02 不可思議な出来事は、必然だった?
あれから兄の家に案内され、心配そうについてきてくれたパトリック君に付き添われ、取り合えず今は休めと言われて二人に問答無用でふかふかのベットに押し込まれたところまでは覚えている。気がついたら翌日の朝だった。
あんなことが自分の身に起こった割には熟睡した自分の図太さに若干引きつつも、恐ろしい程に寝心が良いベットから起き上がってさてどうしたらいいんだろうかとぼ~としながら、椅子の上に綺麗に畳まれてあった服に着替えてたら扉がバーンって開いた。びっくりした。
「まきちゃん、おはよー! 朝ごはん、いっしょに食べよー」
元気な声と共にパトリック君登場。良いとこのお坊ちゃんなハズだよね、この子。自分の家とは言え他人が滞在している部屋にノックもなしに突撃してくるって無作法じゃないのかな、大丈夫なんだろうか、これ。
「おはよう、パトリック君。取り合えず、ドアを開ける前にノックしようね」
お姉さん、着替え中だったからね? もう、ほとんど着替え終わっていたからいいけどさ。……てか私、いつこの寝間着っぽいものに着替えたの? まったく記憶にないんだけど!?
「はーい! まきちゃん、朝ごはん、いこー」
そう言って、手をぐいぐい引っ張る。
いやいや待って待って、お願いだからちょっと待って! せめて顔くらいは洗いたいっ。
「坊ちゃま、まずはマキ様にお支度していただきませんと」
一緒に来ていたらしい侍女らしき人が止めてくれた。
するとパトリック君、そっかって顔をした。
侍女さん、ワゴンに桶と水を持ってきてくれていて、目の前に持ってきてくれたよ。顔を洗えって事らしい。お言葉に甘えて顔を洗ったらすかさずタオルを渡され、終わると椅子に座らされて顔になんか塗られた。ふわっといい香りがしたけど、化粧水みたいなものかな? しっとりしている。そのまま、パパっと薄く化粧までしてくれた。なんて鮮やかな腕前。
その間に、もう一人いたらしい侍女さんが髪をとかしてくれた。黒髪ストレートな私の髪は寝ぐせすらつかない頑固なストレート。侍女さん、髪をとかしながらちょっと驚いていたよ。そのままだと邪魔なので、緩く三つ編みにしてもらいました。
支度が終わると、パトリック君が手を引いて食堂に案内してくれたよ。すごいよね、食堂だけで学生時代に私が住んでたアパート一棟まるっと入りそうなんだけど。
「父上、母上、おはよーございます!」
「おはよう、パット。マキを連れて来てくれたんだね」
「はい!」
朝食の席だからか、兄はまだラフな格好している。にーちゃん、前髪を下ろしているとやたらと若く見えるね。三十台にしか見えないよ、どこからどう見でも。
「おはようございます、マキ様。妻のエレーヌです」
「あっ……マキ、です。お世話になります」
なんか、とんでもない美人さんが自己紹介してくれたんだけど……え? 若くない? 兄、四十代後半なんだよね? え、奥さん三十前後にしか見えないんだけど。もしかして後妻さん……なのかな?
まあ、そんな不躾な質問、いきなりできるはずもなく無難に自己紹介して、パトリック君に促されるままに席に着きましたとも。途端に給仕の方々が色々と運んできてくださいまして……うわぁ、朝っぱらから高級レストランで食事している気分。
緊張しつつも、朝食は大変美味しくいただきました。朝から色々出て来てびっくりしたけど、兄たち平然としているし、これが普通なんだろう。私には超豪華だったけど。住む世界が違い過ぎる。
食後は、兄と奥さんに昨日の事とか、わかっている範囲の経緯を説明するために別の部屋へ移動して、ただいま奥さんと待機中。兄は誰かに連絡するって言って、今はちょっと席を外してる。パトリック君も一緒に居たがったんだけど、お勉強があるでしょうとお母さんに優しく諭されて諦めてた。聞き分けの良い子だわ。
それにしても……奥さん、若い。やっぱり、後妻さんなのかな?
そんなことを考えてチラチラ見てたら、気づかれた。
「なにかしら?」
小首を傾げて聞かれた。なにそれ可愛い。
「いえ、お若いなと思って」
「あら」
正直に言ったら、奥さん目を丸くして、それからにっこりと微笑んだ。
「私、これでも旦那様と同じ年ですのよ」
「は?」
一瞬、脳が考えることを拒絶した気がする。
いま、兄と同じ年って言った? ……え? 今の兄、四十台後半だって言ってた気がするんだけど…………はいっ!?
嘘だ絶対嘘だ、どこからどう見たって、いってても三十代半ばくらいでしょ!? えええっ!?
「嘘だぁ!? え、もしかしてエルフとかそういった種族ですか!? 私よりも少し年上かなくらいにしか見えないんですけど!?」
「あら……マキさん、おいくつですの?」
「二十六です!」
「あらあら。そんなに若く見えるかしら?」
そう言いつつも、嬉しそう。やだ、兄の奥さん可愛い。
「マキ……何を騒いでるんだ」
呆れた声に振り向けば。
いつの間に戻ってきたのか、兄と昨日の女性二人も。
「にーちゃん、奥さん可愛い! なにこの美人さん、どこから攫ってきたの!?」
「何を言ってるんだ、お前は」
ことさら呆れたように言われ、デコピンされた。痛いな、何するんだよ!
兄とそんなやりとりしてたら、くすくす笑う声。
なんとなくそちらに顔を向けると、そこには昨日の女性たちがいた。
「取り敢えず、大丈夫そうだね」
そう言ったのは、オッドアイの女性。笑っていたのは、この人。
「潤応力高そうで何よりだ。さすがルシアンの妹」
こちらは日本人形みたいな女性。なんだろう。さすがってなんだろう。
ちょっと引っかかりはしたが、この二人もそれぞれの視点から意見をくれるらしく、来てくれたんだって。
まず、紹介された二人。
ひとりは他の国の騎士様で、エルヴィラさんって名乗った。黒髪にオッドアイの美人さん。兄の話だと、どうやら魔法関係のスペシャリストらしい。色々と不可解な事象とかにも詳しいので、こういった事が起こった場合に相談するには最適なんだって。そして、兄と同じ転生者らしい。
もう一人は、ミサキさんって言うらしい。名前も日本人そのままじゃんって思ってたら、本当に日本人だった。どうやら彼女は小さい時にお姉さんと一緒にこっちへ召喚されたらしくて、以来こっちで暮らしているんだって。魔道具職人って自己紹介してくれた。兄とエルヴィラさんから突っ込まれてたけど。
そして、まずはエルヴィラさんが昨日言ってたことを含めて、推測を交えて更に詳しく説明してくれることになった。
「まず、このネックレスの中央部分。これね、特殊な加工がしてあって、職人が使う付与魔法関連の鑑定魔法では見れないと言うか、付与が施されていることにすら気付かないと思う」
そう言いながら、ネックレスの中央にはまっている、小指の爪くらいの大きさの宝石を指さした。
これ、私の誕生石でもあるタンザナイトだと思ってたんだけど、違うのかな。宝石にはそんなに詳しくないから、見ただけじゃわからないけど。
「まあ、確かに付与魔法の鑑定だとわからんな」
もう一人の女性、ミサキさんがネックレスと見ながら呟いた。そして、それに関しては兄も同意らしく、頷いている。
「でね、昨日も言ったけど、これは旧時代の遺物。恐らく王族とかそれに準ずる地位にいた人間が持っていたんだろうけど、危機が迫った時に安全な場所へ転移できるように、術式が組み込まれている」
「それだと安全な場所への移動であって、時空を超えて転移する理由にはならないだろ」
「そこなんだよねぇ」
兄の意見に同意しつつ、エルヴィラさんがこちらをちらっと見た。
「えーと、マキさん」
「は、はいっ」
「昨日、気になることを言っていたよね。仕事を辞めたとか、ご両親が亡くなったとか」
「はい」
「良かったら、その辺りを詳しく教えてくれないかな。勿論、話すのが辛いのなら無理にとは言わないけれど」
「いえ、大丈夫です。えっと……取り合えず、仕事を辞めることになった経緯ですけど」
私は、この半年に起こったことをすべて話すことにした。
上司から頼み込まれて、取引先の重役の息子とお見合いした事。
そのお見合い相手がストーカー化した事。
自分だけでなく周囲にも被害が出始めた為、訴えるべく準備をしていた事。
その準備中に、両親が事故で亡くなった事。
それをきっかけに、ストーカーが手段を選ばなくなってきた事。
ついには会社にも迷惑が掛かってしまい、退職した事。
話し終わった時、またぼろぼろ泣いてたんだけど……兄の奥さんがハンカチを渡してくれて、優しく背中をさすってくれてて……その優しさに、またしばらく涙が止まらなかった。
「……じゃあ、なにか? そのクソ野郎に目をつけられたが為に、お前は仕事を辞めざるを得なかったと? 両親が事故にあったのも、そいつ関連で動いていた時だったと?」
兄が静かに激怒している。
確かに、その通り。その通りだけど。
「でも、お父さんたちが事故にあったのは、私が」
「それは違う」
言いかけたところで、エルヴィラさんに遮られた。
「悪いのは、貴女を追い詰めた見合い相手。聞いていた限りでは思わせぶりな態度を取っていたわけでもないし、むしろ最初からきっぱりと拒絶していたんでしょ。それで勘違いできる向こうがオカシイいんだよ。ご両親の事は不運が重なってしまった結果だ。簡単に割り切れる事ではないだろうけど、それでも貴女が気に病む事ではない」
「そうだぞ、マキ。父さんも母さんもそんな状況でお前を残して逝くのは悔しかっただろうが、お前の所為だとは思ってないさ」
キッパリとしたエルヴィラさんの言葉と、兄にくしゃくしゃを頭をなでられたことで、不思議なことにすっと肩が軽くなった気がした。
両親が事故にあったのは自分の所為だと、ずっと思っていた。というか、今でもそう思っている。両親を頼らずに私だけで何とかできた可能性は低いし、頼ったことは間違えてはいなかったんだろうけど、それでも私が巻き込んでしまった事実は消えないのだから。
だからこそ、その上で割り切れることではないと言ってくれたことも、気に病む必要はない、という言葉も胸に響いんだと思う。
「でもまあ、これで確定かなぁ。やっぱりあちらの世界はもうマキさんが安心して暮らせる場所ではなくなってしまったんだろうね。その相手の男、きっと貴女を手に入れるまでは絶対に諦めなかったんじゃないかな。最悪、他に男に渡すくらいくらいなら……って考えていたかもしれないねぇ」
そう言われると、確かにそういった兆候はあったように思える。
私が仲の良かった同僚や上司たち男性陣を頼らなかったのも、それを感じていたからなのかもしれない。私が頼ったりしたら巻き込んでしまうのではないかと、ずっとそんな恐怖心を抱えていたような気がする。
「その宝石に付与された術式の発動条件、それは命の危険が迫った時。という事は、マキさんは転移直前にそういった状況にあったという事になるんだけど……気づいたら車ごとあの場所にいたと言っていたね。その直前の記憶、覚えていないと言うよりは思い出したくないんじゃないかな」
指摘されて、思い出してみる。
まず、昨日は早朝に家を出て、途中でコンビニによって適当におにぎりとかを買って目的地を目指して車を走らせて。
途中からもの凄い土砂降りになって……そうだ、山道に入った辺りで雨が凄かったんだ。途中、キャンプ場から引き揚げて来たんだろう車何台かとすれ違って……そう言えば、パッシングされたな。あれは何を知らせようとしていたんだろう?
そこまでは、思い出せた。でも、その先の記憶がない。
「……最後に覚えている光景は? 山道を走っていたこと以外に何か思えていることはないかな? 昨日、随分と車が濡れていたけれど、かなり雨が降っていたんじゃない?」
私の様子をじっと見ていたらしいエルヴィラさんに聞かれるも、本当に思い出せない。
雨……そう、雨は降ってた。でも、他は何も……いや、違う。急激に増水し始めた川と、聞いたことがないような音……
「山道を、走ってました。向かって右が山側で、左が川で……途中から川の水が濁って急激に増水して、変な音が響いてきて……」
その先は、本当にわからない。
「ああ、わかった。もういいよ、理解した」
でも、エルヴィラさんは察したらしい。私はそれ以上口を開こうとするのを遮ってくれた。
気づいたら私は小刻みに震えていたようで、兄の奥さんがふんわりと抱きしめてくれていた。背中を優しく叩きながら、大丈夫だからと繰り返し言ってくれている。
「ルシアン。妹さん、向こうでは死んだことになってると思うよ」
その言葉に、びくりと体が跳ねてしまった。
「状況からして恐らく、崖崩れか土石流に巻き込まれた可能性が高い。途中で何台かすれ違ってるって事は、直接の目撃者は居なくても巻き込まれた車がいたかもしれないって事は、伝わっているはずだ」
「ああ……そうだろうな」
巻き込まれた車……それは、私が車ごと土砂の下に埋まっているかもしれないって、そう言う事?
その可能性に気づいて、顔から血の気が引いたのが自分でもよく分かった。
「さて。それを踏まえた上で話をするけど、頼まれていた戻す方法。ざっと調べた限りでは難しいと言わざるを得ない」
「その言い方だと、ゼロではない?」
「うん。ただ、今の話を聞いた限りでは反対だね」
やたらをきっぱり言われて、兄は怪訝そうな顔をした。
「なぜ」
「宝石に刻まれた術式、その残滓からあちら側の座標を探ることは出来ると思う。そこは、そんなに難しくはない。ただ、今回の転移は指定された場所から指定された場所への転移ではなく、完全に突発的なものだ。あちらの世界と繋ぐには、それに残っている魔力残滓から座標を探る以外の方法はない。ただ、探れたとしてもそれは転移したその場所、その瞬間だ」
エルヴィラさんがそう言うと、それまで黙って聞いていたミサキさんが溜め息を吐き出した。
「つまり、アレか。仮に異界渡りの転移陣を完成させることが出来たとしても、戻されるのは転移したその瞬間。その時にいた場所と時間に繋がる可能性が高いってことか」
「その通り。だから転移が成功したとしても、あちらへ行けば恐らく命はない」
きっぱりと告げられて、ああもう戻れないんだと、この時になってやっと理解出来た感じがした。
今まではまだ、どこか夢を見ている感じで……窓が繋がった時みたいに、一時的なモノだと言う感じが抜けてなかったんだ。
でも、エルヴィラさんの話を聞いていて、もう戻れないんだってそう確信できた。……変な話だけど、そこでようやく安堵できたんだと思う。戻れなくなったことを確信して安心したって言うのも変な話だけど、それでもやっぱりどうしようもなく安堵していた。ただ、その所為でまた涙腺崩壊して、兄を盛大に慌てさせてしまったけど。
「泣くな、大丈夫だから! 俺が面倒見るから心配するな!」
「に゛ーちゃん、しごと、紹介してーっ」
「はあっ!? いきなり何言ってんだお前!」
「だ、だって、働かないと、生活、できないよーっ」
「ああもう、落ち着け!」
「しごとーっ!」
「わかったから! ちょっとマジで落ち着けお前!」
兄の服を掴んでがくがく揺さぶってたら、ミサキさんが溜息はきながら止めて来た。兄の奥さんにも優しく慰められて優しい言葉を沢山かけてもらって、それが嬉しくてまた涙腺崩壊して。
そのまましばらくわんわん泣いてたら、なんかやたらとすっきりしてしまった。同時に、自分の醜態に顔から火が出そうだったけど。
「失礼しました……」
もう、本当に顔が熱い。私が落ち着くのを黙って待っててくれた皆さん、本当にごめんなさい。そして、ありがとう。……その、温い視線は止めて頂いてもよろしいでしょうか。いたたまれない。
「あっ」
落ち着いたところで、唐突に思い出した。車に積んでいた、アレコレを。
「にーちゃん、アイス食べる?」
「いきなり唐突に何を言い出すんだ、お前は」
「いや、車に積んである冷凍庫にアイス入ってるんだ。バッテリー切れる前に食べないと溶ける」
「ああ、そういや色々と積んでたらしいな」
そんなこんなで、みんなで車のところまで行くことに。
昨日は色々と動転しすぎてて気づかなかったけど、このお屋敷とにかく広い。私が転移した場所は裏庭らしく、車はお屋敷の直ぐ側にまで移動してあった。どうやって移動させたのかがちょっと気になったが。
「えーと……」
取り敢えず、後部のドアを開けて中を確認する。……うん、大丈夫。積んだもの、全部入ってる。
冷凍庫の中身は早めに処分しないとと思っていたら、なんとこの世界にも冷凍庫あるらしい。なので、お肉とか魚はそっちへ移してもらう事になった。アイスは、後でみんなで食べよう。
それ以外のレトルト類を始めたとした食料も、兄が使用人たちを呼んで家の中に運んでくれたよ。私が独占してても仕方ないので、有効活用してもらおうと思う。エルヴィラさんにもミサキさんにも、少し持っていってもらおうかな。
「にー……兄さん、取り敢えず、これは全部引き取って」
「なんだ? ……あ、ココア」
「うん。お父さんたちの事故があった後、ちょっと記憶があいまいな期間があって……多分、その時に買ったんだとは思うんだけど、注文の単位を間違えてたみたいで。置く場所に困って、車に積んであったの」
「お前、何をどう間違えたら……いや、いい。有難く貰うよ。パットがこれ大好きなんだ」
「ヴィクトル君にも分けてあげて」
「ああ、喜ぶよ」
そう言いながら、兄は受け取った箱をテーブルに置いた。
「後、これは……あ、これ、エルヴィラさんとミサキさんも少し持っていきませんか?」
箱をバリっと開けて、中身を見せると。
二人して、目の色が変わった。
「「カレー!!」」
うん、カレーです。メーカー色々、辛さは甘口と中辛の二種類。私、カレーを作る時は甘口と中辛を半々で入れることが多くて、色々と組み合わせを試してるんだ。メーカーによっては甘口だけとか、中辛だけとかでも大丈夫なんだけど、だいたいは甘口だけだとだとちょっと物足りない。自分でスパイスを足すとかすればいいのかもしれないけど、それも面倒なので市販のルーを組み合わせて色々と試している感じ。
しっかし、本当に……私、これを一人でどうするつもりだったんだろうか。目の色を変えて漁ってる二人に渡せば、難なく消費できそうだけど。
「あ、業務用のでかいサイズもあるじゃん」
「そうなんです。なんか、商品の入れ替えだかなんだかで福袋状態で売ってるのを見つけて……なんか、やたらと大量に届いちゃって」
ココア頼んだのと同時期だけど、これも単位間違えてたんだと思うんだよね……しかし、何をどう間違えたら一個が一ダースになるのか、当時の自分を問い詰めたい。まあ、カレー以外にもレトルト類とか入ってたから、ある意味助かったけど。
あ、辛口も入ってたけど、それは知り合いの辛い物好きな連中にあげました。残しておいても私は食べれないし。
「あー、カレー食いたい。ルシアン、カレー食いたい」
「俺に言うな」
「あ、じゃあ、キッチン貸して、兄さん。私が作るから。お米もあるし」
そう言って、積まれた米袋を指さした。十キロが三袋。どう考えても一人で食べきれる量ではない。私はそこまで大食いじゃないし。
さすがに兄の目が点になる。
「……お前、これなんなの? 何がしたかったの?」
「わかんない」
完全に呆れている兄に聞かれたけど、私だってわからない。どこかのスーパーに行った時に、安いなって思ったのは覚えてる。だが、なぜ十キロを三袋も買ったのかは自分でも謎だ。普段は五キロ単位でしかお米買わないのに。
まあ、そんなことは今更どうでもいいや。取り合えず、今日はカレー作ろう!
「兄さん、キッチン」
「ああ、わかった。エル、ミサキ。食材、好きに使っていいからお前らも手伝ってやれ」
「「任せろ」」
お手伝いしてくれるんだ。嬉しい。
さて。
急遽ですが本日の夕飯、カレーに決定しました。
というわけで下準備の為にキッチンへ案内してもらって、早速みんなでカレー作り。
エレーヌさんが案内してくれたんだけど、白いコック服着た人たちに何か説明してて、食材は自由に使ってくださいって言ってくれました。
なんか、電気とかない世界だから勝手に冷蔵庫とか冷凍庫とかないだろうって思ってたんだけど、全然そんなことなかった。電力が魔力に変わってるだけな感じだったよ。というか、物理的な容量とか色々と機能がオカシイ保管庫とかもあって、こっちの方が色々と便利なのではとか思ってしまうほどだった。他にも、入れた時のままの状態が維持される鞄とかもあるらしい。さすが異世界、意味わからん。
「これ一箱で五十人前か。じゃあ、甘口と中辛一箱ずつでいいか。ここの全員分、作れるだろ」
箱の裏を確認していたミサキさんが、そう言い出したのでぎょっとしてしまった。
え、それだと百人前になりますけど。
「混ぜる? 二種類つくる?」
「混ぜる。それで様子見る」
どうやら中間の辛さにして皆さんの様子を見るらしい。私はそれで好みの辛さになるから嬉しいけど。というか、そんなに大勢食べるの? このお屋敷、そんなに人いるの???
「取り合えず、今日はシンプルなの作るか。おい、手分けしてイモと人参の皮むき。それを一口大に」
ミサキさんが言うと、白いコック服着た人たちがきびきび動き出した。
ここ、兄の家なハズだけど、なんかミサキさんもエルヴィラさんも完全に馴染んでる感じが。もしかしたら、よくあるのかな、こういった事。
取り合えず自分も野菜の皮むきを開始。
ミサキさんとエルヴィラさんは手分けして玉ねぎを大量に切っている。うん、玉ねぎはたくさん入れた方が美味しい。
二人は慣れているみたいで、サクサクと玉ねぎを切り終えるとそれをフライパンで炒め、飴色になったところで大きな鍋に入れている。別のコンロでは野菜を炒めていて、また大きな肉の塊を一口大にしてさっと焼き色を付けていて……なんの肉だろう、あれ。
とにかく、量が量だから先に食材を別々に炒めることにしたみたい。
二人が料理人さんたちにテキパキと指示して作業は進み、ルーを入れる頃にはキッチンにいい匂いが漂い始めた。
そして、気づけばキッチンの窓に多くの顔が張り付いてた。ちょっとかなりびっくりした。どうやら匂いに釣られて集まってきたらしいんだけど……誰だろう、この人たち。
「ここの家の護衛騎士達だ。何時もの事だから気にすんな」
ミサキさんに言われて、そう言えば昨日の人たちと同じ服を着ている事に今更ながら気づいた。すごい、個人の家で護衛とかいるんだ。
考えてみたら、こんな立派なお屋敷に住んでいる時点でわかっていたことだ。今まで余裕なくて、考えもしなかったけれど。
ここでの兄は、随分とすごい人になってるんだなぁと思うと、ちょっと手の届かないところに行かれてしまったような、そんな寂しい気がした。
夕方になり、今私の緊張はピークに達しています。
兄が、久しぶりにみんなで食事しようかって言ってたのは、知ってるんだよ。忙しくてパトリック君たちと一緒に食べれなかったのかなって、勝手に思ってたんだけど違った。兄の娘さん夫婦一家が来ました。兄が呼んだらしい。
兄の娘という事は、私が一時期ハマっていたあのゲーム、その中の悪役令嬢だったレティシア・グランジェ。
聞いてないよにーちゃん、事前に教えてよ!!
「あ、まきちゃん!!」
緊張しすぎてガッチガチになっていたところに、聞き覚えのある声。
ヴィクトル君、久しぶり。元気そうだね。
「まきちゃん、いつこっちきたの!? うわー、ほんとにまきちゃんだ!」
目の前まで来てぴょんぴょん飛び跳ねながら喜んでくれる姿に、ほっこりする。
ほっこりするんだけど、緊張状態は継続中。なぜなら。
「初めまして、マキ様。レティシア・グランジェです」
兄の奥さんそっくりな美人さん。だいぶ大人っぽくなってるけど、ゲームで見た悪役令嬢だよ……
「グランジェ家当主、シルヴァン・グランジェです」
小さい女の子を抱っこした銀髪のイケメンが、私に微笑みかけている! 推しが! ゲームの中の最推しが! ゲームのスチルでも見たことないような笑顔で!!
ああどうしよう、心臓爆発しそう! つーか、ものっ凄くお似合いなんだけどなんなのこのご夫婦! ちょっとスマホ取りに行ってきてもいいかな!?
「あ、あの、マキと言います」
内心の荒ぶる感情を表に出さないように抑え込みつつ、なんとかそう言ってお辞儀するのがやっとだった。
いや、だって、どう言えばいいの!? 兄の前世の妹ですとか言ったって信じてもらえるわけないじゃん!
「まきちゃん、ぼくのお友だちだよ!」
ありがとうヴィクトル君。何その紹介、素敵。
「姉上、まきちゃん、父上の妹なんだって!」
いつの間にやら来ていたパトリック君、速攻でバラしてくれました。
おおい、やめて!? 頭のおかしい人と思われるよ、私!
「ええ、お父さまから聞いているわ。ね、シルヴァン」
「ああ。色々と大変だったようですね。グランジェ家としても協力は惜しみません。何かあれば遠慮なく仰ってください」
神々しいばかりのご夫婦から、なんとも有難いお言葉を頂いてしまった。
あれ、なんでこんなあっさり信じてるの……?
ちょっと頭の中がこんがらがってる。この状況が信じられない。
え、オカシイでしょ、こんな意味不明な話を信じるなんて。大丈夫かな、普通は疑うよね? え、本当に大丈夫??
そんなことを考えていたら、遅れてやってきた兄が姿を見せた。
「揃ってるな。食事にしよう」
あっさりそう告げて、さっさと席に着こうとする。
「ちょ、にー……待て! ちょい待って!」
「ん? どうした?」
「どうしたじゃないでしょ、私の事なんて説明したの!?」
「妹」
「バカ正直に言ってどーすんのよっ!!」
何してんのこの人マジで!!
「あー……マキ、大丈夫だから。ルシアンの周辺じゃオカシナ事は日常茶飯事だから」
どこか投げやりな感じでミサキさん。そうそう、二人とは一緒にカレー作りしてたらすっかり仲良くなってしまった。さん付けで呼ばれるのもなんかもにょるんで、呼び捨てにしてくださいとお願いしたんだ。年齢聞いたら私の方が年下だったので。
「そうだよ。ルシアンもだけど、私やミサキって存在がいる時点で貴女の事もあり得なくはないんだよ。さあ、今日は懐かしの味を再現できたから、食べよう」
エルさんに促されて、みんな素直に席に着く。え、いいの、こんな軽くて。
若干、腑に落ちないものを感じつつも、取り敢えず全員席についたので食事に。
見慣れないだろう料理に躊躇するかと思ったのに、みんな普通に食べ始めている。なんか色々とおかしくないかな。
「「おいしー!!」」
お子様二人から、美味しいが出ました。
「母上、これおいしいよ! ちょっとお口の中いたいけど、おいしい!」
「あら、気に入った?」
「うん!」
これ、パトリック君と兄の奥さん。
「父上、これおいしい! これ好き!」
「ちょっと刺激があるけど、確かに美味しいな」
「ね、おいしーね! ジゼルは? 食べられる?」
「大丈夫よ。ね、ジゼル」
お母さんに小さな器に移してもらったのを食べてるジゼルちゃん、ニコニコしながらお口もぐもぐしててて超可愛い。さりげなく妹を気遣うお兄ちゃんなヴィクトル君、素敵。
「あー、懐かしい……美味い……」
兄はカレー食べながら感動してる。久々に食べると、そうなるよね。まして兄は何十年ぶりになるのかな?
「今日は無理だけど、明日はカレー作ってあげようかな」
こちらはエルさん。一緒にカレー作りながらいろいろ話を聞いたんだけど、息子さんがいるんだって。パトリック君やヴィクトル君ともお友達らしい。
「これ、アレか。子供たち集めてまとめて食わしてみるか」
「ああ、それでもいいね」
ミサキさんの提案に、エルさんも頷いている。
うん、元々があちらだった人たちは、やっぱりそうなるよね。なんかね、本当に嬉しそうなんだ。
この後、使用人の人たちもカレーを食べると言うので、ちょっとした好奇心から様子を見させてもらう事にした。兄たちはさっきの辛さでよかったみたいだけど、他の人たちはどうなのかなって思って。単純に、反応を見てみたかったんだ。
そうしたら兄が、だったら護衛達の反応を見ればわかりやすいんじゃないかって提案してくれたんだ。兄曰く、あいつらが一番がっついているからと。
体使うお仕事なんだから、がっついてるのは当たり前なんじゃないかと思う。要は、体育会系って事だろうし。
なので、給仕に交じって皆さんのお食事風景を観察するって事にして、こっちに来ました。ほら、食後の家族団欒を邪魔するのはね。
「あー、すげーいい匂い!」
「庭にまで匂いしてて、マジヤバかった」
「腹減ったー」
どやどや入ってきた護衛さんたち。私は配膳を手伝ってたんだけど、皆さんきちんと並んで山盛りのカレーを受け取って行ったよ。
先に来た人たちから食べ始めたんだけど、その反応が思っていた以上に面白かった。
ぱくっと、一口。固まること数秒。
「うっま! なにこれうっま!!」
「ちょっと辛いけど美味い! とまらん!」
「やべー、いくらでも食えるぞ、これ!」
みんな、こんな感じ。
配膳している時に、お好みで揚げ物もどうぞって各自で好きなだけ盛れるようにしてあったんだけど、これが大好評。どうやら揚げ物は兄が色々と提案してたみたいでこの家では浸透しているらしい。他ではまだそんなに一般的ではないらしいけど。そもそも、パン粉ってないらしいよ。この家には普通にあったけど。
「あー、揚げ物との相性も抜群! マジ美味い!」
サクサクの揚げ物にカレーを絡ませて食べるの、気に入ってくれたらしい。なかなかの好評にちょっと気分がいい。
その後も入れ代わり立ち代わりご飯に来てたんだけど、そこへちょっとデザインの違う服を来た護衛さんたちが入って来て……その姿に、心臓が跳ねた。
自分でもなんでそんな行動に出ようとしたのが分からなかったけど、咄嗟に隠れようとして隠れる場所がない事に気づいてわたわたしていたら、向こうに気付かれたよ。
「お久しぶりです、マキ様」
麗しい笑顔で挨拶してくれたのは、お子様たちと共に窓を通して知り合いになった、あのクリスさん。相変わらずのイケメンぶりが眩しい……っ。同時に、ちゃんとトレイ持って並ばれるともの凄い違和感が。
「お久しぶりです。今から食事ですか?」
出来るだけ平静を装って、訊ねてみる。いや、内心、心臓バクバクですよ。だってこのイケメン、窓を通しての交流の時にも思ってたけど、本当に優しくてこちらを気遣ってくれていて……本当に素敵な人で。正直、当時もちょっと憧れていたと言いますか。
「ええ。戻ってからとる予定だったのですが、旦那様からこちらで済ませていくように言っていただけたので」
「そうだったんですね。あ、揚げ物も一緒にいかがですか?」
「お願いします」
「後ろの方たちも、揚げ物いかがです?」
「「いただきます!」」
いい返事。
皆さんにも山盛りのカレーと、揚げ物を適当に大皿に盛って渡してみた。ちなみに揚げ物はチキンカツです。
クリスさんたちの反応もこっそり見てたけど、やっぱりみんなと同じような反応してた。カツのサクサク感とカレーの組み合わせは気に入ったらしい。これ、準備中に匂いに釣られたらしい兄がふらっと来て、カツカレー食べたいなんて言わなければ作らなかったと思う。護衛さんたち、兄に感謝しておくれ。
こうして、カレーはお屋敷の皆さんから大絶賛を貰いつつ、百人分が完食となりました。喜んでもらえてよかった!