10.地下へと繋がる闇
コスモ・ボールルームの華やかな喧騒の中、カケルとミリアムは、堅苦しい雰囲気の男の動きを追っていた。男は、噴水のアートスペースを離れると、会場の隅、あまり人が立ち入らないような目立たない通路へと足を進めていく。
「ノア、男が会場の南西方向、非常口に近いサービス通路に入った。監視カメラの死角になる」
カケルがインカムに報告すると、ノアの声が即座に返ってきた。
「了解。そのエリアの監視カメラは、パーティの設営で一部オフラインになっている。だが、他のセンサーデータと、ミリアムの『音』で補完できる。ミリアム、追跡を頼む」
ミリアムは、カケルの隣で優雅なドレス姿を保ちながら、その瞳を鋭く光らせた。彼女は目を閉じ、耳を澄ませる。周囲の賑やかな音の層の下に、特定の、しかし微弱な「音」が確かに脈打っているのがわかる。
「『音』はね、まだ男の近くにある。今、サービス通路の奥の扉を開けて、どこかに入ったみたい。地下に降りていく感じ……」
ミリアムの言葉に、カケルはすぐに判断を下した。
「地下か。エミリー、イヴァン、聞こえるか?ターゲットがパーティ会場から地下に移動した。おそらく、最終的な取引場所へと向かっている」
「地下……了解したわ。パーティ会場と地下を結ぶ非常階段、そしてサービス用エレベーターのルートを今すぐ確認するわね。通常は警備が手薄な場所よ」
エミリーの声には、わずかな緊張が混じっていた。彼女はレストランのバックヤードから、パーティ会場のスタッフ用出入り口へと移動する。食器を片付けるフリをして、客の目を欺きながら、非常階段へと続く扉に手をかけた。パーティの熱気とは隔絶された、ひんやりとした金属の階段が、闇へと続いていた。
「地下だと?おいおい、こっちにくるのかよ!」
イヴァンは、地下貨物エリアの片隅で身を潜めながら、低い声で応じた。彼の視界には、先ほどから頻繁に出入りしている「空のコンテナ」が、まさに裏の搬出口から運び出されようとしているのが見えていた。
「ノア、その男の最終的な行き先を特定できるか?イヴァンは地下で麻薬の受け渡しに使われる可能性のある場所を警戒しろ。特に、空のコンテナの動きが不自然な場所だ」
カケルが指示を出すと、ノアの声が緊迫感を帯びて響いた。
「追跡は可能だ。ミリアムの『音』と、地下通路に点在するセンサーデータを統合すれば、特定できる。その男は、駅の地下にある旧型燃料貯蔵庫へ向かっている。ここは通常、一般の立ち入りが厳しく制限されている。そして、その貯蔵庫の近くで、イヴァンが報告した空のコンテナの一つが停止した」
ノアの言葉に、カケルとミリアムの目が固く結ばれた。
「貯蔵庫……。そこが麻薬の保管場所か、あるいは取引の最終地点か。イヴァン、ノアの言う旧型燃料貯蔵庫の周辺を警戒しろ。我々も急ぐ」
カケルは、ミリアムを連れてパーティ会場の隅へと向かった。彼らは非常階段の扉を開け、地下へと続く冷たい階段を駆け下りる。華やかなボールルームの喧騒は遠ざかり、代わりに、金属と機械の匂いが混じり合った、不気味な静寂が彼らを包み込んだ。
地下通路は薄暗く、天井の蛍光灯が途切れ途切れに明滅している。カケルとミリアムは、ノアからのリアルタイムの指示と、ミリアムが感知する「音」を頼りに、旧型燃料貯蔵庫へと向かっていた。
「『音』は、すぐそこよ!すごく強く感じる!」
ミリアムが、緊張した声でカケルに寄り添いながら告げた。彼女の感覚が、秘匿通信システムが放つ微弱な信号の密度が、最高潮に達していることを示している。それは、麻薬がまさにその場所にあることを意味していた。
通路の突き当たりに、頑丈な金属製の扉が見えた。そこには「関係者以外立ち入り禁止」の警告が書かれている。扉の隙間から、わずかに話し声が漏れ聞こえてくる。
「ノア、到着した。貯蔵庫の扉の向こうだ。中の状況は?」
カケルがインカムに囁くと、ノアの声が返ってきた。
「貯蔵庫内には、君たちが追っていた運び屋の男と、数人の武装した警護員が確認できる。コレクター本人の姿は確認できないが、運び屋の男が常に無線端末で通話している。おそらく、離れた場所からコレクターが指示を送っているのだろう。麻薬は、運び屋の傍にある小型の特殊コンテナに格納されている。現在、何らかの最終確認を行っているようだ」
ノアからの報告に、カケルの表情が引き締まる。コレクターの狡猾さが、ここでも顔をのぞかせた。
「武装した警護員、しかもコレクターは直接姿を見せないか……」
カケルは眉をひそめた。
「ノア、貯蔵庫の周囲に侵入経路はないか?この扉からの強行突破は避けたい」
カケルの問いに、ノアはすぐに答えた。
「貯蔵庫の東側に、古い排気ダクトがある。直径は小さいが、人間一人ならギリギリ潜り込める。ただし、内部はかなり汚れていて、危険だ」
「よし。ミリアム、行けるか?」
「うん!大丈夫!」
カケルとミリアムは、通路の隅にある非常用ロッカーへと駆け寄った。彼らが着ていたパーティ用のドレスとスーツは、GRSIが開発した特殊な『チェンジ・ウェア』だった。ワンタッチで内部のメカニズムが作動し、数秒で彼らの体から衣装が剥離する。その下には、軽量で柔軟な、暗色の潜入用スーツが既に装着されていた。カケルはスーツの袖口から小型の撮影機を取り出し、ミリアムは腰のポーチからミニチュアのガジェットを取り出す。
二人は音を立てずに排気ダクトの蓋を開け、狭い内部へと滑り込んだ。ダクトの中は、ノアの言う通り埃っぽく、錆びた金属の匂いが充満している。しかし、ミリアムの正確な指示と、カケルの慎重な動きで、二人は貯蔵庫の天井へと繋がる通気口までたどり着いた。
貯蔵庫内では、運び屋の男が小型コンテナの蓋を開け、中に入った透明なカプセルを見せている。数人の警護員が周囲を固め、運び屋の男は無線端末で何事か話している。
カケルは、通気口の格子越しに、その様子を小型撮影機で克明に記録し始めた。ドリーム・クラウドの現物、運び屋の顔、そしてコレクターの指示を受ける様子。これらが決定的な証拠となる。
「ノア、録画を完了した。これから無力化する」
「了解。作戦開始」
ノアの声が緊迫した状況を伝える。
カケルは、腰のポーチから催涙ガス散布装置を取り出し、ミリアムは、その隣で精密な照準を合わせるように指先を動かす。ミリアムの空間認識能力により、貯蔵庫内の空気の流れと、敵の配置、そしてガスの最適な散布経路が正確に把握されていた。
カケルがトリガーを引くと、極めて微細な粒子状の催涙ガスが、音もなく通気口から貯蔵庫内へと噴射された。ガスは瞬く間に広がり、警護員たちは何の異変にも気づかないまま、数秒後には次々とその場に倒れ込んだ。運び屋の男も、持っていた麻薬のコンテナを取り落とし、口元を押さえて膝から崩れ落ちる。
「麻薬を確保する!ノア、脱出経路を確保しろ!」
カケルは通気口から貯蔵庫内へと飛び降り、落ちた麻薬のコンテナを素早く回収した。ミリアムも軽やかに着地し、倒れた運び屋の無線端末を素早く回収する。チームは目標の麻薬と情報を確保し、コレクターの取引を阻止したと確信する。短いながらも、任務成功の手応えが、カケルとミリアムの胸に広がった。




