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4.女優アンジェラ・ブラント

それから数日をかけて遺跡を巡ったり、その周辺にも足を延ばしたりした後で、ふたりは現地にほど近い街へと移動した。

この出張は少しばかりの休暇を兼ねており、残りの数日は街でのんびりしようということになったのだ。


街で唯一のホテルにチェックインするとシーナはまず入浴を楽しんだ。

発掘現場は様々な発見に溢れていて興味は尽きないが、湖での水浴びくらいしか体の汚れを落とす機会がない。

たっぷりとお湯を張って時間をかけて入浴を済ませたシーナが部屋に戻ると、ちょうど電話が鳴った。


「ハロー?」

「やぁ、シーナ。僕だよ」


電話の相手はフレデリックだった。


「さっきから電話していたんだが、出かけていたのかい?」

「あぁ、ごめんなさい。お風呂に入ってたの。久しぶりだからゆっくりお湯につかりたくて」

「わかるよ、僕も部屋に入って一番にシャワーを浴びた」

「それで、ご用件は?」


シーナの問いにフレデリックが言った。


「せっかくの休暇だし、よかったらディナーをどうかと思って」

「無理よ、ドレスを持ってきていないもの」


ディナーを提供できるようなきちんとしたレストランはドレスコードが設けられている。シーナにはそのつもりはなかったから、相応しい服装を持ってきていない。



「ホテルにレンタルが用意されてるよ」

「でも」

「いいじゃないか。それとも君は外出を一切せずに部屋に籠って休暇を楽しみたいタイプ?」

「そうじゃないけど」

「じゃぁ決まりだ、一時間後にロビーで会おう。ホテルのブティックでドレスに着替えて、そのままディナーと洒落込もうじゃないか」


だらしない人間だと思われたくなくて咄嗟に否定してしまってから後悔した。フレデリックは一方的に予定を決めてしまう。


「ちょっと」

「またあとで」


ガチャンという音の後にプープーという音が続いた。

シーナはフレデリックに掛けなおそうとダイヤルに手を伸ばしたが、思い直して受話器を置いた。

彼は意外と強引なところがある。今夜のディナーを断ったとしても、きっとまた誘ってくる。休暇は三日ほど取ってあるのだから。


ディナーに出かけるのならヘアスタイルやメイクもそれように整えなければならない。なんとなくウキウキとした気分になってドレッサーの前に座ったシーナは慌ててつぶやいた。


「嫌なことはさっさと済ませる、ただそれだけよ」


シーナは自分にしっかりとそう言い聞かせてから身支度を始めた。









フレデリックに指定された時間にロビーに向かうと、彼はきちんとしたスーツを身に着けてソファに座っていたが、シーナの姿に気づいて立ち上がった。


「お待たせしました。もう着替えたんですか?」

「男性はサイズを伝えるくらいしかないからね」


それでなくてもハンサムな彼なのにスーツ姿だとさらに素敵だった。その証拠にロビーにいる女性たちは彼から目が離せないようで熱い視線を送っている。


「こっちだよ」


それに気づいているのかいないのか、彼はさりげなくシーナの肩を抱いて、ホテルに併設されているブティックへと案内した。

彼がシーナの肩を抱いたことで女性たちから注がれる視線が彼女へと移り、厳しいものへと変わった。敵意に満ちた視線に辟易しながら、シーナは足早にロビーを出た。





「いらっしゃいませ」


ふたりが店に入ると店主と思われる女性が笑顔で出迎えてくれた。


「彼女にドレスを選んでやってくれないか?」

「かしこまりました」


店主はいくつかのドレスをシーナの前に出し、


「お好みはございますか?」


と言う。


レンタルなのに数種類のドレスを用意してあるなど、サービスが行き届いている。


「これにします」


シーナは無難なデザインの暗めの色のドレスを選んだのだが、それにフレデリックが反対した。


「君にはもっと明るい色が似あう」


彼はそう言って周囲を見渡すと一着のドレスを手に取った。


「これはどうかな?」


それは、冬晴れを思わせるような優しい水色の生地に銀色の刺繍が施されているドレスだった。

一目見てシーナも気に入ったのだが、この素敵なドレスがレンタルできるとは思えない。


しかし店主はにっこりと微笑んで、


「きっとお似合いになりますわ」


と言い、フレデリックからドレスを受け取ると奥に案内してくれた。店員から試着室に通されたことでこれもレンタル可能なのだとシーナにも分かった。


シーナは手早く着替えを済ませ、鏡に映る自分を眺めた。

普段、シーナは着飾ることはあまりしていない。それは美しい姉のアンジェラと比較されたくなかったからだ。どんなに美しい女性でも彼女の横に並んだら霞んで見えてしまうのに、シーナなどかなうはずもない。それが分かっているからシーナは同じ土俵に乗らないようにしてきたのだ。


しかしシーナは紛れもなくあのアンジェラの妹であり、美人の部類に入る顔だちをしている。女優らしく背が高く、どちらかといえば骨太のアンジェラより、華奢で清楚な雰囲気のあるシーナのほうが好ましいと思う男性は多いだろう。

しかし姉の陰に隠れるような生き方をするしかなかったシーナに自らの美に気づく機会はなく、今、こうして鏡を眺めていても、やはり自分はあの美しいアンジェラとは違うのだ、としか思えなかった。



「いかがですか?」


試着室の外から声を掛けられたシーナは、思考に沈んだ気分を慌てて追い払うと外に出た。


「どうでしょうか」


外で待っていた店員とフレデリックはシーナのドレス姿に目を輝かせた。


「とてもお似合いですわ」


そう言ったのは店員のほうで、彼女は手に持っていたパンプスをシーナの前に置いた。


「履物はこちらがよろしいですわ」


それを履いて鏡の前に立ったシーナだったが、どうにも居心地が悪い。


「肩口が開き過ぎじゃありませんか?」


シーナの苦情にフレデリックは目を細めて、近くの棚においてあったオーガンジーのストールを手に取って広げると、そっとシーナの肩にかけた。


「これなら安心だ」

「そうですね」


シーナの笑顔にフレデリックはポケットからネックレスを取り出して、


「これをつけるといい」


と、シーナの首にそれをつけてくれた。


それは一粒ダイヤの上品なネックレスでレンタル品にしては豪華すぎており、たぶん彼が個人的に持っていたものを貸してくれるのだろう。

遺跡の出張にダイヤのネックレスは必要ないようにも思えるが、彼くらいの色男になると急に女性と出かける機会も多数あるのかもしれない。女性が困らないようにアクセサリーを持ち歩くなどまめまめしい人だ。


「ありがとうございます」


シーナは素直に礼を言い、笑顔の店員に見送られて、フレデリックのエスコートで最上階のレストランへと向かった。






レストランに入ると待っていた給仕係の男性は、


「コナー様ですね?お待ちしておりました」


と柔和な笑顔でふたりをリザーブ席まで案内してくれた。



「こちらのお席でいかがでしょうか」

「とても素敵だわ」


シーナは窓から見える景色を称賛した。ラボのある都市よりはずっと小さな街ではあるが、暗い森の中に浮かぶように輝く街はまるで不夜城のように美しかった。

感動するシーナの後ろでフレデリックは食前酒のオーダーをしてから彼女の隣に立った。


「まるで砂漠の中のオアシスのようだ」

「まぁ、砂漠の国に行ったことがあるの?」

「我が家のルーツでね」

「そうなの、知らなかったわ」


シーナは誰ともプライベートな話をしないように気を付けている、それは自分がそれを明かしたくないからだ。女優のアンジェラ・ブラントが姉だということは誰にも知られたくはなかった。

だからこういった話にならないように気を付けていたのだが、思わぬところで話題に上がってしまった。


「君の出身は遠い国だったか」

「知っていたのね」

「ブラント博士の姪だと聞いたから」

「叔父の推薦でラボに来たのよ」


心臓がバクバクと嫌な音を立てた。シーナの姉がアンジェラだと勘づいただろうか。


「ブラント博士は素晴らしい学者だ、いつか紹介してもらえないかな?」

「叔父様を?」

「そうだが?僕はなにか変なことを言ったかな?」


シーナは思わず聞き返してしまい、それにフレデリックは首をかしげている。


「いいえ、もちろん。機会があればご紹介します」


今までアンジェラを紹介してくれと頼まれたことしかなく、叔父への紹介を頼まれたことは一度もない。そのせいでつい、叔父でいいのか、と聞き返してしまった。フレデリックはシーナとアンジェラの関係を知らないのだから紹介を頼めるわけがないのに。




「シャンパンをお持ちしました」


給仕係の声掛けでふたりは席に着くことにした。

フレデリックはシーナの椅子を引き、彼女を座らせてから自分も席につくと、グラスを手にした。


「この素晴らしい夜に乾杯」

「乾杯」


軽くグラスを掲げてから口にしたシャンパンはしっかりと冷えていておいしかった。





フレデリックとふたりでおいしい食事と綺麗な景色を楽しみながら食事を進めていると急にレストランの外が騒がしくなってきた。


「なんだろう?」


フレデリックが訝しげな顔で入口を見た為、シーナも振り返ってそちらに顔を向けた。

するとそこには濃い色の大きなサングラスを掛けた女性が幾人かの男性と一緒に入店してきたところだった。


「あれは」


シーナが息を止めるのと、彼女が気が付いて大声を上げるのは同時だった。


「シーナ、まぁなんてこと!わたしよ、アンジェラよ!」


かけていたサングラスを取り、喜びに輝く瞳をシーナに向けて駆け寄ってきたのはアンジェラだった。


「アンジー、こんなところで会えるなんて」


シーナは動揺を悟られないように努めて落ち着いた声でそう言った。


「映画の宣伝で世界中を回っているの。ここは小さな都市だからパスする予定だったんだけど、あなたに会えると分かっていたら真っ先に飛んできたのに」


弾む声でそう言ったアンジェラはちらりとフレデリックに視線を向けた。


「こちらの方は?」

「フレデリックよ、職場の同僚なの」


それから彼に向かって言った。


「姉のアンジェラ・ブラントです」


フレデリックの浮かべている表情にシーナは、自分がまたアンジェラの付属品になってしまったことを理解した。だとしても、やはりこの美しい姉を誰かに紹介するときは誇らしさも感じてしまう。

結局、シーナもアンジェラを心から愛しているということなのだろう。


「初めまして」


ふたりは初対面の握手をしたあとで、アンジェラが言った。


「騒がしくしてごめんなさい、シーナに会えたから嬉しくなってしまったの」

「仲がいいんですね」

「そうよ、わたしたちは仲良し姉妹」


フレデリックの言葉にアンジェラはそう言ってシーナに抱きつき、シーナは困ったような顔を浮かべながらも抵抗はしなかった。


「アンジェラ、そろそろ」


三人のやり取りを見守っていたスタッフのひとりが遠慮がちに声をかけた。アンジェラは売れっ子の女優だ、彼女のスケジュールは分刻みで決まっている。


「シーナはいつまでこの街にいるの?」

「明後日にはチェックアウトするわ」

「良かった!じゃぁ明日の午前中にわたしの部屋に来てくれる?少ししか時間がないけど、話をしたいの」


姉だとわかっていても、美しい女性から腕にすがってのお願いをされては断れない。


「いいわ」


シーナの返事にアンジェラを目を輝かせて言った。


「スタッフには話をしておくから。必ず来てね、きっとよ!」


アンジェラは多くのセキュリティに囲まれてレストランの奥へと移動していったが、後に残されたふたりは周囲からじろじろと遠慮のない視線にさらされてしまう。


「もう出ようか」

「ごめんなさい」


諦めたように言ったフレデリックにシーナは謝罪をし、彼は黙って首を左右に振った。

お読みいただきありがとうございます

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