10.アンジェラの結婚とシーナの婚約
結婚式のパーティー会場に入ったシーナは、テレビで見たことがある著名人たちばかりですっかり気おくれしてしまい、早々に気分が悪くなってしまった。
「大丈夫かい?」
男爵のフレデリックはこういった集まりにも慣れているようで平気な顔をしている。
「すみません、挨拶をしたらわたしは帰ります。あなたは最後まで楽しんでください」
謝罪を口にするシーナを無視してフレデリックは彼女の手を引いた。
「おいで、少し外の空気を吸ったほうがいい」
フレデリックの案内で人のいないバルコニーへと避難したシーナは手すりにもたれかかってため息をついている。
フレデリックはシーナをこの場所に案内するとすぐに、
「飲み物を取ってくる」
と言ってバルコニーから出ていき、ここにいるのは今はシーナひとりだ。
バルコニーから見える会場の中には大勢のひとがいる。それはアンジェラが招待状を持たないひとでも歓迎すると公式のメッセージを出したからだ。
さすがに一般人は入れないが、関係者の紹介があれば誰でもこの会場には入れる。
ごった返す会場せいでシーナはまだ両親にすら会えておらず、新郎新婦の入場まで耐えられるかも不安になるレベルだった。
ルール違反ではあるがアンジェラの控室に押し掛けて挨拶だけさせてもらおうかと悩んでいるところに声を掛けられた。
「あら、誰かと思ったらブライト家の娘じゃない」
はっとしてそちらに顔を向ければ、派手な衣装に身を包んだとても美しい女性が若い男性を侍らせて立っていた。
彼女はシーナの顔を見て片方の眉を上げると意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「それも、不出来なほうの、ね」
敵意に満ちたその言葉でシーナには彼女が誰なのかわかった。
この美しい女性はサマンサ・ベラミー、アンジェラと何度か共演したこともある女優だ。
タブロイド紙はよくアンジェラとサマンサを比較して取り上げることが多く、要するにふたりはライバル関係にある。
シーナもアンジェラから何度か、彼女の話を聞いていた。他人を悪く言うことをしないアンジェラが珍しく愚痴ってきたのがサマンサのことだった。
「サマンサ・ベラミーは素晴らしい女優よ?でも何故か彼女自身がそれを信じていないみたいで、事あるごとに突っかかってくるのよ」
「例えばどんな?」
「とても暑い場所での撮影だったからアイスクリームのケータリングを頼んだのよ、スタッフの皆にも食べてもらいたかったし、なによりわたしが食べたかったから。
そしたら彼女、こんな甘いものを食べたら余計に喉が渇いて水分が欲しくなるから食べないほうがいい、なんて言うのよ?
わたしも彼女もそれなりに名の知れた女優でしょう?片方に勧められて、もう片方には止められて。もう食べ始めてしまったスタッフも、これから食べようとしていたスタッフも皆、どうしたらいいか困ってたわ」
「それで結局、どうなったの?」
「監督がとりなしてくれてその場は丸く収まったけれど、翌日、彼女は大量の果物をケータリングしたの。きっとわたしに対抗したのね。
でもその日は大がかりな装置の撮影日だったから、カットフルーツの入ったたくさんの保冷バッグはかえって邪魔になってしまって。スタッフたちはその置き場所に頭を抱えていたわ」
シーナの手渡したミネラルウォーターを飲みながら、アンジェラはため息交じりに、
「これからは安直にケータリングはしないことにするわ」
と言ったのだった。
アンジェラにシーナという妹がいることはあまり知られていないし、わざわざ『不出来な』なんて付け加えるのは敵意を持っているひとしかいない。
アンジェラを気に入っていなくてここまで美しい女性となると、シーナはサマンサ・ベラミーくらいしか思い当たらなかった。
「今日はお越しいただきありがとうございます、姉もきっと喜んでいますわ。どうぞ楽しんでいってください」
無難な挨拶をしてその場を立ち去ろうとしたが、サマンサの連れの男性がシーナの腕をつかんで引き留めた。
「サマンサはまだ君と話したりないって、悪く思わないでくれよ?」
彼の言い分と彼女の表情でシーナは全てを理解した。
アンジェラに言えない分、わたしで発散しようってわけね。
せっかくのパーティを台無しにされたくはないし、黙って耐えるほうがよさそうだわ。
シーナがこの場に留まることを決めるとサマンサは大声で笑った。
「あはは、見た目と違って頭はいいのね。自分の役目をよく理解してる」
長身でスタイルのいい彼女はシーナの前にくると悠々と見下ろして言った。
「あなたたち、本当に同じ両親から生まれたの?アンジェラの母親はきちんと美しいし、父親だって年老いた今でも十分ハンサムだわ。それなのにあなたは、ひどく野暮ったいのね」
そんなことはシーナが一番よく分かっている。美しい母、その隣に並んでも遜色のない父、そのふたりから産まれたアンジェラの美は約束されていて、妹のシーナもそのはずだったのに。
なにも答えないシーナにサマンサは口元をゆがめた。
「ちょっと、聞いてるの?!」
「えぇ、聞いているわ。貴女の言うとおりだから反論しないだけ」
シーナの冷静な態度が気に食わないサマンサはさらに攻撃を重ねる。
「なによ、そういう取りすましたところが可愛くないってわからないの?アンジェラ・ブラントもよくこぼしてたわ、可愛げのない妹で困るって」
アンジェラが誰かの陰口を、ことに家族であるシーナを悪く言うようなことはしないと分かっている。
それでも他者から告げられた自身の評価に、シーナはつい、顔色を悪くしてしまい、意地悪をしなれているサマンサがそれを見逃すはずもなかった。
「どの現場で会ってもアンジェラはあなたを話題にしたわ」
これは本当のことだ。アンジェラが共演者へのサインをねだるときは必ず、
「シーナへって書いてもらえますか?」
と言った。そしてそれが自身の自慢の妹であることを付け加えて、
「いつか皆さんにご紹介したいわ」
と締めくくるのがお決まりのパターンだった。
だからアンジェラと長い付き合いの俳優の中には、
「やぁ、アンジェラ、久しぶり。君と君のシーナは元気かい?」
と挨拶をする者もいて、そう問われたアンジェラは決まって、
「えぇ、シーナもわたしもとても元気よ」
と、にこやかに答えるのだった。
シーナにとって不利な内容ではなかったが、話題にあげている、と言えば、シーナがそれを悪いほうに勘違いするとサマンサにはわかっていた。
アンジェラほどではなくても、磨けば光りそうな素質を持っているというのに、それを隠しているのはたぶんこの娘が自分に自信がないからだ、とサマンサは瞬時に見抜いていた。そういう人間は他者からの評価を気にする傾向にあるし、勝手に悪く言われていると思い込む、ということも知っている。
案の定、シーナの顔色はどんどん悪くなり、今にも倒れそうになっている。
人気女優のアンジェラにサマンサが直接、手出しをすることはリスクを伴うが、見るからに気弱そうなこの妹をいたぶることなどわけもない。
きっとこの娘はどれだけ傷ついてもそれを誰にも相談することもせず、心の奥底にしまい込むことを美徳だと思っているのだろう。
サマンサには全く理解できない人種ではあったが、サマンサの鬱憤を晴らす手助けをしてくれるなら、我慢が美徳だと認めてもいい。
「それは、とんだお耳汚しを申し訳ございません」
シーナの謝罪にサマンサはますます愉快になった。
「全くだわ。本当、ブライト家の娘たちは躾がなっていないのね」
「誰が躾がなっていないって?」
サマンサの言い放った悪意あるセリフを拾い上げたのは、この場に戻ってきたフレデリックだった。
はっとしてシーナがそちらに顔を向ければ、眉をひそめ、険しい顔をしたフレデリックが大股でこちらに近づいてくるところだった。
その様子から彼が怒っていることは明らかでシーナは思わず身をすくめたが、一方のサマンサは一目でフレデリックを気に入ったようで、女優らしく完璧な笑顔を浮かべている。
「あら、彼女のお連れの方かしら?」
「えぇ、そうですよ」
「初めまして。サマンサ・ベラミーです」
サマンサは握手の為にと手を出したが、フレデリックは肩をすくめて、
「申し訳ないが、僕の両手はグラスでふさがっているんだ」
と言って、素早くシーナの側に寄るとその顔を覗き込んだ。
「顔色が悪いな、大丈夫?」
「えぇ、平気よ」
あまりに近い距離にシーナは後ずさりしようとするも、フレデリックは持っていたグラスの片方をシーナに持たせ、空いた手を彼女の腰に回して自身のほうへと引き寄せた後、サマンサに告げた。
「彼女の相手をありがとう、あとは僕に任せてくれ」
フレデリックの一方的な宣言にサマンサは一瞬、ぽかんとした顔をし、慌てて取り繕うような笑顔を作った。
「良かったら一緒に会場を回らない?わたしなら貴方にたくさんのひとを紹介してあげられるわ。彼女はわたしの連れが相手をするそうよ」
「おい、サマンサ!」
その提案を聞いたサマンサの連れの男性は抗議の声を上げたが、それを聞き入れるような彼女ではない。
うっとりとフレデリックを見つめている彼女は、まるで恋を知ったばかりの女学生のようで、シーナでさえ思わず目を奪われるような清純さをまとっていた。
そんな彼女をフレデリックは一瞥して、
「悪いが僕は彼女と一緒にいたんだ」
と言い、もう用はないと言わんばかりにサマンサから視線を外すと、シーナを甘く見つめた。
「かわいいシーナ、ひとりにしてごめんよ」
急な変わりように驚いたシーナだったが、それがサマンサを立ち去らせるための演技だと気づき、彼に合わせることにした。
「大丈夫よ、気にしないで」
「僕はつい、君の優しさに甘えてしまうな」
フレデリックはそう言ってシーナの頬にチュッとリップ音付きの口づけをした。これにはさすがのシーナもひどく慌てたが、なんでもないような顔で、
「そんなことないわ」
と、なんとか返答をした。
「愛してるよ、シーナ」
フレデリックの猛攻は留まることを知らず、ついにはシーナの耳元で愛の言葉を囁き始めた。ふたりをここから立ち去らせる為の策略だとわかっていてもシーナはつい赤面してしまう。
こんな素敵な男性から愛をささやかれて、嫌な気分になるひとなんていないわ。
「わたしも愛してるわ」
シーナが彼の頬にキスを返した頃にやっと、サマンサはバルコニーから立ち去ってくれた。シーナはそれに安堵のため息をついたが、フレデリックの芝居は止まらない。
「やっと想いが実ったな、とても嬉しいよ。コナーの名にかけて、生涯、君だけを愛すると誓います」
「待って。もうサマンサは行ったわ、お芝居は終わりよ」
「なにを言ってる?芝居なんかじゃない、僕は君を愛してる」
フレデリックはその場に跪いてシーナの手を取ると、
「シーナ、どうか僕と結婚をしてくれ。君を愛してるんだ」
と求婚のセリフを口にした。
戸惑うシーナの横で何かが光り、それがカメラのフラッシュであることがわかった。
「アンジェラの妹さんですね?こちらもゴールインとはブラント家はおめでたい話題が続きますね!」
それはアンジェラの結婚パーティーを取材に来た記者のひとりで、彼はとんでもない勘違いをしている。
そうではないと言いたいシーナだったが、ここで求婚を断ったらこの記者はそれを記事にしてしまうに違いない。そうなったらフレデリックに恥をかかせてしまうことになる。
「我らがアンジェラ・ブラント嬢の未来の義弟として一言いただけますか」
記者がフレデリックにかけたその一言にシーナはハッとする。
シーナと結婚すれば彼はアンジェラの義弟になれる。夫になることができなかった彼は、せめて家族として傍にいたいのだろう。
記者のインタビューに笑顔で応じるフレデリックの隣でシーナは、アンジェラに教わった『作り物の美しい笑み』を浮かべてその様子を見守った。
記者は律儀にフレデリックとシーナについて記事にし、ふたりの婚約を知ったラボの仲間たちはお祝いのパーティーを開いてくれた。
勤務時間が終わり夕闇に沈むラボの一番大きなミーティングルームは華やかに飾り付けられ、大勢のひとが集まっていた。
「おめでとう、シーナ」
「ありがとう」
同僚の祝福の声にシーナは応えながらも、内心は複雑だった。
これはおめでたいことなのだろうか。シーナと結婚の約束をした男性は姉を想っていて、彼女の傍にいたいが為に妹と結婚し、義弟となることを選んだのだ。
フレデリックという素敵な男性の妻になれることは、シーナにとっては確かにおめでたいことであるのだろうが、そこに愛は存在しない。
夫は永遠にシーナではない別の女性を想い続け、自分はそれを見せつけられ続けなければならないなんて。
ぼんやりと会場を見渡せば、彼の周囲には人だかりができており、その中心でフレデリックは見たこともないほどの輝く笑顔を見せている。
それに頬を染めている女性陣も多く、親しい同僚のひとりが苦笑しながらシーナの肩に手を置いた。
「フレデリックがまた魅了してるわ」
「そうね」
誰だって彼に惹かれる、もちろんわたしも。でもこの想いが届くことはないって、もう分かってるわ。
シーナの素っ気ない返事に同僚は驚いた顔をし、それから、
「心配いらないわよ。彼、あなたしか見えてないから」
と言った。
いいえ、彼が見つめているのはアンジェラだけ。わたしは彼の周囲で頬を染めている彼女たちと同じ。彼にわたしは見えていないのよ。
シーナは無理に笑顔を作り、同僚の言葉に相槌を打った。
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