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8.アンジェラの妹のシーナ

翌日、シーナは自宅に帰ることにした。

朝食を食べ終わって、その足で屋敷の主人である夫人に挨拶をしに行った。


「突然お邪魔したにもかかわらず、楽しい時間をありがとうございました」

「夏季休暇になったら自宅にもいらしてね、待ってるわ」


感じのいい笑顔で見送られたシーナは心が温かくなった、残念ながらもうお会いすることはないでしょうけども。


部屋に戻る途中、シーナはすれ違ったメイドにアンジェラの様子を聞いたが、まだ眠っていると言われた。そのメイドにタクシーを依頼し、部屋に戻ってアンジェラ宛に帰る旨を記したメモを用意した。そして荷物を持ってホールへ向かい、招待客たちの困りごとの為に待機していたメイドに先ほど書いたメモを渡した。


「アンジェラにこれを渡してくださいますか?」

「かしこまりました」

「お世話になりました、どうもありがとう」


メイドに礼を言ったシーナが外に出るとフレデリックが車を用意していた。


「お出かけですか?わたしは帰ります、ご招待くださってありがとうございました」

「君を送っていくんだよ、さぁ乗って」

「わたし、タクシーをお願いしたはずですけど」

「僕が君のタクシー運転手だよ」


フレデリックはそう言ってシーナの持っていた荷物を強引に預かると、車に乗せてしまった。




「有意義な週末になったかな?」


運転をしながらフレデリックはシーナに尋ねた。


「えぇ、そうね。でも驚いたわ、あなたが貴族だったなんて」

「貴族じゃないよ、男爵位を持っているというだけさ」


爵位を持っている人を貴族と呼ぶのよ、とシーナは思ったが口には出さなかった。彼にとって価値のないものであるのなら、彼がそれを認めようとはしないだろうと思ったからだ。


「母に自宅に招待されてたね、どうやら君が気に入ったようだ」

「それは」


アンジェラの妹だからよ、と言いそうになり、慌てて、


「とても光栄だわ」


と言い換えた。


学生時代、シーナの周囲をうろついていたミーハーなクラスメイトとフレデリックの母親を一緒にしてはいけない。彼女はあの素晴らしい屋敷を立派に切り盛りできるような才覚ある女性なのだ。


「夏季休暇が待ち遠しいな」


フレデリックの浮かれた口調にシーナはくすくすと笑った。

今からアンジェラのスケジュールを押さえればちょうどその頃になる。いつだって紳士的な態度を崩さない彼がこんなふうにはしゃぐところを見られたのはある意味、貴重かもしれない。




やがて車はシティへと入り、シーナのフラットに到着した。


「送ってくださってありがとうございました」

「コーヒーをごちそうしてくれると嬉しいな」

「ふふ、いいですよ。どうぞ上がってください」




フラットの安物のソファにとびきりハンサムで爵位を持つフレデリックが座っているなんて不思議な感じがする。


シーナがコーヒーを用意している間、彼は部屋を見渡して言った。


「君らしい部屋だね」

「そうですか?物が少ないってよく言われますけど」

「言われてみればそうだな」

「いずれ帰国するのだから、荷物が少ないのはいいことだわ」


シーナの言葉にフレデリックは少しの間をあけて言った。


「国に帰るの?」

「えぇ。叔父に頼んで代わりの人を探してもらおうと思ってるんです。大丈夫、きっとすぐに見つかるわ」


人のうわさは早い。昨日のパーティーに出席していた誰かは、アンジェラとシーナが姉妹であることを広めてしまうだろう。

そうなったらラボの仲間たちに知られるのも時間の問題で、シーナはまた彼女の付属品になるのだ。それなら母国で暮らしても変わらない。


姉から離れて生きるなど不可能だった。シーナは美しく華やかなアンジェラを心から愛している。彼女を切り離した人生を送るなど、最初から無理な話だったのだ。


シーナの計画を聞いたフレデリックは、そうか、と言ったきり、黙ってしまった。





コーヒーを飲んで帰っていったフレデリックを見送ってすぐ、シーナは叔父に電話をかけ、交代要員を探すように依頼をした。


「急にどうしたんだい?楽しそうにやってたじゃないか」

「えぇ。でもやっぱりわたしは国で生活したほうがいいと思ったの。お母様をひとりにしてはいけないと思って」

「君がまた一緒に住むとなれば姉さんは喜ぶだろうけど。シーナは本当にそれでいいのかい?」

「えぇ、もう決めたことだから」





週明け、ラボに出勤したシーナを同僚のひとりが捕まえた。


「やぁ、シーナ。君のお姉さんがアンジェラ・ブラントだってどうして秘密にしてたんだい?」


こんなに早くばれてしまうとは!

やっぱりアンジェラ・ブラントは誰もが注目する世界的な女優なのだ。


「別に言いふらすことでもないと思ったから」

「このラボでパーティーを開いたらアンジェラを連れてきてくれるかな?」

「難しいと思うわ、彼女はとても忙しいひとだから」

「でも君はアンジェラの妹なんだろう?可愛い妹のおねだりなら聞いてくれるんじゃないか?」

「無理よ、ごめんなさい」


シーナはそう言って自分の部屋へと入り、ドアに『考え中、入室禁止!』の札を出してから扉を閉めた。


「いつかはこうなるってわかってたじゃない」


シーナはひとりになった部屋の中で小さくつぶやいた。








あれからひと月が経ったが未だに交代要員が見つかっていない。この国の古文書学は世界トップクラスで、ここで学びたいと考える学者は多いはずだ。

それなのに叔父は電話のたびに、


「まだ見つからなくてね」


と言うのだ。


アンジェラの映画は間もなく公開となる。その宣伝の意味もあるのだろうが、彼女は連日、ゴシップ紙を賑わしている。それによると彼女の結婚は秒読みらしい。

相手がフレデリックだとしてもシーナは驚いたりしない、笑顔で祝福すると決めているのだから。






新年祭。この日は誰もが午前中で仕事を終わらせて、午後はその準備をし、祭りの開始に備えるのが習わしとなっている。

夕方のセレモニーを皮切りに開催となり、人々は会場に行ったり、テレビの前で中継を見て仲間たちと集まってお祝いする。


そんな慌ただしい日に休暇中のフレデリックとアンジェラが揃ってラボにやってきた。


ラボの皆は人気女優の突然の来訪に浮足立っている。


「あの、サインを頂けますか?」


勇気を出してサインをねだった同僚にアンジェラはにっこりと微笑んだ。


「えぇ。でもまずはシーナと話をさせてくださいます?」

「あぁ、そうですよね。どうぞこちらです」


同僚のひとりがアンジェラを案内してきたのだが、その後ろに大勢の仲間たちがぞろぞろとついてきていることにシーナは驚いた。


「シーナ、会いたかったわ!」


アンジェラはシーナをしっかりと抱きしめた。そのとき彼女が見せた、飾らない笑顔に何人かの男性の頬が染まったことに気づいたシーナは慌ててドアを閉めた。アンジェラの魅力に心を奪われて、報われない恋心を抱くひとを増やしてはいけないと思ったからだ。


「急にどうしたの?連絡をくれたらわたしから会いに行ったのに」

「シーナと話がしたいって言ったらフレデリックがここに連れてきてくれたの」


ふたりは連絡を取り合っていたのだ。それはそうだろう、彼らは恋人同士なのだから。


「話ってなぁに?」


努めて冷静さを装ってシーナが言うと、アンジェラは女学生のように頬を染めて言った。


「わたし、結婚するの」

「まぁ、おめでとう」


シーナの返事にアンジェラは不満そうな顔をした。


「ちっとも驚かないのね」


アンジェラはフレデリックと付き合っていることを隠していたつもりだろうが、シーナは既に知っていた。今更、驚いたりはしない。


「あなたたちがお付き合いしてるって気づいていたから」

「え?そうだったの?なんだか恥ずかしいわ」

「ふふふ。それで式はいつになるの?」

「半年後よ。わたしのスケジュールはいつだって半年先まで埋まってるって知ってるでしょう?

もちろん出席してくれるわよね?」


探るようなアンジェラの声色にシーナは笑顔で応じた。


「えぇ、必ず行くわ」


そこでドアがノックされ、外を見るとフレデリックが立っていた。


「話は終わった?」

「えぇ、あなたのおかげで一番にシーナに報告ができたわ。ありがとう」

「お安い御用さ」


彼は彼で所長に結婚の報告に来たのだろう。改まって報告することでもないが、相手がアンジェラではラボの周辺も騒がしくなる。所長への報告は彼なりの配慮の結果なのだ。


「もうそろそろ時間だよ」


フレデリックに促されてアンジェラは帰ろうとした。


「あの、サインを待ってる同僚の幾人かに書いてあげてくれない?」

「あぁ、そうだったわね」


シーナの口添えでサインをもらえたひとたちは大喜びしている。


「これからはしょっちゅう来ますから、また今度書きますね」


彼女がフレデリックの妻になったらラボに顔を出す機会も増える。アンジェラはそれを見越して言っているのだ。


アンジェラはフレデリックと一緒に帰っていった。


「ねぇ、彼女、なんの用事だったの?」


そう聞かれてシーナは少し迷ってから答えた。


「そのうち発表になると思うけど、彼女、結婚するんですって」

「えぇ、そうなの?!」

「相手は誰だろう」


美しいアンジェラの相手がフレデリックだと知ったら彼らは釣り合わないと憤慨するだろうか。でも彼の実状は男爵位を持つ貴族だ、世界的な女優の相手に相応しいだけの身分を持った男性である。


アンジェラが結婚したらわたしにも恋人ができるかしら、とシーナは考えたが、すぐにその考えを打ち消した。

彼女は未婚だろうが既婚だろうが、人を惹きつける魅力がある産まれながらの女優なのだ。彼女を紹介してほしいという男性がいなくなるとは思えず、フレデリックの結婚生活は大変になりそうだと思った。






午前中で仕事を終えたシーナはフラットに帰宅し、昼食もそこそこに料理に取り掛かった。

このフラットの家主であるメーガンからパーティーに誘われていて、いくつかの料理を差し入れする約束をしているからだ。


オーブンで鶏料理を焼いているときに呼び鈴がなった。たぶんメーガンが料理を取りに来てくれたのだろう。


「開いてます、どうぞ」


シーナはオーブンを覗き込んで焼き加減を確認してから立ち上がるとそこにはフレデリックがいた。


「まぁ、あなただったのね。どうしたの?」

「新年祭は君と過ごそうと思って。迷惑だったかな?」

「そんなことはないけれど」


アンジェラは放っておいていいのかと聞きたかったが、そのとき、ちょうどメーガンが料理を取りにきた。


「あら、シーナのお友達?夕方からうちで新年のパーティーをするわ、よかったらいらしてね」

「ありがとうございます。後ほど、お会いしましょう」


シーナが口をはさむ間もなく、彼も彼女の家で開かれるパーティーに参加することが決まってしまった。




この国の風習として新年祭の開催宣言と同時に、パートナーと口づけをすることになっている。一年間を無事に過ごせたことへの感謝と、新しい年もたくさんの幸福が訪れるようにと願いを込めるのだ。

シーナの今夜のパートナーがフレデリックということになってしまったら、彼はアンジェラではない女性と口づけをしなければならないことになるのだが、それはいいのだろうか。


シーナはパーティーにひとりで行くつもりだった。パートナー不在なら口づけの風習は適応されないからだ。

フレデリックはこの国の人間ではないけれど、彼の母親がこの国に別荘を持っているくらいだから、この風習を知らないはずはない。

彼がどういうつもりでシーナとの同行を申し出たのか、全く見当がつかないシーナだった。

お読みいただきありがとうございます

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