58:観客の期待が一番に高まる時を迎える
「今晩は、ティナ嬢、ヴィオレット嬢」
グラッセ侯爵の嫡男ナンシスが私たちに挨拶をしてくれる。彼は現在十六歳で、金髪碧眼。まさにヴィオレット好みの青年だが、十四歳になったばかりの第三王女の婚約者。さすがのヴィオレットも手出しができない相手だった。
手出しできない相手だからこそ、ナンシスと会うとヴィオレットは、乙女になり懸命に話し掛けてしまう。
「おっと、失礼」
開演時間が近づき、数が限られているとはいえ、それでもそれなりの数のあるボックス席。これまで人がいなかったこの辺りにも、席へ向かう人、レストルームへ行く人で、にわかににぎわいをみせはじめた。そして私のそばを通り過ぎた人は、ぶつかったわけではないが、謝罪の言葉をスマートに口にする。
「いえ、大丈夫ですよ」
私は落ち着いてそう応じる。
「母上、近衛騎士が合図を送っています」
「第三王女が席につかれたのね。行くわよ、ナンシス」
「はい」
「ではマルティウス伯爵夫人、失礼いたしますわ」
グラッセ侯爵夫人とナンシスの後ろ姿を、アマリアは羨望の眼差しで見つめている。
降下した王女の義理の母になるグラッセ侯爵夫人。自身は王族にはなれないが、元王女の義理の母になれるのだ。そんなふうに自分もなりたいと思っている――そんな瞳をアマリアはしていた。
「さあ、私たちも戻りましょう」
グラッセ侯爵夫人を見送ったアマリアがヴィオレットと私に声を掛ける。
「「はい、お母様」」
こうして私たちもボックス席に戻った。
◇◇◇
ボックス席は二人掛けの席が通路を挟み、一列に三組分並んでいる。
コルディア公爵は二人掛けの席に一人で座り、その隣の二人掛け席に、父親とアマリア、その隣に私とヴィオレットが座ることになっていた。だが飲み物を手に席へ戻ると、話をするため父親は、コルディア公爵の隣に座っている。そして私たちが戻って来たと気付くと、会話を止め、こちらを見て笑顔になった。
「お父様、ブランデーです」
「コルディア公爵、ラズベリーの果実水です!」
私とヴィオレットで飲み物を父親とコルディア公爵にそれぞれ渡し、自分たちの席へ腰を下ろす。
父親は「では公爵、今日の出会いを祝し、乾杯」とグラスを掲げ、コルディア公爵もそれに応じる。
二人は飲み物を口にしながら、会話を再開した。
舞台袖に近い壁には時計が設置されており、間もなく上演開始の時間だった。ボックス席は二階なので、一階席を見下ろすことになるが、既にオーケストラは席についている。もう間もなくしたら、チューニングも始まるだろう。
父親は話しながらだと、飲み物のペースが早くなる。ブランデーはじっくり味わないながら飲むものなので、父親が話しながら飲むにはワインの方が良かったはず。だが今回アマリアとヴィオレットが選んだのは、ブランデー。そしてそのブランデーを父親はあっという間に飲み干していた。
チューニング前の音出しが終わり、第一ヴァイオリンの首席奏者が登場。いよいよチューニングが行われ、指揮者であるヘルトケヴの登場となり、演奏が始まる。
父親はコルディア公爵の隣の席から、自分の席へと戻った。そして会場は観客の期待が一番に高まる時を迎える。
その時だった。
「うっ」
父親の呻き声が聞こえる。チューニングは既に始まっていたが、その声はハッキリ聞こえた。
「あなた、どうしたの?」
アマリアの押し殺した声と父親が立ち上がるのは同時。
「マルティウス伯爵、どうしましたか⁉︎」
コルディア公爵も立ち上がり、父親の体を支える。
そこで盛大な拍手が一斉に起き、ヘルトケヴが登場。父親はコルディア公爵に支えられ、ボックス席から退出する。その後をアマリアが続く。
心配そうな顔でヴィオレットが私を見た。私は頷き、席から立ち上がった。
舞台では登壇したヘルトケヴがお辞儀し、まさに演奏を始めるため、指揮棒を掲げた時。私とヴィオレットはボックス席から出ることになった。
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