16:転んでもただでは起きぬ
カチ、カチ、カチと時計の秒針がやけに大きく聞こえる。
私の正面に座る父親は、大きくため息をつくと、口を開いた。
「……ティナ。事情は分かった。コーヒーだけを提供するカフェなんて、確かにあの一軒しかない。ティナが興味を持つのは仕方ないだろう。それにパウエル男爵の商会と父さんの商会がライバル関係にあることも……十五歳のティナが知らなくても、それは当然だ。しかもカフェにパウエル男爵がいるとは……父さんだって思わない。よって彼がティナを見て逆上したのも仕方なかった」
結局、王都警備隊を呼ぶような事態になっていた。パウエル男爵は逮捕され、ロバーツと私は警備隊から聴取されることになり、そして父親が迎えにくることになった。こうなると父親に、なぜあのカフェにいたのか。秘密になんてできない。なぜカフェに行ったのか、そこで何が起きたのか。全て話すことになる。しかも――。
「その乱闘に巻き込まれ、顔に傷を作るなんて……。ティナ。お前はまだ嫁入り前なんだ。幸い、怪我は浅いし、痕は残らないと医者は言っていたが……。本当に気をつけなさい」
「はい。お父様。本当に申し訳ありません……」
そうなのだ。カフェの店員が、お屋敷でコーヒーセットが並べられたテーブルに、パウエル男爵により押し倒された時。テーブルの上のいろいろなものが落下した。落ちた物が割れた際、飛び散った破片。その一つが私の左顎の下に当たっていたようで、傷が出来ていたのだ。
でも突然の乱闘騒ぎに私も興奮していたようで、傷が出来ているなんて気付かない。大量に血が出たわけでもなかった。王都警備隊に到着し、隊員の一人に指摘され、ようやく気付くことになったのだ。
「あと現場にいた新聞記者の男。本当に何の関係もないのだな?」
「はい。一人でお店に入ることがないので、緊張して、入口でもたもたしていたんです。すると声を掛けていただいて……。店員さんが二人掛けの席に、私とその新聞記者さんを案内しました。その流れで、そのまま一緒に座ることになっただけです」
実際はそうではないが、父親もいちいち店員に確認することはない。よってここは嘘も方便だった。
「そうか。ティナがそう言うなら、父さんはそれを信じよう。だが今後は侍女と別行動はせず、必ず一緒に行動するように」
「はい。お父様。本当にお騒がせしてしまい、ごめんなさい」
ここはもう深々と頭を下げるしかない。さらに侍女のハンナに落ち度はなく、私が勝手にそのカフェに行きたくなり、彼女に別行動をお願いしたのだと、弁明することになる。
実際、私がロバーツに会えるよう、ハンナは別行動することに目をつぶってくれていたのだ。だがこれからは、それもできなくなる。
レッド侯爵夫人がとても上手くいったので、今回も問題なんて起きないと思っていた。だが蓋を開けたら……。前世の警察組織のような、王都警備隊を呼んでの大騒ぎになってしまった。
(でも今回の件は悪いことばかりではないわ。転んでもただでは起きぬ――ではないけれど、いい結果になったと思うことがあるもの)
パウエル男爵は今回の騒動を機に、爵位を息子に継ぐことを決めた。そして自身は隠居することにしたのだ。
カフェで乱闘を起こし、伯爵令嬢である私が顔に傷を作ることになった。それは新聞でも大きく取り上げられ、パウエル男爵家の評判は地に落ちた。親族の勧めもあり、パウエル男爵は渋々引退を認めることになったのだ。そして彼の跡を継いだのは……なんとあのカフェの男性店員! お詫びでクッキーを渡そうとしてくれたあの店員だ。
実は彼こそがパウエル男爵の息子で、嫡男だった。その名はポールで、彼は後日、わざわざ私に手紙を送ってくれた。
『父親がとんでもない暴言を吐き、マルティウス伯爵令嬢に失礼なことをしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。パウエル男爵家は実は子沢山で、僕には弟が三人、妹が二人います。父親は僕たちを育てるのにお金が必要と、利益追求を最優先する考え方をするようになってしまい……。そんな中、コーヒー豆の輸入業で失敗。とても焦っていたのだと思います。このままでは悪循環になると思い、父親には引退してもらい、地方領で隠居してもらうことにしました。肉体は健康です。ですが心が疲れていると思います。気持ちを楽にして生きてもらうことにしたのです。これからは僕が五人の兄弟を守り、商会の立て直しをしようと思います』
これを見た私は大いに安堵することになる。
パウエル元男爵が毒殺犯に違いないと、私は思っていた。こっそりしている手紙のやりとりの中で、ロバーツも『俺もパウエル男爵なら、君の父親に悪さをしかねないと思えた。物理的に距離ができることはいいことだと思う』と言っていたのだ。私だけではなく、第三者のロバーツもそう思うなら、パウエル元男爵が毒殺の真犯人だと思う。しかし王都を離れ、地方領で隠居するなら、王都にはもう戻って来ないと考えていい。
パウエル元男爵は王都警備隊に一度逮捕されているのだ。それは大変不名誉なことであり、その噂は簡単には消えない。少なくとも五年ぐらい経たないと、ひょっこり王都に顔を出そうものなら、パウエル男爵家の悪評の再熱につながりかねない。だから彼は王都には戻れないのだ。
そこから導かれることがある。それは父親が来年、毒殺されることはない――ということだ。
(私も冤罪で、処刑されないで済むわ……!)
喜んでいる私に、さらに嬉しいニュースが舞い込んできた。
お読みいただきありがとうございます!
本日もよろしくお願いいたします☆彡
次話は13時頃公開予定です~






















































