うみに、かえる。
――あの海に還らなきゃ。
電車を降りると広い夜空が私を待っていた。
ここを訪れるのはいつ振りか――久々に向き合う景色に、思わず見惚れてしまう。
「お姉さん、今日は旅行?」
「いえ、里帰り……みたいなものです」
1台だけいたタクシーの運転手さんに微笑むと、彼は表情を綻ばせた。
「いや、都会の人に見えたから、こんな何もない街に何だろうと思って。地元なんだね」
「はい、暫く東京で賑やかな日々を過ごしていました」
そう――あこがれの地、東京。
そこには驚きと興奮の日々が待っていた。
エネルギッシュな人々と煌びやかなものに囲まれて、今では一生分の春を謳歌したような、そんな思いでいる。
「十分満喫したので、そろそろ帰ってこようと思ったんです」
そう呟く私に、運転手さんは頷いた。
「僕も若い頃一度行ったけど、結局戻ってきたよ。なんだかんだで故郷が一番肌に合うというか」
その言葉に潜む穏やかな熱に触れ、私の懐郷の念はいっそう強くなる。
海沿いを散歩しながら帰ると伝えると、タクシーは何の疑問も持たず走り去っていった。
その後ろ姿を見送ってから、私は人気のない夜道を歩き出す。
道の両端には申し訳程度に電灯が点き、私の行く先を辛うじて照らしている。
海にせり出した崖の上では錆びたガードレールが鈍く光り、ひらりと乗り越え崖の先端に立てば、眼下には暗い海が広がっていた。
すぅっと大きく息を吸い、私は高らかに告げる。
「――ただいま!」
響く声に呼応するように、闇の中で海がきらりと光った。
次の瞬間、月の光が私に向かって降り注ぐ。
目を閉じると、様々な思い出が頭を過った。
大変なこともあったはずだけれど、今こうして思い出せるのは楽しかったことばかりだ。
――さぁ、夢の時間はもうおしまい。
ゆっくり目を開くと、闇に沈んでいたはずの海はきらきらと黄金色に輝いている。
私はお気に入りだった赤いハイヒールを脱ぎ、
そして
崖から一直線――月の光を反射する海の中へと飛び込んだ。
――ぱしゃん
故郷の海はあたたかく私を迎え入れる。
深く潜る程に泡がぷくぷくと空に昇っていった。
まるで母に抱き留められているような、そんな安心感に包まれながら私は海底をめざす。
――ほら、スカートの下で私の足が溶けていく。
月の魔法が解けたのだ。
視界の中では海藻たちがゆらゆらと手を振り、魚たちがその周囲を舞っている。
1匹の魚が私の元へと泳いできて、そして口を開いた。
「――おかえりなさい、人魚姫」
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
本作は『懐郷』というテーマで書いた作品です。
このテーマを初めて見た時、心に浮かんだのは港町のイメージでした。
私の故郷に海があるわけではないのですが、不思議とその情景に引っ張られるようにこの作品を書きました。
ちなみに私は東京郊外の出身でして、東京といえば「都会」とか「冷たい」とか「住みづらい」と言われることもあり、肩身が狭い思いをしたことも……(´・ω・`)
でも、東京には東京なりのいいところもたくさんあるのです。
作中では詳細書いていませんが、彼女は東京の街をエンジョイしてくれたはず……!
ちょっとしたおとぎ話のような、そんな雰囲気も出ていたらいいなぁと思います。
お忙しい中あとがきまでお読み頂きまして、ありがとうございました。
【追記】
ウバクロネさんからイラストを頂きました!
今回主役の鱗がなんだか花びらみたいでとっても素敵じゃないですか……!?
ハイヒールとの対比や月の光が射し込んでいる様子など、すごく綺麗で惚れ惚れです♡
ウバさんありがとうございました。