6:まさかここで……!
「お父様、もう食べられないです」
「そうだな。デザートは……無理そうだな」
本当はヤギのミルクで作ったバニラ味のアイスも食べて見たかった。しかし肉料理や小麦を使った腹持ちのいい料理を何品も頼んでしまったので、これはもうギブアップ! 別室にいる使用人のみんなも頑張ってくれたが、そちらももう満腹のはずだった。
「よし。お会計も済んだ。馬車はレストランの前に横付けしてもらうように頼んだ。もう少ししたら、店を出ようか」
「はい! お父様、ご馳走様でした。本当に美味しかったです。……お母様も一緒に来ることができたらよかったですね」
私の言葉に父親の瞳がうるっとする。
母親が亡くなった時、私はまだ幼かった。マルティウス家は伯爵家であるし、子育ては乳母がメインになる。ゆえに母親が亡くなることで、子育てで父親が右往左往することはない。だが子供の教育や家庭内での躾を考えると、一定期間は喪に服しても、後妻を迎えることが、この世界では一般的だった。
何より貴族の結婚は家門同士の契約でもある。新たなる家門と親戚関係になれれば、それは社会的にも政治的にも大きな意味を持つ。
しかし父親は母親を心から愛し、どうしても再婚する気にはなれなかったのだ。
そんな父親であるから、母親が亡くなってから十二年が経とうとしているが、思い出すといまだ涙ぐんでしまう。とても純真で一途な父親は、見ていて大変好ましい。
だから不思議だった。
(なぜ、父親は継母となるアマリアと再婚したのかしら?)
今はまだ再婚していない。でもこの後、父親はアマリアと出会い、再婚するのだ。
「ティナ。屋敷まで馬車で三十分程かかる。レストルームは行かないで大丈夫かい?」
父親は泣きそうになるのを誤魔化すように、私に尋ねた。
「! そうですね。行っておこうと思います」
(ハンカチで父親が涙を拭えるように、私は席を立とう)
そこでレストルームへ向かうと……。
「あっ」
思わず声が出てしまう。
すると洗面台の前で赤いルージュを塗っていた女性がこちらを見る。
ダークブロンドで、ルビーのような瞳をしている。ティナが処刑される一年前の現在、その年齢は三十三歳のはず。だがとても三十代には見えず、二十五、六歳に見える。
「……あら、可愛らしいお嬢さんね。どこかでお会いしました?」
その姿は挿絵に描かれていたティナの継母、アマリアに間違いない。
(まさかこんなレストランのレストルームで会うなんて!)
驚き、心臓がドキドキしてしまう。
そこで無言になってしまい、どうしようと思ったが……。
「……そのツバメの紋章。珍しいですよね。もしかしてマルティウス伯爵家のご令嬢では?」
アマリアは私が手に持つ扇子の紋章により、一目で身分を看破した。
これは前世感覚ですごいと思ってしまうが、この世界ではごくごく一般的。よってここは「よく分かりましたね!」などと前世感覚で反応してはならない。むしろここは……。
「じっと見てしまい、大変失礼いたしました。とてもお綺麗な方だと思い、つい見入ってしまいましたわ。そしてご指摘の通りです。私はマルティウス伯爵の一人娘、ティナ・ラニア・マルティウスです」
「まあ、やはり正解ね! お褒めに預かり、光栄ですわ。ですが美しいと言ったらマルティウス伯爵令嬢。あなたの方が、とても可愛らしいですわ!」
「ありがとうございます」
そこで私はアマリアの身分を確認できるものがないか、目線を動かすことになる。するとアマリアは苦笑する。
「今の私は子爵未亡人であり、元男爵令嬢なんですが、どちらも爵位を継いだ方が別にいるんです。よって形式上は子爵未亡人と呼ばれますが、紋章を使うことはできません。ですので身分を示すものは何もないんですよ」
これには「なるほど!」だった。
貴族が使う紋章は、爵位を継いだ者とその家族に使用が認められていた。アマリアの場合、夫に先立たれ、子爵未亡人であるが、爵位は彼女以外が継いでいると言う。さらに結婚する前は、男爵令嬢だったが、そちらも兄弟などが家督を継いでいるとなると……。アマリアが使える紋章は確かになかった。
アマリアのこのような事情は、『悪女は絶対に許さない』の冒頭しか読んでいないため、初めて理解することになる。
「なるほど。込み入った事情を知らず、失礼しました」
「いえ。お気になさらないでください。マルティウス伯爵家と言えば、伯爵位の中でも上位に入る高位貴族です。ですが私は……男爵に毛が生えたような家門ですから、紋章をご覧になっても、ご存知なかった可能性が高いですわ」
そう言った後、アマリアは実に慈しみのある表情を浮かべる。どうしたのかと思ったら……。
「マルティウス伯爵令嬢、抱きしめてもいいかしら?」
「⁉」
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