2.新しい同僚
「シーナ、次の資料が届いたわよ」
同僚の女性がシーナの部屋に封筒を持ってやってきた。
「ありがとう、わざわざ届けてくれたの?」
「来週からここで働く新しい仲間が今、来てるのよ。手が空いてるなら挨拶をしたらどうかと思って」
「そう、わかった。行ってくるわ」
シーナがこの国で働くことになったのと同じように、ラボでは人手不足を補うべく、毎週のように仲間が増えていっている状況だった。
本来なら歓迎会を開くべきだろうが、こう頻繁ではパーティーばかりしていることになってしまう為、今は開催を控えている。
それでも歓迎の意を込めて顔合わせの挨拶に来たときは、できる限り多くの人が集まることにしているのだ。
エントランスホールにはすでにたくさんの同僚が詰めかけており、その中心には背が高く、すらりとした体躯のハンサムな男性がいた。
「皆、集まったか?紹介しよう、来週からラボに来てくれるフレデリックだ。
他国で活躍していた彼を我が国のスカウトマンが引き抜いてきた。優秀な頭脳がまたひとつ我らがラボに加わったことを喜んでほしい」
所長が彼を紹介し、それを受けてフレデリックが言った。
「フレデリック・コナーです、皆さんと一緒に働けることを嬉しく思います」
低くて落ち着いた彼の声に女性陣はうっとりと聞き入っている。
シーナのすぐ隣にいた同僚の女性が耳打ちをした。
「すごい美男子ね、目の保養だわ」
彼女は既婚者で、なんなら夫もこのラボで働いている仲間だ。そんなひとでさえ彼には魅了されるらしい。
「そうね」
苦笑しながらシーナが答えると彼女は驚いた顔をする。
「ハンサムくんには興味がないの?あなたは未婚なんだから、彼とお近づきになっても問題ないのに」
「わたしは美人じゃないもの、彼とは釣り合わないわ」
実際のところ、アンジェラを姉に持つシーナが不美人であるはずがなかった。しかし美しすぎる姉と比べられたくなくて、彼女はできるだけ地味な髪型、地味な服装を選んでしまうのだ。
きちんと着飾ればその辺の女性たちよりもずっと綺麗になれる素質を持っているのにそうしないことを、この同僚の女性は不思議に思っていた。
しかし、人にはそれぞれ事情がある。同僚の女性は出かかった言葉を飲み込んで、
「シーナは美人よ」
とだけ言ったのだった。
翌週からラボに勤務し始めたフレデリックだが、彼をめぐってちょっとした争いが起こってしまった。
このラボでは、どんなに著名で優秀な学者でも、最初のプロジェクトだけはどこかのチームに所属することになっている。ここの人間関係を把握し、やり方を学ぶためだ。
そして、彼をどのチームに所属させるかで女性陣がもめたのだ。
見目麗しい男性とお近づきになりたいのはわかるが、仕事は別だと思う。
シーナは争いの内容を聞いて内心で呆れたが、平均より学力が高くノーブルな彼女たちでも女学生のような振る舞いをすることがあるのだと、どこか可愛らしいとも思った。
だが、そんな余裕の思考もフレデリックのチームが発表されるまでだった。
シーナが自分の部屋で仕事をしているとドアがノックされた。入口に立っていたのは所長でその後ろにはフレデリックがいる。
「どうしました?」
シーナが手を止めて声をかけると所長が言ったのだった。
「フレデリックを君のチームの配属にしたいんだが、いいかな?」
「あ。はい」
一瞬の間をおいてシーナは承諾を口にした。
不純な動機で彼を自分のチームに入れたい女性は大勢いただろうが、そんなところに配属させるなど所長として許可できなかったのだろうし、本人も嫌がったのだろう。
シーナはフレデリック獲得の争いには参加していなかったが、もう間もなくメンバーのひとりが産休にはいってしまう為、人員の補充希望は出していたのだ。
シーナの返事に所長はほっとした顔をしている。
「シーナ・ブラントです、よろしくお願いします」
シーナはフレデリックに自身の名前を告げ、握手のために右手を差し出した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
彼はその手を握り、礼儀正しく挨拶をした。
その日はチームメンバーと進捗確認の日だった。
押さえておいたミーティングルームに入ったシーナが準備をしているとフレデリックがやってきた。
「手伝うよ」
「ありがとうございます」
シーナが資料をそれぞれの席に配っている間、フレデリックはカーテンを閉めてプロジェクターを調整している。
そこに他のメンバーたちが合流した。
「やれやれ、やっと解読が終わったよ」
「わたしはまだ道半ば。先は長いわ」
それぞれが軽口をたたきながら席に着き、最後のひとりが部屋に入ったところでシーナはドアを閉めながら言った。
「では進捗確認のミーティングを始めます」
叔父からの話があったようにシーナは石碑の解読をメインに動いており、何人かのメンバーに同じ仕事をしてもらっている。
大きな石碑であれば数人で分担して解析するし、小さなものであれば一人に依頼する。それぞれが読み取った内容を週に一度、報告しあい、他部分の内容が判明することでより理解が深まるのだ。
最初からひとりですべてを解析するほうが理解が早いのだが、それでは時間がかかってしまう。それに一枚に見えても実は大きな石碑が割れ、一部分になっている場合もある。
すべてがそろっていなければ解読ができないようでは困る、石碑は太古の昔の資料、他の部分が見つからないことなどざらにあるのだ。
細かな内容にこだわるよりまずは解読することが作業効率を上げるカギであり、シーナのチームではそれを実践しているのである。
「なるほど、俺が担当したのは農耕の部分で君は産業について書かれていたのか」
「ここだけだとなんの道具を作っているのかさっぱり分からなかったけど、農機具だと言われたらなるほどと感じる部分もあるわ」
彼女はそう言って、プロジェクターに映し出された写真の一部分を拡大し、どこにその記載があったかの説明をし始める。
それにフレデリックが言った。
「その単語は僕の担当部分に何度も出てきたな、残念ながら意味は書かれていなかったが」
「わたしの担当にはなかったわ」
「俺も見てないな」
それぞれの発言が落ち着いたところでシーナが声を上げた。
「キーとなる言葉かもしれないわね。アニー、ざっくりでいいから全体を洗ってくれない?」
「リックにも手伝ってもらっていいかしら?」
指名を受けた彼のほうを見れば小さくうなずいてくれている。
「いいわ、洗い出しはアニーとリックにお願いします。他のみんなは引き続き、石碑の解読を進めてください。
わたしはこの解読結果をひとつの文章にまとめてみるわ」
シーナの締めの言葉でミーティングは解散となった。それぞれが与えられている部屋へと戻っていく中でアニーがシーナに声をかけてくる。
「リックと共同で作業ができる部屋が欲しいわ」
「そうね。全体の洗い出しとなると結構広いスペースが必要だし、空いている個室があるか、事務課に確認してみるわね」
頼むわ、と言ってアニーは待っていたリックと一緒に部屋を出て行った。それを見届けて片付けをしていると一度、部屋を出て行ったフレデリックが戻ってきた。
「さっきの単語のことなんだが」
「なにか気づいたの?」
シーナは女性の中でも小柄なほうで、特に背の高い彼と話をするときは完全に見上げるような格好になってしまう。それを気遣ってかフレデリックは机に座るようにして、彼女の前に立った。これなら視線の位置が合う。
「他国の、もっと古い時代の文献を解読したことがあるんだが、それに似ていることを思い出した」
「どの国の文献?」
彼が告げた国はここからずっと北に位置する大陸に、かつては存在していたと言われる国のものだった。
「もしふたつが同じ意味を持つとしたらすごいことだわ」
現代ほど移動手段が発達していない大昔に遠くの国と交流があった証拠はまだ発見されていない。
「今の情報は遺跡発掘チームにも共有していいかしら?」
「もちろん」
ただの勘違いのこともあるから、根拠のない気付きを公表したがらない研究者も多いのだが、フレデリックはそうではないようだ。
「ありがとう。早速、連絡をしてみます」
「あぁ、そうしてくれ」
フレデリックは笑顔でそう言って、シーナの片づけを手伝うと一緒にミーティングルームを出た。
今日のミーティングで受け取った解読結果をひとつの文章にまとめていたシーナだったが、それは思った以上に困難を極めた。
同じ場所から発掘された石碑は関連性があるかと思われていたが、全く別の内容も含まれていたのだ。ミーティングで話題になった農耕と産業もどうやらつながっていないように思える。
だとするとこれは大変な作業になる。
当たり前だが石碑は太古の昔の資料だ。角は欠け、風化して丸くなっており、パズルのように凹凸がぴったりと一致し、一枚の石碑に再現することなど不可能である。
書かれている内容がピースであり、これらをひとつにつなげていくことになるのだが、複数の内容が混ざってしまっているとなると、相当な苦労が予測される。
実際に、同一内容だと思われていた石碑が、実は違う内容だった、ということはよくあるのだ。
「これは大変なことになったわね」
シーナはメンバーから受け取った解析結果を前に考え込んでしまった。
全体の見直しをアニーとリックに依頼したが、フレデリックの言っていた単語を探すやり方は理にかなっていそうだ。少なくともその単語が書かれている石碑は同一内容についての記述だろうから。
しかし他の部分はどうするのか、現に農耕部分にも産業部分にもキーとなる単語はなさそうだ。
シーナが資料を前に腕組みをしていると、部屋の前を通りかかったフレデリックが声をかけてきた。
「どうしたんだい?随分、難しい顔をしているけど」
「あぁ、フレデリック」
彼はシーナと同じく国外から招集されたこの道の第一人者のひとだ。なにかアイディアを持っているかもしれない。
「わたしたちが今、取り組んでいる石碑はいくつかの内容が混ざっていそうなの」
「それは」
シーナの簡潔な説明だけで彼にはそれがどれほど重要なことか理解できたらしい。
「でも一か所で同時に発掘された石碑群なんだろう?」
「そうよ。わたしも遺跡に行って場所を確認してるからそれは間違いないわ」
そう言ってシーナは棚に置いてあったファイルの中から発掘現場の写真と書き込みがされている資料を手渡した。
「その赤い斜線の部分で見つかったのよ」
シーナの言う斜線部分とは、四方を成人男性の腰ほどの高さのある壁に囲われている一角を示している。
彼はそれを注意深く眺めてから言った。
「僕が遺跡を直接、見ることはできないかな」
「それは問題ないと思うけど、なにか気づいたの?」
「少し思い当たることがある、でも推論を披露するのは現地を見てからにさせてくれないか?」
間違ってたらとんだ赤っ恥だ、と言い、彼はそれが冗談であるかのように笑った。
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