7:さらなるサプライズ
アマリアから抱きしめていいかと聞かれ、私はフリーズしてしまう。すると彼女は慈しみのある笑みを浮かべ、こう告げる。
「私には娘がいます。娘のことを私は何度も何度も抱きしめて育てて来ました。マルティウス伯爵令嬢は……お母様を幼い頃に亡くされていますよね? 母親の愛情を恋しく感じたことはありませんか?」
これにはハッとする。
父親はティナを溺愛してくれていると思うし、今朝もハグをしてその葉巻の香りを感じることになった。その一方で記憶を探しても、母親に抱きしめられたのは……。さすがに三歳の時の記憶。明確に覚えているものは少ない。勿論、亡くなった母親は私を抱きしめてくれたと思う。だがそれを覚えているのは……幼い私には無理だった。
それでも母親が亡くなって以降、乳母に抱きしめてもらったことは何度かある。でも乳母はベテラン採用された四十代後半の女性だった。亡くなった母親よりかなり年上だったので、「お母さん」という目で乳母を見ていなかった記憶がある。
それを踏まえると、アマリアが言わんとする母性を恋しく思ったことがあるかどうかについては……。言われてしまうと恋しく感じる。
「!」
気付くとアマリアにぎゅっと抱きしめられている。父親とは違い、フローラルな香水が匂い、その体は柔らかい。
「お父様に抱きしめられるのとは違うでしょう?」
「……はい。そうですね」
「この柔らかさが母親なのよ。胸も触れているでしょう? この触れ心地は安心感につながるのよ。赤ん坊の頃、おっぱいを飲んでいた時を思い出して」
「そうなんですね……」
しばらくそうやって抱きしめられていると、何とも癒される気がする。アマリアの指摘通りで、父親に抱きしめられている時とは全く違った。
「ごめんなさいね。急にこんなことをしてしまい。でも娘と同い年に近いから……放っておくことができなかったわ。マルティウス伯爵が寡夫であられることは有名ですし……」
そう言うとアマリアは慈しみのある微笑を浮かべる。父親は貿易業で成功していたから、社交界ではちょっとした有名人。しかも再婚をしていない点も珍しがられ、父親が寡夫であることも、社交界では周知の事実になっていた。
「私と娘は、カナル通りに住んでいるの。もし何か不安があったら、いつでも遊びに来て頂戴ね。美味しいお菓子を出して、今みたいにぎゅっと抱きしめてあげますから」
(なんて優しい人なのだろう……! こんなに優しい人なのに、ティナが処刑される時は、とても冷たい表情を……いや、それで当然だわ)
私にとっては父親だが、アマリアにとっては最愛の夫なのだ。その夫を私が毒殺したと思っているなら……。
恨みもするだろうし、殺したいと思っていてもおかしくない。今の様子から想像もつかない冷たい眼差しで、処刑されるティナを見ても……仕方ないことだった。
「それでは私はこれで失礼させていただきますね」
「! は、はい。その……ありがとうございました!」
まるで聖母のようなアマリアと別れ、私は身だしなみを確認し、父親の所へ戻る。椅子に座る父親の後ろ姿が見えたと思ったが、驚くことになる。
はぜなら私が座っていた席には『悪女は絶対に許さない』に登場するティナの義理の妹ヴィオレットが座っているのだから……!
母親譲りのダークブロン、そしてルビーのような瞳。大人っぽい美人な顔つきをしている。そして私を見るとヴィオレットは、天使のようにニコリと微笑んだ。
「お、ティナ。戻って来たか。こちらはヴィオレットさん。レストルームから自身の席へ戻ろうとして、間違ってここへ来てしまった。丁度、ティナもいなかったので、少しお喋り相手になってもらったんだよ。こちらのヴィオレットさん、蝶の標本作りが趣味で、いろいろ面白い話を聞かせてくれたよ」
蝶の標本作り!
貴族たちの趣味の一つとして、昆虫の標本作りは人気だった。特に世間では自然科学や博物学への関心も高まっており、あちこちに博物館も建てられていた。動物の剥製は作るのが大変。でも昆虫であれば身近にいるものであり、貴族の趣味人でも気軽に始められる。
その中でも見た目のインパクトから甲虫、さらには美しい翅を持つ蝶の標本作りは、特に人気が高かった。蝶については、その翅が装飾品にもなっている。貴族の令嬢やマダムが、自身の屋敷の庭園で捕えた蝶を標本にして、お茶会の席で披露する……なんてことも行われていたのだ。
そして父親は、昆虫標本の趣味があったわけではない。ただ仕事柄、遠方の国々、島へ行くことが多い。そうなるとこの大陸で見ることがない昆虫に出会う機会が増える。最初は友人・知人からだった。だが次第に客として「珍しい蝶がいたら捕まえてきて欲しい」と頼まれるようになる。しかし船旅は数カ月単位、長いと年単位になってしまう。そうなると虫を生きた状態で届けるのは難しくなる。そこで自然と父親は昆虫標本の技術を身に着けるようになっていたのだ。
そんな父親であるから、蝶の標本作りが趣味のヴィオレットと話が合わないわけがない!
というか物語の冒頭しか読んでいない私は、ヴィオレットが蝶の標本作りを趣味にしていたことを、初めて知ることになった。小説の世界へ転生したとはいえ、ほぼ知らないことばかり。分かっていることは父親が毒殺され、私……ティナが濡れ衣を着せられ、処刑されることだけ。真犯人が誰なのか。その目的が何だったのかは一切不明なのだ。
「今日はもう、僕たちは食事を終えたし、馬車も待たせている。よかったら母君と一緒に屋敷を訪ねてくるといい。娘のこともその時、しっかり紹介しよう」
「ありがとうございます、マルティウス伯爵! その際は、母の生家の領地で捕まえた珍しい蝶の標本もお持ちしますわ」
ヴィオレットは笑顔で席を立ち、父親に頭を下げる。次に私を見ると「マルティウス伯爵令嬢。お目にかかれて光栄です。ぜひまたお会いしましょう」と礼儀正しくお辞儀をした。
ティナが処刑される時。最後まで無実を信じてくれたのが、このヴィオレットだと思う。この世界の味方なのかもしれないと思うと、私も笑顔で応じることになる。
「ヴィオレットさん。こちらこそお会いできて光栄です! ぜひ屋敷へ遊びに来てくださいね」
お読みいただきありがとうございます!
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次話は12時半ぐらいの更新を目指しますが
月初と下期で会議が多く
もしかすると前後するかもしれません。
お許しいただけないでしょうか。
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『悪役令嬢は死ぬことにした 』
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