68:まさか、まさか……
私に名前を呼ばれたヴィオレットは、体をビクッとさせ、おどおどした様子でこちらを見る。でも私と視線をあわせようとはしない。
「確かにあなたにブローチを貸したわ。でもそれはあなたが、あのドレスに合うからつけたいと言ったからでしょう? 罪をなすりつける……だなんて。それにそもそもあのブローチは、お母様に頂いたのよ。そこにいるアマリア伯爵夫人に」
私の言葉を補足するように、父親も声をあげてくれる。
「それは僕も知っている。ティナが毎日つけるようになり、そのブローチはどうしたのかと聞いたら、アマリアからプレゼントされたと。アマリアにも『ティナにプレゼントをしてくれたのか。ありがとう』と伝えたところ、『大したものではないのですが、ティナの落ち着いた雰囲気に合うと思い、贈りました』と答えたのを聞いている。……先祖代々伝わる宝石を自身の子供に贈る伝統。それはこの大陸で当たり前のこと。しかしまさか毒殺現場でつけていたブローチを贈るなんて……なんて恐ろしい女なんだ」
もうここまで来たら、コルディア公爵が言うまでもなかった。マンチニールを使い、コルディア公爵の父親を毒殺した女。それは……アマリアで間違いないだろう。
「ブローチを目にしてからすぐ人を使い、ヴィオレット嬢とアマリア伯爵夫人の素性について調べました。そして今朝ようやく。孤児院に保護される前のアマリア伯爵夫人がどのような人生を歩んでいたのか。掴むことができました」
ヴィオレットが引きつった表情でコルディア公爵を見ている。彼はその視線を一瞥し、話を続けた。
「ダークブロンドとルビーのような瞳。髪色はともかく、瞳の色は珍しい。まったく見かけないわけではないですが、碧眼が多い中、目立つ色ではあります。ルビー色の瞳は南国出身者に多く見られる。そうです。アマリア伯爵夫人はスパイス諸島で知られるモロッカ諸島の出身でした。幼い時、私は彼女の瞳を見ていましたが、その時はフードを被り、影になっていたのです。瞳は黒かわたしのような紺碧だと誤認していました。もしルビー色と分かっていたら……もう少し早く、真相に辿り着けたかもしれません」
「なんと……」と、コルディア公爵の言葉にライズ隊長が絶句したが、それは父親も私も……そしてヴィオレットさえ、驚いている。どうやらアマリアは実の娘であるヴィオレットにすら、自身の出自を話していなかったようだ。
「アマリア伯爵夫人は、モロッカ諸島に点在する島で生まれましたが、父親は船乗りで、母親は一晩の過ちで子供を身籠ってしまった。予定していない妊娠と出産。誕生した時からアマリア伯爵夫人は邪魔者扱い。そこからの反動で、自身が子供を産んだら、惜しみない愛情を与えようと誓ったようですね。母性の強さは本物でしょう。ですが娘を利用する精神まで、自身の母親から受け継いだようです」
ヴィオレットは不安そうな顔でアマリアを見るが、彼女は視線を伏せた状態を続け、一言も声を出さない。
「アマリア伯爵夫人の母親は、彼女がある程度の年齢になると、売り飛ばしたのです。娼館の下女として。ゆくゆくは娼婦として客をとるような人生をこれから歩むと知ったアマリア伯爵夫人は、少年のふりをして船に乗り込んだ。そしてまんまと大陸へやって来て、その後は孤児として保護されました。その時に性別は女子であると分かり、そこからは女性として育てられるようになったのです」
その後の人生は、思いがけない幸運に恵まれた。男爵家の亡くなった娘に似ていることから、貴族の屋敷へ迎られたわけだが――。それでも孤児院出身であることは尾を引く。だが子爵と結婚できたのだ。かなり幸運だったと思うのだが……。
「結婚相手の子爵とは、恋愛結婚だったはずです。そして子宝にも恵まれ、ヴィオレット嬢が誕生しています。このまま順風満帆な人生を送れるはずだったのですが……」
アマリアの人生に陰りが見え始める。
「子爵は競走馬を所有するぐらい、競馬好きだった。賭け事が好きだったわけです。ただ、好きが得意とは限りません。自身の所有する競走馬は、レースでことごとく負け、さらに自身が賭けても負けばかり。財産は次第に減って行き、借金ができてしまう。でも外聞を気にして、火の車の家計であることを誰かに明かし、お金を工面することもできない。そこで身分を隠し、アマリア伯爵夫人は働きに出た。助産院で受付の仕事を得て、そこでわたしの父親に出会ったわけです」
「つまりアマリア伯爵夫人は、借金まみれの子爵と別れたい気持ちがあった。さらには亡くなった前コルディア公爵には、契約婚と白い結婚を持ち掛けている。でも公爵はそれを拒否した。頭に来て公爵を毒殺し、夫である子爵は……」
ライズ隊長はそこで言葉を切り、苦い表情を浮かべる。
「子爵は……ピート子爵の死因は……」
「ピート子爵は、喉に食べ物を詰まらせて、死亡したことになっています。死に顔があまりにも悲壮だったため、夫人の希望ですぐに埋葬されています。喉も詰まった食べ物で膨れ上がっていたとか。ただ喉が腫れ、喉が詰まったように死亡というのは……マンチニールの毒による症状とそっくりです」
コルディア公爵は淡々と事実を伝えるが、それを聞いたライズ隊長の頬は赤くなっている。そして信じられないという表情で言葉を紡ぐ。
「まさか……まさか……。でも借金まみれの子爵と離婚しても、メリットはゼロです。だが子爵が死亡すれば……爵位と借金はピート子爵の男子直系が継ぐことになります。アマリア伯爵夫人の生活は苦しくなるも、借金からは解放され、周囲も同情するはずです。いくばくかの国の支援だって受けられる……」
ライズ隊長は目頭を押さえ、呻くように呟いた。
「娼館に売り飛ばされた過去は、同情に値します。ですがその後は……。借金があり、邪魔になったピート子爵を毒殺。再婚を目論んだ前コルディア公爵から拒まれると、腹いせとばかりに彼のことも毒殺している。それでもマルティウス伯爵との契約婚を成功させています。それなのに自ら提案した白い結婚に我慢できなくなり、今度は伯爵を毒殺しようとするなんて……」
そこでライズ隊長はため息と共に声を絞り出す。
「しかもその罪を、伯爵の実子であるティナ嬢に被せようとするなんて。とても恐ろしいことです。人間の所業とは思えない。娘であるヴィオレット嬢がどこまで関与したのか。それはこれからの取り調べで明かしていくしかないでしょう……。ただ、明らかなことがあります。ティナ嬢は犯人ではない。毒殺犯に仕立てられそうになっていた。そして間違いなく共犯は侍女のシャロンでしょう。さらに共犯の容疑はヴィオレット嬢にもあり、そして主犯はアマリア伯爵夫人で間違いないですね」
「わ、私は関係ないです! 私は何も知りません! すべてはお母様が」
ヴィオレットが顔面蒼白で震えながら口を開くと、ライズ隊長がぴしゃりと告げる。
「話は王都警備隊の本部で聞きます。アマリア伯爵夫人、ヴィオレット嬢、侍女のシャロンを拘束しろ」
ライズ隊長の言葉にヴィオレットが「お義姉様!」と私を見る。
助けを請う様に私を見るその姿は、つい手を差し伸べたくなるが……。
「聴取が済むまで、共犯容疑がかかっています。関わる必要はありません」
「そうだ、ティナ。騙されてはダメだ。全てが明らかになるまで、距離を置くんだ」
コルディア公爵と父親に止められ、私はヴィオレットから視線を逸らした。
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