41:公爵邸
トムは別れ際、私とハグをした時、耳元でこんな風にささやいた。
「もしも兄貴がいない間に何か困ったことがあったら、いつでも連絡するんだよ、ティナ。決して一人で抱え込むんじゃないぞ」
そこで私は理解する。
トムは女性にモテる独身貴族。そしてモテるということは、女性を喜ばせるのがうまく、かつ気遣いもできるということ。気遣いはいろいろと観察しないとできるものではない。自然と周囲の様子を観察できるトムは、気が付いたのだと思う。
ヴィオレットが何でもかんでも欲しがるところ。アマリアは既婚者なのに、火遊び願望がありそうなところに、気付いてしまったのだろう。この二人と一緒にいたら、私が苦労しそうだとトムは分かってくれたようだ。
私はヴィオレットとアマリアは、一年前に会った時、いい人だと思っていた。一度いい人だと思ったから、そこを疑う気持ちが生じても、本能的に見ないフリをしていたと思う。幾度となく、違和感を覚えながらも。心の中でいろいろと思いながらも、それを口にすることなく、ただ流していた。
でも改めて今、トムから抱え込むなと言われると……。客観的に見ても、二人は問題ありだったのだろう。
何か困ったら頼っていいと言ってくれる味方ができたことは大きい。私はトムに「ありがとうございます。いざとなったらトム叔父様のこと、頼らせていただきます!」と応じることになった。
こうしてトムが去り、午後からは日常が戻る。
家庭教師がきて、教養の勉強を行い、ダンスのレッスン。だがティータイムが終わった頃に手紙が多数届き、その多くがヴィオレット宛て。
いろいろ偽り、デビュタントに参加していたヴィオレットだったが、その美しさに心惹かれた男性は相当いたようだ。そんな彼らには「実は……」と本当の身分を打ち明けるつもりなのか。
一方の私宛にも手紙は届いている。ダンスを踊った相手からの御礼やお茶会の誘いだった。その手紙は全てアマリアが目を通しているので、どれとどれに返信し、どのお誘いに応じるかは……全てアマリアが決める。私の婚約者は父親が戻らないと、アマリアが決めてしまいそうだった。
でもこの世界では、当人の気持ちにお構いなく、婚約者が決まるのは……わりと当たり前のこと。親が決めた相手と婚約し、結婚する。ただ前世の自由恋愛の感覚があるから、それを受け入れ難い自分がいるのも事実。
とにもかくにもこの日は手紙の返事を書き、夕食後はアマリアから公爵邸に着て行くドレスを確認され――。
「派手なドレスにする必要はないのだから、これにしなさい」
そう言ってアマリアが選んだのは……クローゼットの中で一番地味なドレスだった。
◇◇◇
翌日。
アマリアが選んだアンティークローズのとても落ち着いたドレス……地味なドレスでコルディア公爵の屋敷へ向かうのは、とても恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。なぜこのドレスをクローゼットに入れていたのか。アマリアがクローゼットを見る前に、捨ててしまえばよかった……とまで思ってしまう自分に少し驚く。
「ティナ。しっかりご挨拶をして、次の約束を取り付けるのよ!」
「お義姉様、お願いね。私もコルディア公爵とお話をしたいから!」
ヴィオレットとアマリアに多大なプレッシャーを与えられ、馬車に乗り込むことになった。その馬車の中には、アマリアが指示して積み込んだ、コルディア公爵へ渡す贈り物の箱で溢れている。
こんなに渡さなくても……と思うが、既に馬車の中に積み込まれている。それを降ろしていたら、公爵邸への到着が遅れてしまう。仕方なくそのまま沢山の御礼の贈り物と共に、公爵邸へ向かうしかない。
馬車に乗り込み、席に着くと、ヴィオレットとアマリアが「ちゃんと約束するのよ!」「お義姉様、絶対よ!」とまだしつこく叫んでいた。両手で耳を塞ぎたくなるが、そこはなんとか我慢し、笑顔で窓から手を振る。心の中で御者に「早く出発して!」と願い、馬車が走り出すと、もう安堵のため息。
だがこの馬車には侍女のシャロンも同乗している。ため息をついたとバレると、アマリアに報告されてしまうかもしれない。
ため息を呑み込み、習慣で何となく胸元に目をやる。
これはアマリアから貰ったブローチをつけるようになってから、身に着いた動作だった。しかし目をやった胸元にブローチはない。
女親から贈られる物。それは物心ついてからは、アマリアのブローチが初めてだった。そうなるのは仕方ないことでもある。
産みの母親も当然、幼い私にいろいろ贈ってくれたが、その時の記憶はさすがに覚えていない。さらに父親から「これはロゼがティナにプレゼントした物だよ」と教えてもらうこともあるが、それは今の年齢の私が使うものではなかった。
そんなこともあったので、あのアメシストの蝶のブローチを私は大切にして、毎日身に着けていた。ブローチに合わせて選ぶドレスの色は、年齢の割に渋くなっており、そこはトムにも突っ込まれている。そして今日のドレスにこそ、あのブローチが合う。しかし昨晩のデビュタントに同行したヴィオレットに渡したが、案の定、ブローチは戻って来ていない。
今朝の様子を思い出すが、ヴィオレットはいつも通りのパステルカラーのドレスを着ていた。明るいレモンイエローのフリルたっぷりの若々しいドレス。黄色に濃い紫のアメシストは、補色の組み合わせであまり合わない。キツイ印象になってしまう。だから今朝、ヴィオレットがあのブローチをつけていたわけではない。
ヴィオレットは気に入った物があると、必ず毎日のように使う。だがちょっと気になったぐらいの物は、手に入ると一度使ったら放置。もう不要なのかと思い、メイドがうっかり処分しようものなら、泣いて「ヒドイ」と訴える。
特に気に入った物ではない。でも、もう自分のもの。
(あのブローチ、戻ってくることは、ないわね……)
「わあ、素敵ですね、お義姉様」とヴィオレットが言った私の持ち物は、ほぼすべてが彼女に渡っている。そして二度と戻ることはない。それが分かっているのに、ブローチを渡してしまった。
仕方ない。失くしたり、壊れたりしたわけではない。ちゃんと存在しているのだ。そしてアマリアに聞かれても、ヴィオレットが持っているとなれば、「ああ、そうなのね」で終わる気がする。だから……あのブローチも諦めよう。
そんなことを思っているうちにもコルディア公爵邸のある通りに到着していた。
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