12.絶望の夜
イヴァンとエミリーがカケルを救出し、辛うじて辿り着いたのは、ルナ・パレス駅の最下層にある、廃墟と化した旧型資材倉庫だった。冷たいコンクリートの床に、イヴァンがカケルをそっと横たえる。倉庫の錆びついた天井からは、ところどころ水が滴り落ち、その音が、重苦しい沈黙の中でひときわ大きく響いていた。
「カケル、しっかりしろ!おい!」
イヴァンは、カケルの頬を軽く叩いたが、カケルの意識はまだ朦朧としていた。その顔には、失意と、ミリアムを奪われた無念の表情が深く刻まれている。
エミリーは、警戒しながら周囲を見渡し、携帯端末でノアにアクセスを試みるが、通信は未だ不安定だった。
「ノア、聞こえる?カケルは救出したけど、ミリアムの追跡は……」
エミリーの声には、普段の冷静さとは異なる、焦りの色がにじんでいた。
隠れ家では、ノアが荒い息を吐きながら、滅多に表示されないエラーコードが乱舞するモニターと格闘していた。システムはコレクターの放った妨害音波と、それに続くハッキングによって深刻なダメージを受けていた。
「くそっ……!通信は途絶したまま、ミリアムの信号も完全にロストした。コレクターの妨害は、予想以上だ。彼女の能力を熟知していたとしか思えない……」
ノアは、自身の完璧なシステムが蹂躙されたことに、深い屈辱を感じていた。
だが、それ以上に、仲間であるミリアムを失ったことへの自責の念が、彼の冷静な思考を蝕んでいく。もし、もっと早く妨害音波を予測できていれば。もし、もっと強力な防御システムを構築していれば。完璧なはずの自分の論理が、今、全く役に立たない。
「イヴァン、エミリー、そっちの状況はどうだ!?麻薬は?ミリアムは本当に……」
ノアの声は、普段の理路整然とした響きを失い、か細く震えていた。
イヴァンは、その声を聞き、拳を固く握りしめた。彼の脳裏には、ミリアムが苦痛に顔を歪ませ、特殊部隊に担架に乗せられて消えていく光景が焼き付いている。
守れなかった。
あの華奢な身体を、守れなかった。
彼の屈強な肉体は、無力感に苛まれていた。
「麻薬も、ミリアムも……全部やられた。あのクソ野郎どもに……!」
イヴァンは、壁を殴りつけた。鈍い音が、倉庫に響き渡る。彼の心には、怒りと悔しさ、そしてどうしようもない絶望感が渦巻いていた。
エミリーは、そんな二人を冷静な視線で見つめていた。彼女もまた、ミリアムの安否を案じ、胸の奥底で激しい動揺を感じていた。
しかし、ここで感情的になっても何も解決しない。彼女は、静かに呼吸を整えると、ノアに語りかけた。
「ノア、システムは回復できないの?ミリアムが連れ去られる前に、何か痕跡を残してないか、再確認して」
「……試している。だが、妨害がひどすぎる。コレクターは、まさに我々の手足をもぎ取ったような真似をしてきやがった。ミリアムの『音』が、奴らにとってどれほど価値があるかを知っていたとしか思えない……」
ノアの言葉に、エミリーは考える。なぜ、コレクターはミリアムの能力を知っていたのか?なぜ、これほど完璧な対策を講じていたのか?
彼女の知的な頭脳は、状況の裏に隠された、さらに大きな闇の存在を予感していた。
カケルは、かすかに意識を取り戻した。目の前には、心配そうに自分を見下ろすイヴァンとエミリーの顔がある。
しかし、ミリアムの姿はどこにもない。
あの、明るく、いつもチームのムードメーカーだった少女が、今はいない。
彼の胸に、深く、鋭い痛みが走った。リーダーとして、仲間を守れなかった。任務を失敗させた。その事実は、彼の心を深く抉る。
「ミリアムは……」
カケルが絞り出すような声で尋ねる。
「目を覚ましたか!カケル…!ミリアムは…、クソっ、連れ去られた……麻薬もだ。ちくしょう……」
イヴァンは、カケルが目を覚ましたことに喜ぶが、すぐに沈痛な面持ちで首を横に振った。
カケルは、目を閉じた。脳裏に、パーティ会場でのミリアムの笑顔が浮かぶ。偽装のカップルとして、楽しそうに笑っていたミリアム。そして、地下貯蔵庫で、頭を抱えて倒れた彼女の姿。
「俺が……もっと早く気づいていれば……」
カケルの声は、後悔に満ちていた。GRSIの任務は、常に危険と隣り合わせだ。だが、今回は、仲間が、彼の目の前で奪われた。それは、これまで経験したどんな失敗よりも重く、彼にのしかかる。
「カケル、あなただけの責任じゃないわ。コレクターは、私たちGRSIのやり方を熟知していた。まるで、私たちの行動を先読みしているようだった……」
エミリーが、静かに語りかけた。彼女の言葉は、カケルを慰めるだけでなく、今回の敗北が単なる偶発的なものではなく、コレクターが持つ情報の正確さ、あるいは背後にいるさらに大きな勢力の存在を示唆していた。
「俺たちの追跡能力の要が、ミリアムの『音』だったと知っていた。そして、それを無力化する妨害音波まで用意していた……」
ノアの声が、インカムから響く。彼の言葉は、カケルにとって、目の前の現実を突きつける冷徹な事実だった。
カケルは、ゆっくりと目を開けた。彼の瞳には、まだ絶望の色が残っていたが、その奥に、わずかながら、しかし確かな光が宿り始めていた。
ミリアムを奪われた絶望。任務の失敗。
しかし、だからこそ、彼は立ち上がらなければならない。仲間を救い、この銀河の平和を守るために。
ミリアムがなぜ拉致されたのか。コレクターの真の目的は何なのか。そして、なぜコレクターは、自分たちの作戦をここまで正確に把握していたのか。すべての疑問が、カケルの頭の中で渦巻き始めた。彼は、自分の無力さを痛感しながらも、この暗闇の中で、一筋の光明を探し始める。




