーティを台無しにしてくれた」
コレクターは、皮肉めいた笑みを浮かべた。しかし、その声には、怒りよりもむしろ、奇妙な称賛の響きがあった。
「しかし、君たちの能力には驚かされた。まさか、我々をここまで追い詰める者がいるとはね。特に君、ミリアム・ホロウェイ。君のその特異な能力には、心底感銘を受けたよ」
ミリアムは、コレクターの言葉に眉をひそめた。なぜ、自分の能力を知っている?
コレクターは、ミリアムの疑問を読み取ったかのように、ゆっくりと話し始めた。
「君が感知していたあの『音』の正体を知りたいかね?あれは、我々が麻薬『ドリーム・クラウド』の取引で使う、いわば認証キーだ。特定の周波数を発することで、互いが正規の取引相手であることを認識し、安全に取引を進めるためのシステムだよ。当然、秘匿性が高く、通常の機器では捉えられない」
コレクターは、淡々と説明を続けた。まるで、ビジネスの秘密を語るかのように。
「我々のビジネスが妨害を受けたということは、高確率でその認証キーが見破られたことを意味する。だから、そういう事態に備えて、最大の出力で妨害音波を出すシステムを構築していた。本来なら、君たちが使っていたであろう、その『音』を解析する機械……例えば、君の仲間が構築したハッキングシステムを、完全に破壊するためのものだったのだがね」
コレクターの視線が、ミリアムの顔に固定された。
「だが、まさか、それを感知するのが人間だとは、想像もしていなかった。君のような存在は、銀河広しと言えども、極めて稀だ。GRSIのような組織に所属しているのが惜しいくらいだよ」
コレクターは、一歩ミリアムに近づいた。その表情には、獲物を捕らえた猟師のような、満足げな光が宿る。
「だが、その人間が、間違いなく我々の組織にとって有用であると判断した。だから、君をここに連れてきた。君のその能力は、我々の麻薬流通システムを、さらに盤石なものにするだろう。我々は、君に協力してもらう」
ミリアムは、コレクターの言葉に、全身の拘束具が軋むほどに抵抗しようと体をよじった。
「あんた達の言うことなんて、絶対に聞かないわ!」
彼女の瞳には、怒りと、決して屈しないという強い意志が宿っていた。
コレクターは、ミリアムの抵抗を、面白がるかのように静かに見つめた。そして、再び冷酷な笑みを浮かべた。
「ほう。それは残念だ。では、君が協力的になれるよう、少々考える時間を与えようか。……たとえば、君の仲間のことなどね」
彼の言葉は、ミリアムの心臓を鷲掴みにした。
「君と一緒にいたあの少年、彼も始末することができたが、一応、君がこちらの言いなりにならなかった時のための保険として、生かしておいた。君にとって、彼は大切な存在なのだろう?そういう『弱み』は、利用させてもらうよ」
その言葉は、ミリアムの心臓を鷲掴みにした。カケルが生きていることに安堵しながらも、彼が自分を操るための道具として利用されている事実に、激しい怒りがこみ上げてきた。
コレクターは、ミリアムの表情の変化を満足げに見て取ると、冷ややかに続けた。
「君の能力は、これから存分に発揮してもらう。銀河にドリーム・クラウドが広がる、新たな時代を築くために、君は重要な役割を果たすことになるだろう。光の側にいる君が、やがて闇に染まる様を見るのは、私にとっても愉快なことだ」
コレクターは、そう言い残すと、満足げに部屋を後にした。重い扉が、音を立てて閉まる。ミリアムは、暗闇の中で一人取り残された。
カケルが生かされているという希望と、彼が人質に取られているという絶望。そして、自分の能力が、銀河に破滅をもたらす麻薬のために利用されるという恐怖。様々な感情が、ミリアムの心の中で渦巻いた。
彼女は、拘束されたまま、ただ必死に、仲間が助けに来てくれることを祈るしかなかった。




