1.シーナには美しい姉がいる
シーナ・ブラントは太古の遺跡が数多く眠るとされているとある国の研究施設で働く研究員である。
彼女の叔父が歴史学者として有名で、シーナは彼の影響を受けてこの道に進んだのだ。母国から遠く離れたこの国での職を得られたのも叔父の口添えがあったからだった。
ある日の午後、久しぶりにブラント邸を訪れた叔父は彼の姉に当たるシーナの母とサロンでお茶の席についていた。
「相変わらず忙しそうね」
「新作の執筆を頼まれてね。昔の資料を整理したり、最新情報を取り寄せたり、秘書もわたしもてんてこ舞いだよ」
挨拶のためにサロンに入ってきたシーナは耳に入ってきた叔父の言葉に苦笑した。
「それはとても大変そうですね、叔父様の調査資料は膨大な量ですもの」
叔父は礼儀正しく立ち上がってシーナを家族として抱きしめた。
「やぁ、シーナ。会えてよかった、実は君にお願い事があって来たんだよ」
「まぁ。貴方がわたしのお茶の招待に応じるなんて珍しいこともあるものだと思っていたけど、シーナが目的だったのね」
「姉さん、ひとを間男みたいに言わないでくれよ。きちんとした仕事の依頼だ」
挨拶だけのつもりだったシーナも仕事と聞いてテーブルにつくことにした。控えている給仕係のメイドに視線を送ると彼女は手際よくシーナのお茶を用意してくれる。
「それで、依頼ってなんですか?」
「シーナは例の遺跡大国のことは知っているね?」
遺跡大国と異名があるのはこの国から遠く離れたとある国のことで、歴史学や考古学に携わる者でなくても一度は耳にしたことがあるほど有名だった。
「もちろんです、近頃、また新たな遺跡群が発見されたと聞きましたが」
「興味深い石碑が次々と発掘されているらしいが、その解読が追い付いていないから助けてほしいと先日、連絡がはいってね。
だが、あいにくわたしには新書の執筆で忙しくて国を離れることはできない。そこでわたしの代わりにシーナに行ってもらおうと考えたんだが、どうだろうか」
叔父はシーナ本人にはもちろんシーナの母にも視線を送りながら言った。
遺跡大国はこの国からかなり遠い。飛行機を乗り継いで一日がかりでたどり着くような距離で、未婚の娘を気軽に行かせられる場所ではない。
それでなくてもシーナの姉、アンジェラは世界中を飛び回る仕事をしており、シーナの母がそれを寂しく思っていることを叔父はよくわかっていた。
しかし、シーナの持つ解読の才能は人類の歴史を解明するという壮大なミッションに活かすべきものであって、埋もれさせておくには惜しい。
そう考えた叔父はシーナとシーナの母にこの話を持ち掛けたのだった。
しばらくの沈黙の後、大きなため息をついたのはシーナの母だった。
「うちの娘たちはちっともじっとしていられないのね」
「お母様、そんなことは」
反論するシーナの言葉をさえぎって彼女は言う。
「嘘おっしゃい、あなたは今すぐにでも行きたいって顔をしているわ。まったく、我が弟はとんでもない話を持ち込んでくれたものね」
「古来より、可愛い子には旅をさせよという。アンジェラは世界を舞台に活躍している、姉妹ならその機会は平等に与えられるべきだろう?」
そのあとも納得のいかないシーナの母はあれやこれやと文句を言っていたものの、最終的には合意した。
「言いたいことはまだまだあるけれど、子離れのできない母親にはなりたくないわ。シーナ、体に気を付けてしっかりやるのよ」
その後、正式に研究機関からシーナ・ブラント宛に依頼状が届き、彼女は長い旅を経て遺跡大国へとやってきたのであった。
空港に降り立ってすぐ目に飛び込んできたのは、世界最高峰と名高い巨大な高層ビルでもなければ、色鮮やかで有名なこの国の民族衣装でもなく、美しいアンジェラがでかでかと印刷されたポスターだった。
シーナの姉アンジェラは世界的に有名な女優だ。
その美しさを活かした演技は高く評価されており、ここ最近の若手女優の中では将来を有望視されている人物のひとりであった。
若いアンジェラを主役に抜擢しただけでも話題性は充分あるのに、そのうえ世界同時公開という鳴り物入りの映画の公開まであと100日を切ったのだ。映画のタイトルである『100th Day』にちなんで公開日までの100日間、カウントダウンをしようというなんとも気の長い企画が立ち上がっている。
ヒロインはアンジェラであるが、その相手役である男性も今をときめく人気俳優で、世間の注目はもっぱら、ふたりが演じる恋模様である。
ポスターの中の姉の姿にシーナは人知れず苦笑した。アンジェラはシーナにとって間違いなく自慢の姉ではあったが、同時に悩みの種でもあったのだ。
学生時代、シーナは多くのクラスメイトと行動を共にしていた。しかし彼らはシーナと仲良くしたいのではない。シーナの姉、アンジェラとお知り合いになりたいがためだった。
美しく自信に溢れたアンジェラは男女問わず人気者で皆、彼女と一緒にいたがった。そんな彼女にお近づきになるには妹のシーナを利用するのが手っ取り早いと考えた結果なのだろうが、シーナにとっては迷惑な話だった。
アンジェラは子供のころから女優業を始めており、家族であるシーナでさえ、滅多に顔を合わせることがなかったのだ。彼女が学校に来ることはほとんどなく、来たとしても日中の数時間だけ。ほんの少しの間しか学校にいない姉が、わざわざ別の階の妹の教室まで来ることなど滅多にない。
シーナの周囲を陣取っていたクラスメイトは姉との関係が希薄な妹に勝手に期待し、失望し、離れていった。
それでも一部のクラスメイトはアンジェラとの邂逅を期待してシーナのそばに居続けたが、彼ら、彼女らの話題はいつも決まっていて『アンジェラは家でなにをしているの?』である。
しかし、いかにもゴシップ紙が喜びそうな問いに答えるようなシーナではない。
シーナはアンジェラのせいで困った学生生活を送ってはいたが、それ以上に姉を愛していた。美しく聡明なアンジェラはシーナのあこがれそのものだったのだ。
外国での撮影を終えて帰宅したアンジェラは必ず、シーナに特別なお土産を手渡してくれる。
「共演した方のオフショットとサインをもらってきたわ、ちゃんとシーナへって書いてもらってあるのよ」
その女優が滅多に写真を撮らせてくれない人物だということをシーナは知らない。
でも姉が自慢げにいうのだからすごいことなのだろうと受け取り、満面の笑みでそのお土産を大切に胸に抱くのだ。
「ありがとう、アンジェラ」
シーナの笑顔にアンジェラも笑顔になって彼女を強く抱きしめると、
「シーナが喜んでくれて嬉しい」
と言う。
そう、シーナがアンジェラを愛しているのと同じくらい、アンジェラもまた、シーナを愛していたのだった。
だからアンジェラはシーナの周りをうろちょろする考えなしのクラスメイトたちを嫌っていた。
「シーナに付きまとってもあたしとは友達になれないって言ってやればいいのに」
口をとがらせて年相応の顔を見せるアンジェラにシーナは困ったような顔をしてみせた。
「そんな冷たいこと言わないで、アンジーと仲良くなりたい子は多いのよ。わたしだってあなたの妹でなかったら友達になりたくて躍起になってるうちのひとりだったかもしれないわ」
この状況はふたりが成長しても変わることはなかった。
そして華やかな世界に生きるアンジェラとは対照的にシーナは考古学の道へと歩みを進めた。それは、過去を生きる仲間たちは流行りの音楽よりクラシックを好むような人たちばかりで、人気女優に興味を持つようなミーハーな雰囲気とは皆無の世界だったからだ。
だからシーナはすっかり油断していたのだ。
とあるプロジェクトが終わりを迎え、職場の仲間たちとちょっとした打ち上げパーティーを開くことになった。
プロジェクトでは満足のいく成果を得られた上に、パーティーが週末に計画され、シーナも含めて職場全体が浮足立っている状態だった。
そんな雰囲気の中でプロジェクトリーダーの男性がシーナに声をかけてきた。
「シーナ、ちょっとお願いがあるんだけど」
彼もご多聞にもれず流行りを追いかけないひとだった。物静かで知的な雰囲気を持つ彼は職場の女性の間で人気があり、シーナも密かに憧れを抱いていた。
その彼がわざわざシーナを呼び止めるなど、なんの用だろう。
「なんでしょう?」
どきどきする胸の内を悟られないよう、わざと気取った風を装って応じたシーナに彼は言ったのだ。
「週末のパーティーだけど、もしできたらアンジェラを誘ってもらえないかな?」
一瞬、なにを言われたのか、シーナは理解が追い付かなかった。
そんなシーナの様子を無視して彼はぺらぺらと話し続けている。
「アンジェラが来てくれたら皆、喜ぶと思うんだ、もちろん僕もね。彼女は君のお姉さんなんだろう?パーティーに来るように説得してくれないかな」
「無理です」
「え?」
「無理ですわ」
シーナは作り笑いを浮かべてそう言い、踵を返してその場を立ち去った。
この出来事はシーナに新たな教訓を与えた、わたしはアンジェラの窓口でしかないんだわ。
そんな出来事があった後で叔父から遺跡大国での仕事を持ち掛けられたのだ。シーナとアンジェラが姉妹であることを知る人がいないほど遠い国ならば、もう窓口にされることもない。
シーナはそんな期待を胸に、この国へとやってきたのだった。
新しい職場の仲間たちはシーナを歓迎してくれた。叔父はこの世界では割と有名なひとで、その姪であるシーナにも親切だった。
意外にも女優のアンジェラ・ブラントが叔父の姪であることは知られておらず、従ってシーナが彼女と姉妹だと気づかれることもなかった。
シーナは母国を離れることで初めてアンジェラ抜きの人間関係を築くことができたのだった。
お読みいただきありがとうございます