9:能ある鷹は爪を隠す?
父親に思うところがある人物は結構いる。そのことが分かった私は、新聞社に足を運び、お金を払い、一人の記者を紹介してもらう。そして今日。夏なのに黒のフード付きのロングケープを身に着け、昼間から営業している居酒屋に私は足を運んだ。
昼間なので、客の人数は少なく、店内は薄暗い。どこかアルコールの匂いと油の匂いが漂い、昼間とは思えない澱んだ空気を感じる。
新聞社の事務員によると、一番奥の四人席にその人物はいるという。
(あれね!)
そのテーブルには、沢山の空の木製のビールのジョッキがいくつも置かれていた。それらに取り囲まれるように、突っ伏している男性がいる。ぼさぼさのブルネットの髪に、白シャツからのぞく腕はたくましく、父親と同じようによく日焼けしていた。
「カスピアン・ロバーツさん。ロバーツさん、起きてください!」
声掛けをするが、起きない。よくよく見ると、とシャツの襟は黒ずんでおり、一体この席で何日飲み続けているのか……と思ってしまう。
「ロバーツさん、お仕事の依頼です。起きてください!」
仕方なくその肩に触れ、ゆすると、いきなり手首を掴まれた。ビックリして心臓が止まりそうになる。
悲鳴を呑み込むことはできたが、全身が固まってしまう。
「柔らかい肌触り。この細さ……そしてこの体温は……女性だな。年齢は……十五歳ぐらいか。貴族令嬢。公爵令嬢程ではないが、上質な香油の匂いもする。……伯爵令嬢だな?」
ロバーツが顔をあげ、もぎたてのライムのような瞳と目が合う。
鼻の下、顎と無精ひげがたっぷりで、思わず凝視してしまうが、そうではなく。
「はい。私は伯爵家の令嬢です。マ」「待て」
ロバーツは私が話すのを制止させる。
「日傘の柄に描かれたツバメの紋章……マルティウス伯爵家のご令嬢か。……なんの用だ?」
(驚いたわ!)
泥酔したやさぐれ記者かと思ったが、私の手首をつかみ、香油の匂いだけで、人物像を完璧に言い当てた。しかも貴族ではないのに紋章についても頭に入っている。
どうやら新聞社の事務員が言っていた話は本当のようだ。そう、事務員はロバーツのことをこんな風に言っていた。
「酔いつぶれた人間失格に見えるかもしれませんが、情報収集力はこの新聞社の中では圧倒的なんです。彼以上の情報収集力を持つ記者はいません。ただの酒好きで女好きの酔っ払いというわけではないんですよ」
だが事務員はこうも言っている。
「こちらが指示を出しても、興味のない仕事は受けないんです。勝手すぎるので契約を切りたいのですが、いざという時に彼の情報収集力はどうしても必要で……。ともかく依頼を試みて、受けてもらえたら大船に乗ったつもりでいいかと」
それを踏まえ、私は空いている対面の席に腰を下ろし、黒のフードを外し、店主に合図を送る。
「ビールを一つ、そしてスモールビールを一つ下さい」
スモールビールというのは、この世界で大変ポピュラー。ビールというが、アルコール度数は1~2%程しかない。水の代わりに庶民も貴族の子供も飲んでいる飲み物だった。これはここが前世とは違う異世界だから飲むことが許されているもの。前世だったら度数に関わらず、未成年のアルコール摂取は禁止だ。
ちなみに水の代わりでスモールビールとなるのは、衛生事情が理由。貴族の屋敷ならまだしも、こういった場末の店で水を注文しようものなら、腹下し確定だった。それならスモールビールを飲んだ方がましという世界なのだ。
「はい、お待ちどう!」
店主はすぐにビールとスモールビールを出し、テーブルの上の空の木製ジョッキを片付けてくれた。
「堅苦しい話の前に、まずは乾杯だ!ですよね?」
「!」
船旅が多い父親だが、貴族ということもあり、最初は船員と距離がある。その距離を縮めるため、父親がしていること。それは船員の前に立ち、挨拶をする際にしていることだ。すなわにスピーチの前に、まずはビールを配り、乾杯する。これをやると多少荒っぽい船乗りでも、すぐに打ち解けてくれるという。「お、コイツ、分かってやがる」と。
ロバーツは酒好きで、気の向かない仕事を受けないへそ曲がりと聞いている。ならば父親のこの方法が効果的ではないかと思ったのだ。
私が木製のジョッキを手に持つと、ロバーツは呆気にとられていたが、慌ててジョッキを手に持つ。
「では、まずは乾杯!(Cheers!)」
私は笑顔で音頭をとった。
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