36:踊るより
コルディア公爵からの申し出には驚き、そして考えることになる。ロバーツはコルディア公爵の人間観察を提案してくれた。そして上手いことヴィオレットとアマリアを足止めしているだろう。ならば私の答えは──。
「ぜひお話しさせてください!」
こうしてコルディア公爵と並んでベンチに座ることになった。
(さて、何を話そうかしら? 通常なら、まずはお互いの名前やどこの誰かを話すところからスタートよ。でもマルティウスの名前を伝えたら、警戒されるかもしれないわ)
そんなことを考えていたが。
「音楽は踊るより、聴いている方が好きです」
「!」
「メロディを聴きながら、ゆっくり目を閉じ、曲調に合わせ、世界を想像するんです」
(世界を想像するとはいかに!?)
私がそう思っていると、コルディア公爵はこんな風に話す。
「ポロネーズを聴くと、濃い霧の景色が浮かびます。朝なのに、朝とは思えない濃い霧の世界。目の前にある橋を渡るのか、渡らないのか。その先は濃い霧で見えていない。勇壮に進むのか。いや、進むしかない。己の力を信じ、迷いを断ち切った時、霧が次第に晴れ、今日の始まりを告げる朝陽が一筋、橋の上に射し込む──そんな世界が、あの曲を聴くと目に浮かぶんです」
ポロネーズは舞踏会でお馴染みの曲だった。全員で列になって踊る際、採用されることが多い。優雅であるが、どこか行進曲のようでもある。コルディア公爵が前に進むか、いや進むしかないという光景を思い浮かべるのもよく分かる。
「舞踏会でお馴染みの曲ですが、今の話を聞くと、確かにダンスをせず、そのメロディを聴いていたら……。閉じた瞼に不思議な世界が浮かびますね」
「そうでしょう。君ならどんな世界を想像しますか? 例えば分かりやすくワルツ。軽快なメロディのワルツです」
そう言われて思い浮かべるのは、シュトラウス『美しく青きドナウ』だ。三拍子のリズムに乗り、思い浮かべるなら……一面の花畑だ。上空を飛ぶ鳥の目線で自由に旋回し、花畑を眺める。
そんな景色が浮かぶと話すと……。
「とてもいいと思います。ワルツの軽やかさを鳥の俯瞰視点で見ているところも」
「ありがとうございます」
「では少し難易度を上げて。メヌエットはいかがですか?」
メヌエット……。それは確かに少し難しい。メヌエットは伝統的な舞踏会で採用される曲。品があり、格式もある。ただ、ワルツなどと違い、パートナーとの接触がないダンスなのだ。
「思いつきました」
「どんな世界ですか?」
「雨上がりの早朝の石畳。薔薇の花びらに水滴が転がり、みずみずしい気配に満ちています。そこで道の端からそれぞれ歩いてきた男女が噴水のそばで行き交う。互いに声を掛けたいのに、声を発することもなく。すれ違って通り過ぎていく。後ろ髪を引かれる思いで」
これを聞いたコルディア公爵は嬉しそうな笑顔になる。
「素晴らしいですね。メヌエットのダンスの在り方とメロディが一体化した世界。情感も豊かです」
こんな感じで私とコルディア公爵は、ダンスを踊ることなく、ダンス曲で豊かな世界を想像する。
ひとしきりダンス曲を楽しむと、次はお馴染みのクラシック曲で想像の翼を広げることになった。
この会話をしている時は実に楽しくて仕方ない。何というかコルディア公爵とは感性が合う気がした。
「……思いがけず、素晴らしい出会いとなりました。ですが君はデビュタントでデビューしたばかり。こんなふうに長時間場を離れては、同行者を心配させてしまうでしょう」
コルディア公爵は気遣いも完璧。
この人が父親を毒殺する犯人のわけがない。そう確信できた。
「君のことを琥珀の間まで送ります。その前に。よかったらハンカチをわたしにプレゼントしてくれませんか?」
令嬢にハンカチを求める。それすなわち、まだ名乗っていない相手の素性を知る手段だった。
貴族は自身の持ち物に紋章を入れる。貴族令嬢であれば、ハンカチには自身の身分を示す紋章を刺繍している可能性が高かい。
名乗ることなく楽しく会話をした。そして別れの時間が近づいたのだ。出来ればまた会いたい。連絡をとりたいからこそ、名を聞く代わりにハンカチを求める。
これは私に興味を持ってくれたのだから、当然嬉しい。その一方で、マルティウス伯爵家の令嬢であると分かったら……。嫌われるのではないか。その不安は拭えない。
かと言ってここでハンカチを渡さなければ、コルディア公爵にまた会うことは……まず偶然の出会いは期待出来ない。彼が顔を出す舞踏会や晩餐会に招待してもらい、ホストなり、彼の知り合いの貴族を通じ、紹介してもらうしかない。
相手が公爵ともなると、いきなり話しかけるなんて普通は出来ないのだ。今夜のこの出来事は、ロバーツが仕組んでくれた奇跡にも等しいことだった。
というわけでここは持っていたレティキュールからハンカチを取り出し、コルディア公爵に差し出す。彼は「ありがとう」と、とても綺麗な笑顔で受け取る。でもその場で刺繍の紋章をまじまじと見たりはしない。スッとスマートにテールコートのポケットにしまうと、今度は自身のハンカチを取り出した。
「わたしのハンカチも渡しておきます」
「! ありがとうございます」
受け取ったハンカチは、とても上質な触り心地。しかもほんのり爽やかな香りもしている。
大切にレティキュールにしまうと、コルディア公爵は私をエスコートして歩き出す。
その速度といい、歩幅といい、とても歩きやすい。自身の脚は長いのに、ちゃんと私に合わせてくれている。
(エスコート慣れ、しているのかな)
だが群がる女性陣に辟易して、誰もいないこぢんまりとした広場に逃げて来たのだ。慣れているわけではなく、コルディア公爵はエスコートが上手なのだろう。
何の問題もなく、テラスに到着し、ランプの明かりの下に到着すると……。コルディア公爵の髪色が、煌めくようなアイスブルーであり、その瞳は夜空を模したような紺碧色であることに気が付いた。
「ここから琥珀の間までは、この通路を真っ直ぐ行けば到着します。共に戻ったとなると、余計な詮索をする者が現れるでしょう。先にお戻りください」
「ありがとうございます!」
その時だった。
「あ、お義姉様!」
お読みいただき、ありがとうございます!
次話はブックマーク登録してぜひお待ちくださいませ☆彡






















































