7.コナー家で過ごす休日
パーティーがお開きになったのは深夜を過ぎた頃で、夫人の勧めもあってシーナとアンジェラは数日、屋敷に泊めてもらうことになった。
翌朝、早起きをしたシーナは使用人に断りを入れて庭を散歩することにした。
手入れの行き届いた庭園の背景に朝日を浴びた屋敷が輝いている。美しい風景をうっとりと眺めていると、少し先に庭師が見え、彼はなにやら熱心に手を動かしていた。
気になったシーナは彼に声をかけみることにした。
「おはようございます」
「おはようございます」
シーナの声掛けに彼はかぶっていた帽子を軽く上げて礼儀正しく挨拶を返してくれた。どうやら気難しい男性ではないようだ。
「なにをしているんですか?」
「つぼみを取っています」
「え、つぼみを?」
驚いたシーナに庭師は説明してくれた。
「余計な花が咲かないようにするんです、そうすることで栄養がひとつに集中しますから。このあたりに植えてあるものは花瓶に生ける為のバラなので、奥様ご要望の大きくて豪華な花が咲くようにしているんですよ」
「そんな作業をしていたなんて知らなかったわ」
「小さい花がたくさん咲く種類のバラでもあまりにたくさんつぼみがついてしまったら取ります、花も葉も適量がありますからね」
「この庭にはたくさんのバラが植わっているわね」
「世界最古のバラと言われる野ばらも育てていますよ」
「まぁ、是非、見てみたいわ」
シーナの希望に庭師は笑った。
「この辺の山には自生していますよ、良かったら場所をお教えしましょう」
庭師の説明に耳を傾けているところにフレデリックがやってきた。
「楽しそうだね」
「おはようございます、バラについて教えて頂いてました」
「そう」
つまらなそうな顔をして返事をしたフレデリックを見て、シーナは彼がアンジェラを探しているのだと気づいた。
「アンジェラをお探しですか?彼女はまだ眠っていると思います、低血圧で朝が弱いので」
「いいや、君に用があったんだ」
「わたしに?なんでしょう?」
「朝食はまだだろう?食べながら話をしよう」
「えぇ」
シーナは庭師に礼を言って、先を行くフレデリックの後を追った。
ダイニングに入ると幾人かの宿泊客がそれぞれのテーブルで朝食をとっており、シーナとフレデリックが空いている席に座るとすぐ、給仕がされた。
向かい合って食事をしている間、フレデリックは宣言通り話をしたが、それは大して重要そうでもない考古学や遺跡のことばかりだった。
話しにくい内容なのだろうか、と考えたシーナはこちらから水を向けてみることにした。
「それで、お話ってなにかしら?」
シーナの問いにフレデリックは微笑みを返した。
「別に。君とただ話をしたかっただけだ、昨夜の君はアンジェラにべったりだったからね」
それは当然だ。アンジェラの通訳役としてシーナをここに連れてきたのはフレデリックのくせに、彼は何を言っているのだろう。
しかし彼が今、語った内容は専門的なことばかりだったから、シーナくらいしか話を聞いてくれそうなひとがいなかったのかもしれない。
食後のコーヒーが提供されたタイミングでシーナは言った。
「わたし、今から出かけますので姉をお願いします」
「どこに行くの?」
「庭師の方に最古のバラの生息地を教えてもらったんです、せっかくだから自生の様子を見てみたいと思って」
「それなら僕も行こう、道中に少し危険な箇所があるんだ」
「でしたら庭師についてきもらうわ」
シーナが断りを口にするとフレデリックは、
「僕では不安?」
と、とても優しい声色で言った。
「そういうわけではないけれど」
妙に甘ったるい口調にどぎまぎしながらシーナが答えると彼は言った。
「じゃぁ決まりだね。歩きやすい服装に着替えてくるといい、三十分後に出発しよう」
フレデリックと別れて部屋に戻る途中でシーナは起きてきたアンジェラに会った。
「おはよう」
「おはよう、シーナ。なんだか楽しそうね」
「今から山に自生している最古のバラを見に行くの、アンジェラも一緒にどう?」
シーナの誘いにアンジェラは困った顔をする。
「行きたいのは山々だけど、日焼けしたら事務所に嫌な顔をされるから」
「でもフレデリックも一緒なのよ?」
そう言えば同行を決意すると思ったのにアンジェラは、
「うーん、それなら行きたいけど。まぁ、今回は止めておくわ、楽しんできてね」
と言ってダイニングへと歩いて行ってしまった。
断られたことにシーナは驚いてしまう。ふたりは喧嘩でもしたのだろうか、パーティーではそんな素振りはなかったように思うが。
よく分からなかったがフレデリックを待たせては悪いと思い、シーナは急いで自分に与えられている部屋へと戻り、支度をした。
庭師の教えてくれた生息地への道のりは、フレデリックが言ったように危険のあるものだった。
「ここを進んでいくんだ」
フレデリックの視線の先を見てシーナは思わず、嘘でしょ、とつぶやいた。
登ってきた斜面の反対側は雨風で浸食され、崩壊していた。
「以前は稜線に道があったんだが今は少し下に道が作られた。こちら側は崖だから触れないように。体を支えたいなら反対側の木を頼って」
「わかったわ」
シーナはフレデリックのうしろを慎重に歩いていき、やがて元々あった山道に合流した。安堵のため息をついたシーナにフレデリックは笑った。
「もう平気だよ、君は勇敢なんだね」
「そんなんじゃないわ、自生のバラが見てみたいだけよ」
それからしばらくして目的の場所へとたどり着いた。生い茂る草の中に可愛らしい小さな白い花があちこちで咲いている。バラというよりはイチゴの花に近く、事前に知っていなければバラの起源だとは分からないと思う。
「辺り一面に咲いているわ」
「太古の昔から現代にまで残っているんだ、意外に強い品種なんだろうね」
周囲の眺めを楽しんでいるシーナにフレデリックが言った。
「ここから近いところに景色のいい丘があるんだ、サンドイッチを持ってきたからそこで食べないか?」
「いいわね、行きましょう」
フレデリックの案内で丘を目指すことになった。
それから一時間ほど歩いてふたりは丘へとたどり着いた。吹き抜ける風は心地よく、眼下には街が見える。
「素敵な眺めだわ」
シーナが景色を楽しんでいる間にフレデリックは持ってきた敷物を敷いて、背負っていたリュックから食べ物を取り出した。先ほど朝食をとったのにもうお腹が空いている。
「いつの間にこんなご馳走を用意したの?」
「朝、起きた時にキッチンに頼んでおいたんだ。いい天気になったから、君とピクニックに出かけたら楽しいだろうと思って」
残念ながらアンジェラは外遊びができない。彼女はスタッフから日焼けしないようにきつく言われているし、虫刺されも厳禁だ。年中、発掘現場の泥と土にまみれていても平気なシーナとはわけが違う。
フレデリックがこういった野外活動を好むのならアンジェラと結婚しても彼はあまり楽しめないかもしれない。だからといって、シーナがアンジェラにとって代われるなどとは考えていない。
彼の心をとらえて離さないアンジェラの代わりなど誰にもできない、あれほど美しいひとは世の中にそういないのだから。
広げられた食べ物のほとんどを平らげたふたりは屋敷に戻ることにした。
「帰りは別のルートを通るよ」
「そうしてもらえると助かります、もうあの崩壊した斜面は通りたくないわ」
帰りは穏やかな道のりであれこれと話をしながら歩くだけの余裕もあった。やがて屋敷の前に到着し、シーナはフレデリックに礼を言った。
「お付き合いくださってありがとうございます、とても楽しかったわ」
「僕も楽しかったよ」
そこにアンジェラがやってきた。
「おかえりなさい、バラはどうだった?」
「可愛らしい花がたくさん咲いていて綺麗だったわ、そのあと景色の良い丘で休憩をして帰ってきたの」
「楽しそうね、わたしも日焼けを止められていなかったら一緒に行けたのに」
アンジェラは残念そうな声をあげてからフレデリックに言った。
「ところで、今夜、近くの街で集まりがあるんですって?」
「あぁ、地元の名士が集まるんだ。今いる宿泊客のほとんどが参加するし、僕も行くつもりだよ」
男爵の彼が招待されているのは当然だろう。
「わたしも参加しても平気かしら」
「もちろん。アンジェラ・ブラントが来たら皆、驚くだろうな」
いたずらを思いついた子供のような顔でフレデリックが笑った。
そのあと三人はそれぞれの部屋に引き取った。シーナはシャワーを浴びて汗を流したあと、お行儀悪くバスローブでベッドの上に寝転んでくつろいでいると、部屋のドアがノックされた。
「どなた?」
「シーナ、わたしよ」
声の主がアンジェラであった為、シーナはそのままの格好でドアを開けた。
「まぁ、シーナ。まだ着替えてないじゃない。パーティーに遅れてしまうわ、早く着替えて」
アンジェラはバスローブ姿のシーナに声をあげたが、シーナは落ち着いて言った。
「ごめんなさい、今日は疲れたからパーティーは欠席します」
「そんなの困る、わたしは言葉が分からないのよ?」
「きっとフレデリックが付き添ってくれるわ。もう出たほうがいい時間よ、どうぞ楽しい夜を」
シーナはそう言ってドアを閉めた。
今夜のアンジェラの装いも素晴らしいものだった。きっと彼女はパーティーの主役になるだろう。その傍に垢抜けない妹がいては彼女の美しさが霞んでしまうわ。
屋敷の前から何台もの車がひっきりなしに出発していったが、それもなくなった頃、シーナは夕食の為にダイニングへと向かった。
この屋敷ではいつでも誰でも食事を楽しめるようにと常にその準備がされている。
シーナがダイニングに入ると既に何組かのひとたちが食事を始めていた。彼らも今夜のパーティーをパスしたようで、居残りしたのが自分だけではなかったことにどこかほっとしたシーナだった。
空いている席に座ろうとしたシーナにメイドのひとりが声を掛けてきた。
「ミス・ブラント、別室にお食事の用意をしてございますので、どうぞこちらへ」
「そうなの?でも、わたし、こんな恰好ですし」
晩餐には正装が求められる。ひとりでさっと食事をしようと思っていたシーナは人前に出ても恥ずかしくない程度のワンピースを着ているだけだ。
「格式ばったものではございませんのでお気になさらず」
そう言ってにっこりと微笑んだメイドに案内された部屋の中ではフレデリックが待っていたが、ありがたいことに彼もラフな服装をしていた。
「どうぞ座って」
彼はそう言うとシーナの為に椅子を引いた。
「ありがとう」
シーナは礼を言って座り、正面の席に彼が座ったところで口を開いた。
「パーティーにはいらっしゃらなかったんですね」
「今夜はゆっくり過ごそうと思ってね」
「アンジェラにあなたがエスコートしてくださるはずだと言ってしまったわ、言葉が分からなくて困っていないといいけど」
シーナの心配事にフレデリックが答えた。
「それなら僕の知人に頼んであるから心配はいらないよ」
「じゃぁ安心ね。アンジェラは華やかなことが好きだから、きっと楽しい夜になるわ」
良かったと微笑んだシーナにフレデリックは苦笑する。
「君は本当にアンジェラのことばかりだな」
「そうよ、だってあなた、あんなに美しい人を見たことがあって?
わたし、アンジェラが大好きなの。あなただってそうでしょう?」
「ああ、そうだね」
フレデリックの浮かべる穏やかな笑顔にシーナはこれが彼の本心だと悟った。
だったらピクニックというチョイスは間違っていると助言しようとしたが止めておいた、お節介だと思ったからだ。
彼もアンジェラに好意を抱いている、それがわかっただけで今は良しとしよう。
お読みいただきありがとうございます