3章
武具貸し出し所での出会い
木刀を受け取るために向かった貸し出し所は、校内でも少し薄暗い場所にあった。石畳を踏むたびに微かな湿気を感じ、周囲には道場から聞こえる素振りの音や、時折響くかけ声が静かに混ざり合っている。
「ここが、貸し出し所……?」
目の前に現れたのは、低い瓦屋根の小さな建物だった。入口の上には「用度係」と書かれた木札が掛けられている。シンが中を覗き込むと、暗がりの中に筋骨隆々の男が腰を下ろし、何かを削っていた。彼の動きは荒々しく、削られた木片が足元に散らばっている。
「月影シン、侍科新入生、木刀を受け取りに来ました!」
シンが声をかけると、男は削りかけの木片を置き、シンをじろりと見上げた。その視線はまるで鋭利な刃物のようで、一瞬でシンの緊張が高まる。
「お前が半妖の子か。」
男は顎鬚を撫でながら呟いた。その低い声には威圧感があり、シンは無意識に姿勢を正した。
男は立ち上がると、背後の棚に手を伸ばした。棚には数十本の木刀が並べられているが、男はその中から一本だけを選び、無造作に取り出した。それをシンに渡しながら、じっと目を見つめた。
「これを使え。」
渡された木刀は、他の木刀とは何かが違う気がした。握りの部分には滑り止めの麻縄がしっかりと巻かれているが、木肌には微かに不思議な模様が浮かび上がっている。
「これ、他の木刀と違う気がしますが……。」
シンが恐る恐る尋ねると、男は口元をわずかに歪めた。
「ただの木刀だ。ただし、この学校にあるものは全て“試される”ための道具だと思え。」
その言葉に込められた重みがシンの胸に響いた。試される――。一体何が?
「ありがとうございます!」
シンは深く頭を下げ、木刀を受け取った。だが、その瞬間、木刀を握る手に妙な感覚が走った。木の温もりとは違う、かすかな脈動のようなものだ。
「……これ、本当に普通の木刀なんですか?」
シンが再び尋ねると、男は肩をすくめた。
「さあな。ただの木刀だと言っただろう。」
その目には笑みのような、何かを試しているような色が浮かんでいた。
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貸し出し所を出た直後、シンは木刀を握りながら周囲を見回していた。貸し出し所の薄暗さから一転して明るい日差しが差し込む中、彼の心には妙な感覚が残っていた。あの男の言葉――「試される道具だ」という一言が頭を離れない。
ふと、その時だった。背後から軽やかな足音が近づく。振り返ると、カエデが少し離れた場所に立っていた。
「まだここにいたの? 半妖さん。」
その声は柔らかいが、どこか冷たい響きがあった。
「……君も貸し出し所に?」
「ええ、忍科でも基本装備くらいは受け取らないとね。」カエデは肩をすくめた。
彼女はシンが持つ木刀に視線を落とすと、微かに口元を歪めた。その仕草は笑っているようにも見えるし、軽蔑しているようにも見える。
「その木刀、ずいぶん特別そうね。」
「普通の木刀だよ。」シンは少しムッとして答える。
「本当に?」カエデはわざとらしく眉を上げた。「まあいいわ。あなたがそれをどう扱うか、少しだけ興味が湧いてきたもの。」
彼女の目が、まるで試験官のように鋭くシンを見据える。シンは居心地の悪さを感じながら木刀を握り直した。
カエデはそのままふっと笑い、用度係の男の方に視線を向けると、低い声で呟いた。
「ここには……道具以外にも何かあるのかしらね。」
その言葉に、シンは思わず問い返す。
「何かって?」
「……さあね。それを知るのは、あなただと思うけど?」
カエデはそう言うと、何事もなかったかのように肩をすくめて歩き去った。
だがその背中を見送りながら、シンは不安を拭いきれなかった。彼女の言葉が何かを暗示しているように思えたのだ。
貸し出し所を出た後、カエデは一人、校内の隅へと足を運んだ。その手には小さな巻物が握られている。その表情は険しく、彼女は巻物を開くと、そこに記された奇妙な文字列をじっと見つめた。
「……月影シン。半妖、そして……。」
彼女の目が細まり、巻物を閉じる。その動きは慎重で、まるで周囲を警戒しているかのようだった。
(あいつがあの“木刀”を手にした理由、少しずつ見えてきたわね。けど……本当にそうなの?)
カエデの呟きは誰にも届かないまま、空へと消えていった。
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貸し出し所を出てしばらく歩くと、シンはふと手にした木刀をじっと見つめた。その滑らかな表面には、どこか生き物の皮膚のような質感がある気がしてならない。指でそっと滑らせると、まるで木そのものが微かに脈打っているような錯覚を覚えた。
(何だこれ……木刀って、ただの木じゃないのか?)
シンはその奇妙な感覚に戸惑いつつ、木刀を両手で握り直した。すると――
シュウッ……
突然、どこからともなく風のような音が耳元で鳴り響いた。同時に、木刀の柄が微かに熱を帯びたように感じられる。シンは反射的に手を離しかけたが、思い直して握り締めた。
(何だ? 今の音……いや、気のせいか?)
周囲を見回すが、貸し出し所からは既に遠ざかり、近くには誰もいない。遠くで道場から響く素振りの音も、なぜか薄れて聞こえる気がした。まるで自分だけが異空間に迷い込んだような感覚だ。
その時――
ピキ……
木刀の表面に、一筋の細い線が走った。ひび割れのように見えたが、その内部から淡い光が漏れている。シンは息を呑んだ。光はほんの一瞬だけ輝き、すぐに消えたが、その刹那、頭の中で低い声のようなものが響いた気がした。
「……見つけたぞ……」
その声は掠れた音で、確かに言葉を形作っていた。しかし、振り返っても誰もいない。木刀を凝視しても、ひび割れはどこにも見当たらない。
(気のせい……? いや、今のは何か……。)
胸がざわつく。木刀を強く握り直すと、先ほどの奇妙な感覚は消え、ただの練習用の木刀に戻っているようだった。だが、シンの中には得体の知れない不安と共に、一種の確信が芽生え始めていた。
(この木刀……何かある。普通じゃない……。)
その時、遠くでまたあの笛の音が響いた。今度は、さっきよりも鮮明に耳に届く。音色は優雅でありながら、どこか不気味だ。音が近づいてくるような感覚に、シンは足を止めた。
「誰かいるのか?」
シンは声を上げたが、返事はない。ただ、笛の音が一度途切れ、再び響く。それが自分に向けられたものなのか、単なる偶然なのか判断できない。
ふと、背後に気配を感じた。振り返るが、そこには誰もいない。ただ、木々の間で何かがわずかに揺れたように見えた。風か? それとも――。
(何だ……? この学校、何かがおかしい。)
シンは木刀を握り直し、足早にその場を離れた。だが、背中に刺さるような視線の感覚は、しばらく消えることがなかった。
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寄宿舎の部屋に荷物を置いたシンが、ふと隣の部屋から騒がしい声を聞いた。何事かと思って廊下に出ると、数人の新入生が布団を持ち上げて喧嘩している。
「これ、俺の布団だって言ってんだろ!」
「いやいや、タグに名前が書いてないから、誰のでもいいだろ!」
「お前、真ん中の穴開いてる布団が自分のだって本気で思うかよ!」
どうやら布団の分配で揉めているらしい。シンは苦笑しながら近づいた。
「布団のことでそんなに怒らなくても……。」
「お前は分かってない! この破れた布団じゃ、明日腰が砕けるんだ!」大食い担当の丸山タケゾウが叫んだ。彼は布団を握り締めて涙目になっている。
そこに優等生らしき眼鏡の少年が割って入る。
「皆さん、静かにしてください。寄宿舎の規律を守るべきです!」
「規律だと? そんなの腹が減ったらどうでもいい!」タケゾウはお腹を叩きながら反論する。
別の忍科志望の少女が、壁の隅から静かに見つめながら呟く。
「……破れた布団でも寝れるよね。忍びは木の上で寝ることだってあるんだから。」
「お前は忍科だからいいけど、俺たちは人間の生活をしたいんだよ!」タケゾウがさらに叫び声を上げる。
シンはその場を収めようとして布団を拾い上げた。
「とりあえず、この布団で寝られるか確かめてみるか……。」
だが、布団を広げた瞬間、中から巨大なムカデが這い出してきた!
「ぎゃあああああ!」
新入生たちは一斉に悲鳴を上げ、部屋の隅へ逃げた。ムカデは驚くほど素早く床を這い回り、隣の部屋へ消えていく。
「お前が持ったせいだ!」
「俺のせいかよ!?」シンは驚きつつも、妙に落ち着いた声で返した。
騒ぎを聞きつけた寮長がやってくる。
「おい、お前ら、何してる! 初日からそんな大声を出すとは何事だ!」
寮長は厳しい表情で新入生たちを睨みつけたが、タケゾウの手に残った破れた布団を見て深くため息をついた。
「これ、前の生徒が“何か”を隠してたやつだな……。」
「何か?」シンが尋ねると、寮長は曖昧に笑い、
「いや、気にするな。ただの古い布団だ。」とだけ言った。
その夜、シンはふと寮長の言葉を思い出しながら、木刀を枕元に置いて眠りについた。翌朝、誰も知らないはずの夜半の囁き声が微かに耳元で響く――。
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シンが寄宿舎を出ると、澄んだ朝の空気が広がっていた。新入生たちは思い思いの場所へ散っているようだ。木刀を片手に校内を歩き始めた彼は、どこを見ても目新しい風景ばかりで胸が躍った。
「すごいな……本当にいろんな流派が混じり合ってるんだな。」
道場の前では侍科らしい生徒たちが素振りをし、その隣の演習場では忍科の生徒たちが木陰で屈伸運動をしている。さらに奥の広場では、陰陽科の生徒たちが紙に文字を描きながら奇妙な言葉を唱えていた。
ふと、横から元気な声が飛んできた。「おい、そこのお前、新入生だろ?」
振り向くと、派手な柄の羽織を着た少年が立っていた。彼は大きく手を振りながら近づいてきた。
「俺は橘サダカツ、侍科の新入生だ!よろしくな!」
「月影シンです、よろしく。」シンは自然と笑みを浮かべた。
「半妖だって噂だな!何かすげえ技が使えたりするのか?」サダカツが興味津々に覗き込んでくる。
「いや、全然だよ。ただ普通の剣術を学びたくて来ただけで……。」シンは少し困惑しながら答えた。
サダカツはニヤリと笑い、「まあ、ここにいる奴らは普通じゃないのばっかりだしな。俺だって村じゃ“頭が切れる”って評判だったぜ!」と自慢げに胸を張った。
「頭が切れる……?」シンが首を傾げると、サダカツは笑いながら説明を続けた。「言葉のアヤだよ!俺の頭は物理的には切れてねえ!」
その軽妙な冗談に、シンは思わず吹き出してしまった。
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シンが陰陽科の広場へ足を踏み入れた時、広場全体が薄紫色の光に包まれているように感じた。陰陽科の生徒たちは、広場の中央にある円形の石舞台を囲み、何やら呪文のようなものを唱えたり、手元の符を宙に浮かせたりしていた。その中で一際目立つのは、白い狩衣に身を包んだ黒髪の少女だった。
彼女は広場の奥に腰を下ろし、手にした扇子を軽く揺らしながら、何かを観察しているようだった。その落ち着いた佇まいは、まるで広場全体を支配しているかのような威厳すら漂わせていた。
シンは少し緊張しながら、ゆっくりと広場に足を進めた。気づけば、周囲の生徒たちの視線が自分に集まっているのを感じる。
「なんだ、侍科の新入生か?」 近くにいた陰陽科の少年が冷ややかに呟いた。「侍がここで何の用だ?」
「いや、ただの見学だよ。邪魔はしないから。」シンは慌てて答える。
「見学ならそこに立ってろよ。広場に入るな、陰陽科の術に巻き込まれるぞ。」少年は面倒くさそうに手を振り、再び符に集中した。
シンは言われた通り端に立ち、広場の様子を観察した。呪文の響きと符の舞う様子は、侍科の剣術とは全く異なる世界だった。その光景に目を奪われていると、先ほどの黒髪の少女がシンの方に視線を向けていることに気づいた。
彼女の瞳は紫がかった黒で、何かを見透かすような鋭さがあった。シンが視線を合わせると、彼女は軽く口元を綻ばせ、近づいてきた。
「珍しいわね、侍科の子がここまで来るなんて。」彼女の声は静かだが、その一言一言に芯がある。
「……あ、邪魔しちゃいけないと思ったんだけど、ちょっと興味があって。」シンは少し緊張しながら答えた。
「興味? 面白いわね。」彼女は微笑み、扇子を軽く畳んだ。「あなたの名前は?」
「月影シン……です。」シンは名乗った後、すぐに彼女の名前を聞き返した。「あの、君は?」
「私はユリ。陰陽科の三年生よ。」彼女はあっさりと答えた。その目にはどこか冷静な分析的な光が宿っている。
「三年生……じゃあ、すごい術とか使えるんだろうな。」シンが少しおどけて言うと、ユリは小さく笑った。
「すごい術なんて、どうかしらね。術は道具、使い手次第で善にも悪にもなる。ただ……侍科の子にしては、不思議な気配がするわね。」
「不思議な……気配?」シンは戸惑った。
「あなたの中に眠る力。それがどんなものか、私には少しだけ見える気がする。あなた自身は、それに気づいているのかしら?」
その問いにシンは答えられなかった。自分の中にある力、それが半妖の血によるものだということは知っていたが、それ以上のことは分からなかった。
「……正直、よく分からないんだ。自分の中にある何かが、時々感じられるけど、それが何なのかは……。」
ユリはその答えに少しだけ頷き、再び微笑んだ。「そう。いずれ分かる時が来るわ。でもその時が、あなたにとって良いものかどうかは分からない。」
「良いものかどうか?」シンは彼女の言葉に疑問を抱いた。
ユリはそれ以上答えず、視線を石舞台に戻した。「この学校では、いろんなことが起こるわ。期待しすぎず、でも目を背けないことね。」
彼女の言葉には、どこか含みがあった。まるで、この先待ち受ける何かを予感しているかのようだった。
「それじゃあ、私はこれで失礼するわ。」ユリは再び扇子を広げ、軽く手を振った。そして、石舞台の中央に向かって歩き出した。
シンは彼女の背中を見送りながら、その言葉の意味を考えずにはいられなかった。「いずれ分かる時が来る」とは、一体何を指しているのだろうか。
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午後、大講堂に新入生全員が集められた。広大な空間には、木の香りが微かに漂い、天井近くには幾つもの提灯が吊るされて柔らかな光を放っている。壇上には篠森幻斎校長が立ち、その周囲には侍科、忍科、陰陽科の教官たちがずらりと並んでいた。各科ごとの列に整列した生徒たちは、皆それぞれの思惑を抱きつつ、固唾を飲んで校長の言葉を待っていた。
シンも侍科の列に並びながら、心臓の鼓動を感じていた。この瞬間から、本格的な学びの日々が始まる。隣を見ると、橘サダカツが口元を引き締めて立っており、その隣のカエデは腕組みをしながらどこか不機嫌そうに足を揺らしていた。
「静粛に。」壇上の一人の教官が一声かけると、会場は一瞬で静まり返った。篠森幻斎校長が一歩前に進み、手元の経巻を軽く広げながら、低く荘厳な声で話し始めた。
「新入生諸君――ようこそ、“影廻の秘術学校”へ。」 その声は、広い講堂の隅々にまで響き渡り、生徒たちの背筋が自然と伸びた。
「ここは、侍、忍、陰陽師たちが共に学ぶ場である。しかし、この学校で学ぶ技は、単なる力ではない。それは世を支える力にもなり得るが、破滅を招く力にもなり得る。」
篠森校長の視線が会場をゆっくりと見渡し、生徒たち一人一人を見定めるように動いた。その鋭い目に捉えられた生徒たちは、思わず身を正した。シンもその視線が自分に向いた時、肩に緊張が走った。まるで自分の中を見透かされるような気がした。
「ここでは、半妖や異国の者、特異な能力を持つ者もいるだろう。しかし、この場において、全員が平等であることを忘れるな。」
その言葉が会場全体に響いた時、シンは周囲の視線が一瞬自分に向けられたのを感じた。だが、特にざわめきが起きることもなく、皆が再び壇上へと注意を戻した。それが逆にシンの心を少しだけ落ち着かせた。
校長はさらに続ける。「諸君には、ここで多くの知識と技術を学んでほしい。しかし、それだけではない。この学校では、己の心と向き合い、自らの存在を知ることも学びの一環である。」
壇上の後ろに並ぶ教官たちが頷き、各々の姿勢を正した。その中には、陰陽科のユリの姿もあった。彼女は他の教官と共に静かに立ち、校長の言葉を聞いているようだったが、時折何かを見透かすような目で新入生たちを見下ろしていた。
「最後に――」校長は少し間を置いて言葉を続けた。「この学校には、いくつかの掟がある。それを忘れてはならない。互いを尊重し、力を不正に用いないこと。そして、秘術や秘法に触れる時、その背後にある責任を決して軽んじるな。」
生徒たちは息を呑み、その言葉の重みを感じていた。校長は経巻を静かに閉じ、「以上だ」と短く言い放った。その瞬間、講堂の緊張が少しだけ解けたようだった。
生徒たちがざわめき始める中、シンはその場に立ち尽くしていた。「責任」という言葉が胸に響いた。自分の中の半妖の力は、これからどう活かされるのだろうか。剣助が言った「己を知る」という言葉が、再び頭をよぎった。
その時、カエデが横から低く呟いた。「お前、大丈夫か? なんか顔色悪いけど。」
「いや、ちょっと緊張しただけ……。」シンは苦笑いを浮かべた。
「ふーん。まあ、ここでやってけるかどうかは、すぐに分かるさ。」カエデは肩をすくめて列を離れていった。
その後、教官たちから科ごとの指示があり、生徒たちは講堂を退場し始めた。シンは再び剣助の言葉を胸に刻みながら、大講堂を後にした。
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夕方、寄宿舎の廊下を歩いていたシンは、ふと窓の外に視線を向けた。夕陽が校内を温かい橙色に染め、木々の影が長く伸びている。遠くの道場からは、侍科の生徒たちが素振りをする音が微かに聞こえてきた。
「ここが、これからの俺の居場所なんだな……。」 そう呟いてから窓を閉じようとしたその時、ふと視界の隅に何かが動いた気がした。
「あれは……?」 窓の外、寮舎の裏手にある茂みの中で、一瞬だけ人影のようなものが揺れた。いや、人とは言えない、何か異質な存在感――。
シンは無意識に窓を開け、影を追うように視線を動かした。しかし、次の瞬間、その気配は完全に消え失せた。
「気のせい……か?」 心の中で自分にそう問いかけたが、胸の奥には得体の知れない不安が残っていた。
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その夜、夕食を終えたシンは寮の共同スペースで橘サダカツや他の新入生たちと軽く会話を交わしていた。カエデの鋭い指摘、ユリとの妙な接触、木刀が見せた不穏な気配……それらが一つ一つ思い返され、胸にざわつきを残していた。
「お前、さっきから黙ってるけど、どうした? 緊張してるのか?」
隣に座っていたサダカツが、不意に軽い口調で声をかけてきた。
「えっ、いや、別に……。」シンは慌てて首を横に振ったが、自分の態度が何かおかしかったのかと気になった。
「そりゃ嘘だろ。お前、さっきから顔が固ぇぞ。」サダカツはニヤリと笑った。「俺なんて、道場の見学しただけで胃が縮みそうになったぜ。」
シンはその言葉に少し笑ってしまった。「それでも、お前は余裕そうに見えるけどな。」
「そんなわけねえだろ。心臓なんて今にも飛び出しそうだ。でも、こういう時こそ腹をくくるしかねえんだよ。」サダカツは自分の胸を軽く叩きながら言った。その軽口に少し救われた気がした。
しかし、シンの心には消えない疑念があった。茂みの中の影、剣助が何かを隠しているような態度、そしてユリが口にした「アルドラグ」という名前……。何かが、どこかで繋がっているような気がする。だが、それが何なのか、今はまだわからない。
夜が更ける頃、シンは部屋の窓辺に腰掛け、外の静けさに耳を澄ませていた。遠くでフクロウが一声鳴き、風が竹林を揺らしている。
「この学校で俺は何を知るんだろう……。」 胸の中で静かに呟く。
その時、風が一瞬止まり、奇妙な静寂が訪れた。まるで時間が一瞬だけ止まったような感覚――。シンの瞳が金色に揺れ、彼は何かの囁きを聞いた気がした。
「月と星が揃う時、道が開かれる。」
あの少女が呟いた言葉、鳥居をくぐった時の奇妙な震動、そして剣助の言葉――それらが全て一つの線で結ばれるような感覚がシンを襲う。
見えない何かが、自分を呼んでいる。それが何なのか、今のシンには分からない。ただ、彼の胸の奥で何かがざわめいているだけだった。
その意味を考えようとした時、ノックの音が聞こえた。
「月影シン、いるか?」 ドアの向こうから聞こえた声は、侍科の教官である御影迅のものだった。
「はい、います。」シンは急いで立ち上がり、ドアを開けた。
「明日の朝、陰陽科の教師からお前に直接話がある。妖気制御の件だ。今夜は早めに休んでおけ。」迅は短く告げると、足早に去って行った。
シンはドアを閉め、ベッドに腰を下ろした。胸の中には、新たな期待と不安が混じっていた。ユリと再び顔を合わせることになるのだろうか。
「一体、何が始まるんだ……?」 そんな疑問を抱きながら、シンは夜の静けさに包まれていった。