01 ある意味、強制引っ越し
ふと気づいた時、そこは見慣れない場所だった。
「………………え?」
ハッとして、辺りを見回すも自分の記憶にはこんな景色は存在しない。
見た感じ、どこかのお宅の敷地内だろうか、かなり離れた位置になんか見るからに頑丈そうな鉄柵っぽいものが見えている。
「は? え、どこ……」
キョロキョロするも、視界に入ってくるのはどうしても知っているとは思えない光景。
少し離れたところに見える大きなお屋敷、そのお屋敷をぐるっと囲むように鉄柵が続き……ちょっと離れたところに見えるもう一つのお屋敷とは、敷地が繋がっている感じだ。
色々あって、新卒から勤めていた職場を退職したのが先月末。
一人で家にいると気が滅入るだけなので、せっかく時間は有り余っているのだからと長期のキャンプ&旅行を計画して、色々と準備を整えて出発したのが、今朝。
最初の目的地、昔家族でよく行ったキャンプ場を目指して、くねくねする山道をひたすら車で走っていた、はずだった。
そう。山の中を走っていたはずなんだ。
「山……」
もう一度、改めて周囲を見ると山なんて影も形もない。
「森……」
人工の建造物は少ないけど、森もない。木はたくさんあるけれど、あくまで手入れされた公園って感じに見える。
「雨……?」
空を見上げる。雲一つない晴天だ。さっきまで、かなり激しく雨が降っていたはずなのに。
本当に、意味が分からない。
「……どういう事? ここ、どこよ?」
どこかに迷い込んだにしても、あまりにも周囲の景色が違いすぎる。そもそも、あんな鉄柵に囲まれた敷地内へ、どうやって入り込んだのだろうか。普通に考えて、有り得ない。
「え、夢でも見てる? キャンプ場に向かってたのが幻?」
一瞬、そう思いかけはしたんだけれど。
でも、土砂降りの中を移動していたのは間違いないはずなんだ、だってワイパー動かしっぱなしだし、窓もボンネットもびしょ濡れだ。
ますます、訳が分からなくなってきた。
「えっと……取り合えず、ワイパーは止めて」
ついでにエンジンも止めようかと思ったけど、なんかちょっと怖かったのでエンジンは取り合えずそのまま。
そもそも、車のナビがさっきから同じ場所から動いてないのが怖すぎる。トンネル内を走ってるとかならわかるけど、こんな障害物なんてない開けた場所にいて、ナビが動かない理由がわからない。しかもいま表示されているのは、私が走っていたはずのキャンプ場へ向かうはずの山道。その途中で、現在位置を示す印だけがくるくるしている。
「測定不能……?」
地図が現在位置に切り替わらないという事は、位置の特定が出来ないという事。つまり、ここは自分が走っていた山の中ではないという事だ。……ナビが壊れていなければ。
「あっ」
しかし、ナビはしばらくすると真っ黒な画面になってしまった。
慌ててラジオを入れてみるも、聞こえてくるのがザーザーと言う音だけ。どの局も入らない。
「ちょっと待って、ホントに待って、どうなってるの!?」
助手席に置いてあったリュックからスマホを取り出すも、ネットも繋がらない。知り合いに電話をかけてみたけれど、呼び出し音すら鳴らずに切れてしまった。
怖い。
よくわからない恐怖心が沸き起こってくる。
冷静に事態を把握しようとすればするほど、自分が何かとんでもない事に巻き込まれたんじゃないかって気持ちが強くなる。そんなこと有り得ない、起こるはずがないと頭の中で否定しても、現実はそれを肯定するような事ばかり。
「落ち着け……慌てたって良いことない。とにかく、ここがどこなのかを……」
場所の確認を最優先で、そう考えて窓の外を見ると。
お屋敷の方から、数人の人影が近づいてくるのが見えた。
状況的には、私は人様の敷地内に勝手に入り込んでいる感じなんだけど……どうやってここへ来たのか、まったく記憶がない。完全な不法侵入。しかも、お屋敷の方に人影が見えていて、しかもこちらを見ている。
誰にも見られてなかったらこっそり移動しようと思ったけど、見つかったからにはそうもいかない。……いかないんだろうけど、なんだろうこの既視感は。
「服装が……え、髪の色がカラフル……え?」
遠いけど、見える範囲だと金髪や赤髪の人もちらほら見えるんだけど。というか、皆さんゲームやアニメでよく見る騎士みたいな服装なんだけど!?
あちらも警戒してるんだろう、今のところは一定の距離から近づいてくる様子はない。ないけど、いつまでもこんな均衡状態続かないでしょ。幸いにも車のエンジンはかかったままだし、燃料は満タンに近い。いざとなれば、逃げられるはず。
余りの事態に、なんか心臓がバクバクしているけど、向こうも様子を見ている感じ。下手なことしなければ、いきなり攻撃されるようなことはない……かな? ないと、いいんだけど。
「待って……落ち着こう。取り敢えず、着替えとか食料とかは積んでいるし、水もあるし……二週間くらいは何とでもなるはず」
そう考えながら、車に積んだものを思い起こす。
ちょっと注文数を間違えたカレーのルーとか、レトルト類もたくさん。
奮発して買った、車に搭載できる冷凍庫には氷とか入っているし、お肉とか魚も入ってる。水も二リットルのが一ダースは積んであったはず。なぜか米に至っては十キロが三袋積んである。……十キロが三袋って。私はいったい何がしたかったんだろうか。
しばらく旅行というか放浪するつもりで家を出たとはいえ、ちょっと冷静に考えるとこれはない。
まあ、買い過ぎたレトルト類の量からしても、色々と重なりすぎてやっぱりちょっと精神的におかしくなってたんだろうなと改めて思った。
「そういえば、ココアも大量買いしてたな」
一年ちょっと前に体験した、不可思議な出来事。多分、あれが頭のどこかにあったんだろうね、色々なモノを本当に大量に買い込んでいたらしい。……自分では買った記憶なんてないので、気が付いたら部屋に箱が積んであって驚いたというか。
仕事を辞めて家の片づけをしていた時にそれに気づいて、この目の前にある箱の山はどうしたらいいんだろうかと途方に暮れたのを思い出す。
「えーと……まあ、日持ちするモノは持っていけばいいかと車に積み込んで、ついでに着替えとかも積み込んであるし……」
取り敢えず、今日の自分の行動をもう一度思い起こしてみる。こっちを窺っている人たちは、今のところ動く気配はなさそう。ちょっと、落ち着こう。
もう一度、確認。
今日は、日の出前に家を出て……しばらくあちこちフラフラするつもりだったから、前日のうちに車には色々と積めるだけ積んであった。そして、家を出る時に兄から貰ったネックレスとイヤリングをつけて、出発した。
「で、キャンプ場へ向かっていたはず。……山の中、走ってたよね? ここはどこよ? キャンプ場までは一本道なハズなんだけど」
記憶と所々に立っていた看板を頼りに進み、間違いなくキャンプ場を目指して進んでいたはずなのに、気づいたらよくわからない場所にポツンと止まっている。何度考えても、ここに至る記憶が全くないのが怖い。
ただ、わからないながらも車の中から辺りを見ていて、それに気づいた。さっき感じた既視感の理由に。
有り得ない、そんなわけないって思う気持ちと、もしかしたらって考えが頭をよぎっている。
「似てる……」
うん、似てるんだ。以前、窓から見ていた景色に。
「そんな事が……?」
私は昨年の正月休み中、二週間ばかり不思議な体験をした。
当時、私は実家で一人暮らしだった。両親は父の転勤で車で三時間くらいの距離に引っ越しており、そっちが気に入って終の棲家を手に入れて、暮らしていたから。
本当は年末年始の休みで新しい実家……両親のところへ行く予定だったんだけど、ちょっと色々とあって行かなかったんだ。で、ひとりでのんびり過ごしていたんだけど、その時に不思議な事が起こった。
なんとなくパソコンをいじっていた時に自分の部屋に、突然に窓が現れたのだ。
直前までただの壁だった場所に突然現れた窓。調べてみたけど本当に窓で、開けたら体を外に出せた。しかも窓から見える風景は、全く見覚えのない場所。自宅周辺の景色ではないことは、明白だった。
その後、色々あってその窓を通して知り合った少年と話をするようになり、その少年がお友達を連れてきたりと、それなりに楽しく交流してたんだ。そして、そこでもう一度逢いたいと願っていた人との再会も果たした。
その後、窓はただの壁に戻り、不可思議な交流もその時に終わった。
あの一連の出来事が、自分の妄想が作り出したものだったんじゃないかと考えたこともある。でも、私の手にはずっと帰ってくるのを待っていた人から渡された手紙と細長い箱が残っていた。箱の中身は、私の誕生石のネックレスと、お揃いのイヤリング。普段使い出来そうな、シンプルだけど品の良い品物だった。
そして今、私はあの時に窓から見た風景とそっくりな場所にいる事に、今更ながら気づいた。
「どうなってるの……」
戸惑っている間に、少し離れたところに見えていたでっかいお屋敷の方から、こちらの様子を見ていた人たちとは別の、何人か近づいてくるのが見えた。
あ、やばいかなと思ったんだけど、先頭を走ってくる一際小さな人影に気づいたんだ。
先頭を走っていた、その人影は。
「あれ……えっ、うそでしょ!?」
私が声を上げた事で、向こうが反応した。
先頭をすごい速さでちびっこ、その後ろを数人が慌てた様子でこちらへ向かって走ってくる。
「あー! やっぱり、まきちゃんだー!」
「パトリックくん!?」
慌ててエンジンを切って車から降りると、パトリック君は何の警戒心もないような感じで、勢いそのままに抱き着いてきた。
「まきちゃん、ひさしぶり! 今日は、まどじゃないんだね! いつこっちにきたの!?」
次々に質問を繰り出してくるお子様に、こっちはパニック寸前。
あの時の不可思議な出来事で窓越しに話をしていたあのお子様が、目の前にいて自分に抱き着いているんだもん。
「えと……パトリック君、もしかしてあそこに見えてるの、君のお家?」
「そーだよ!」
笑顔全開で頷いている。そして、お子様を追いかけてきた護衛らしき人たちは戸惑っているようだった。それはそうだよね、どこからか現れた謎物体の中から出てきた正体不明に、護衛対象が抱き着くんだもん。そりゃ、戸惑いもするでしょーよ。
事実を認めたくなくて現実逃避したい気分だが、そうも言ってられない。だってパトリック君の護衛らしき人たち、腰に下げた獲物に手を当ててるんだよ!
「きょうはね、父上もお家にいるよ! 父上のお友だちも来てるの!」
「そ、そうなんだ……」
そう言われて手をぐいぐい引っ張られてるんだけど、これはついて来いって事でしょうか……?
もう、本当にどうすればいいのかわからない。マジでどうしたらいいの、これ。
考えたところで無駄なんだろうけど、本当にどうしよう? 所謂、異世界転移ってやつだよね、これ。
考えれば考える程に頭が痛くなってきたが、あまりの衝撃に却って冷静になれた気がする。
「あのね、ちょっと待って、パトリック君」
「なーに?」
きょとん顔で首傾げないで。相変わらず可愛い子だな。
「あのね、いきなりだとお家の人が驚いちゃうよ? 私はここで待ってるから、お家の人、誰か呼んできてくれる?」
「わかった!」
にっこり笑って、承諾してくれました。同時に、たーっとお屋敷めがけて走っていくパトリック君。……足、速いな。あの子。
そして、パトリック君について来ていた護衛は二手に分かれたよ。全部で四人いたんだけど、二人はパトリック君の後を追って、後の二人はこの場に残っている。
「えっと……話をしても大丈夫でしょうか?」
取り合えず、残っている二人に話しかけてみた。
警戒しているみたいだけど頷いてくれたので、ちょっと色々と聞いてみることに。
「取り合えず、ここってどこでしょうか?」
「……エルドラス王国の王都ラーザです」
うん、間違いなく聞き覚えがあった。
もう十年以上前になるけど、当時私がハマってたゲーム。
ヒロインが数人いる攻略対象から一人を選んで恋愛に発展させていくゲーム。そのゲームの中の世界、国の名前も王都の名前も私は覚えている。大好きだったゲームの中で、何度も耳にしたから。そして……不慮の事故で行方不明となった兄が、今生きている世界。
「あの、この場所って……あ、いま、私がいるここです。どなたかのお宅の敷地内でしょうか?」
「カンタール侯爵家の敷地内です」
その名前も覚えがある。これはもう、確定だろう。
ちょっと真面目に現実逃避したくてクラっときた。色々なモノが追いつかない。何がどうしてこうなったんだ。
「こちらからも質問出ていいだろうか」
「あ、はい。どうぞ」
「まず、君はどこから来た? その、後ろの奇妙なモノはなんだ?」
いきなり核心ついた質問してきたよ。
さて、どう答えたものか。
「えーと、正直に言いますけど、どこから来たのかは私にもわからないです。山の中の一本道を走っていたはずなんですけど、気づいたらここに居ました。それと、これは」
そう言いながら後ろを振り返る。
「これ、車って言います。えっと……馬を必要としない馬車、みたいなものです」
「「は?」」
二人の声が重なったよ!
わかる。わかるよ! 理解不能だよね、いきなりそんなこと言われても! でも、他に説明のしようがないんだよ!
だってさ、この世界の移動って、馬とかなわけでしょ? 前に窓が繋がってた時にも、馬車らしきものが行き来してるのは見えてたし。ガソリンみたいな化石燃料なんてないでしょ、どう考えても。
そんなしょーもない事を考えつつも、お互いに探り探り質問しあっていると、また数人がこちらへ向かって走ってきた。今度は先頭はお子様じゃない。
「マキ!!」
その声に、不覚にも一気に涙腺が緩んでしまった。
だって、こんな訳の変わらない状況で怖かったんだよ!
「にーちゃん……っ」
駆けつけてきたのは、容姿はともかく中身は私の兄だった人。というか、兄だ。
「お前、なんでっ!? は? 車ごとこっち来たのか!?」
「に゛ーちゃん、もうわけわかんないよぉ……」
「わっ、泣くな泣くな、もう大丈夫だから! 俺が何とかするから!」
わたわたしながらも小さいころによくやってくれたように、ふんわりと抱きしめて背中をポンポンされて、なんか安心して余計に涙腺が緩んでしまった。
見た目は違っても、しゃべり方や何気ない仕草や反応、そのすべてが兄を思い起こさせるのも、本当にホッとする。
「あー、父上、まきちゃん、なかせたー!」
「ち、違うぞ!」
ちょっと遅れて戻ってきたらしいパトリック君に言われ、兄が慌ててる。否定しているけど、お子様はいけないんだーって感じで泣かせたーって連呼しているよ。
本当に違うんだよ、パトリック君。君のお父さんは何もしてないんだよ。
そう言ってあげたいんだけど、なんか兄に会えた安堵から涙腺崩壊しっぱなしだし、もうどうしていいのかわからない。
「わ、これジ〇ニーだよね? 最新型かな? いいなぁ、乗りたかったなぁ」
「ひっさびさに見たな、車なんか」
いきなり聞こえてきた声に、驚いて振り返ったら。
いつの間にかそこにいた、黒髪の女性二人。
ひとりは背の高い……騎士っぽい格好している。あ、この人、左右で目の色違う。人間のオッドアイって初めて見た。もう一人は、私と同じくらいの身長で……この人はどこからどう見でも日本人……? なんか、日本人形みたいな色白の女性だ。でもこの二人、車知ってるよね……
なんか、色々とびっくりしすぎて涙が引っ込んでた。兄がどこから取り出したのかハンカチで涙を拭いてくれてることにも気づかないくらい、ちょっと本気で驚いた。
「お前ら、待ってろっつっただろ!」
いきなり兄が二人の女性に怒鳴る。
「なんでだよ。こんなん、お前よりエル連れて来た方が何かわかるかもしれねーだろ」
……日本人形のような女性、意外にも口調が荒い。
そんなことを思いつつ何となくもう一人のオッドアイの女性を見たら、バッチリ目が合った。その目が緩やかに弧を描くのを見てちょっとゾクってなった。
怖いとか、そんな感じじゃないんだけど、なんかこう、得体が知れないと言うか……
その彼女の視線が少し下に下がり、私の首辺りを見ている……?
「ルシアン、お前さんその彼女に魔道具贈ったでしょ」
「は? ……あ、ああ、贈った。いまコイツが付けてるネックレスとイヤリング」
「それがトリガーだね」
「どういうことだ?」
「要は、そのネックレスの方ね。それ、中央の宝石。旧時代の遺物だよ。かなり特殊な付与がされているみたいだから、気づかなかったんだろうけど。その左右にお前さんが魔石つけて……ああ、前に防御系の付与付けてくれって頼まれた時のか。まあ、それらの相乗効果というか、予想外の働きをしたってところかねぇ」
「予想外?」
「うん。多分ね妹さん、命の危険があったんだと思う。事故か災害かはわからないけど突発的な何かが起きて、それに巻き込まれたんじゃないかな。イヤリングとネックレスの魔石は……それで守れる範囲だったらこっちに来るなんてなかったんだろうけど、それだけじゃどうにもならなかったんだろう。宝石の付与が反応したのは間違いないと思うよ」
女性と兄の会話の内容はよくわからななかったけど、それでもどうやら自分に命の危機が迫っていたのではという事を女性が言っているのは理解できた。でも私、普通に山道を走っていただけなんだけどね……?
「そうだとしても、ここに来た理由は? 宝石の付与が関係してんのか?」
「関係してるだろうねぇ」
あっさりと女性が肯定。
そこで、女性が再び私を見る。……あ、さっきのゾクっとした感じはもうないな。
「恐らく、だけど。今の妹さんにとっては、あちらには安全な場所がなくなってしまったんだろう。そこへ何かが起きて、宝石の魔法陣が発動した。妹さんが会いたいと願った相手が、ここにいるんじゃないかな。だからこそ、ここへ導かれたって考えるのが自然だと思う」
「いや、それって転移って事だろ? しかも異世界だぞ? 次元を超えた転移とか、そんなこと有り得るのか?」
「そこに生き証人がいるのに、何を疑うの?」
そう言って指さしたのは、日本人形みたいな女性。指をさされた女性は、眉間に皺寄せてるけど……
「コイツは召喚術によって引っ張られたんだろーが」
「同じことだよ。召喚術って、転移陣を元に開発されたものだもの」
「は?」
兄は怪訝そうな顔をしていたものの、すぐにハッとした。
私は、はっきり言って兄たちの会話の大半が意味不明だったけど、事態を把握したらしい兄の顔から、見てわかるほどに血の気が失せて行った。
あ、これは私がこっちに来てしまった原因を作ったのが自分だと思ってるな。
でも、それは違う。違うんだよ、にーちゃん。
いまの、女性の話が本当だとしたら、私には思い当たる事しかない。仕事を辞めたのも、長期で旅行に出ようと思ったのも、色々なことから逃げたかったからだ。誰も戻ってくることがなくなってしまったあの家に、一人でいる事に耐えられなかったから。
「にーちゃん、違うよ。私がこっちに来たの、たぶん、私がいろんなことから逃げたかったから」
正直にそう言えば、顔色悪いまま、どういう事だって聞いてくる。
「逃げたかった?」
「うん。あのね、私、色々あって仕事辞めたの。お父さんとお母さんは、二か月前に事故で亡くなってて」
「はあっ!?」
「その事故もね、私が……」
そこまで言って、また涙があふれて来た。
両親は、私が殺したも同然。私がもっとちゃんとうまく対応できていたら、あんなことにはならなかった。
私の様子を見ていた、日本人形みたいな女性の方が兄を見た。
「……ルシアン、場所を移そう。取り合えず、今日のところは妹さんを休ませてあげた方が良い。根が深そうだ」
「そうだな。ほら、マキ。おいで」
差し出された手を、何も考えずに握り返す。
小さい時、良く手を引いてくれたことを思い出してまた涙があふれてきた。心配そうにのぞき込んでくる兄に大丈夫とは言ったものの、自分でも大丈夫じゃない事はわかっている。
「車は運んでおく。早く休ませてやれ」
「ああ。すまんが、頼む」
この後、兄宅に案内されて放り込まれた部屋で翌朝まで爆睡することになるんだけれど。
この時点では自分の身に起きていることに半信半疑だったし、都合の良い夢でも見ているんだろうって思うも少なからずあったのだが。
翌朝、目を覚ましてそれが崩れ去るのに時間はかからなかった。