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残されたもの

 孤児院の高い塀だけが立て直されていた。

 その内側に孤児院らしき建物はなく、ぽっかりと空いた広い空間に、リルたちを吊るした台だけが取り残されていた。

 外壁の外側の民衆は、いつの間にか、そこを集会の場とするようになっていた。


「そもそも俺たちが犬猫を虐殺していたことが発端じゃないのか!」


 台の上に立ち、しわがれた声を上げる。

 ざわめきが、集まった民衆の中を広がって行く。


「子ども心に笑いながら始めたのは、他でもない俺たちだ!」


 言葉の矛先は、領主でも、王都でもなかった。

 それぞれが、自分自身に向けている。

 誰も答えず、誰も否定しないまま、うつむいた顔だけが増えていく。


 塀の外側、入り口の坂道。

 そこに、二つの影が立っていた。

 あたしは三つ目の影として、傍らに立つ。


「……こんな風になるなんてな。」


 ドーラが腕を組んで門から中を見る。

 肩から下げた鎧の飾り紐が、風に揺れてかすかに鳴った。


「そうだな。こんな終わり方、わしは見たことも聞いたこともない。」


 ルイスが小声で応じる。


「反乱軍の作戦は、俺たちを欺くほど完璧。驚くほど冷静に見えて結局は、怒りに我を忘れてた。つくづく、人間ってヤツは残虐な生き物だよ。」


 ドーラは目を閉じて、塀の向こうのざわめきを受け止める。

 罵声ではない。責任の押し付け合いでもない。

 ただ、口々に、自分の手を振り返っているだけの声。


「さて。」


 目を開けると、その瞳はまるで戦場に立つ時のような鋭さを帯びていた。


「こんな言葉が出るなら、機は熟したってことだ。法の形を、少しだけ変えてやらんとな。」


 ルイスは黙ってうなずいた。

 


 領主邸の会議室には、冬支度に向けての書類が山と積まれていた。

 その一角を押しのけるようにして、鳥獣憐みの令の原案や改定案が広げられている。

 領主、特使、四大貴族に加え、レン坊ちゃんとあたしまで招かれていた。


「――全部、なくすわけにはいきません。」


 エレガンが、指先で紙束の端を揃えながら言った。

 疲れは隠せないが、その声には、まだ折れていない芯が残っている。


「あえて反対する立場に立たせていただきます。ドーラ様やルイス様が持ち帰った情報によりますと、民衆は既に悔い改めているのですよね。非常に強く。では令などなくとも自ずと傷付けることはなくなるのではないでしょうか。」

 カタリナがエレガンの意図を汲み取りながらも、反対の立場を宣言する。


 隣に座るファルスがそれに応じる。

「この街の外ではもう、我が街は聖女の街、奴隷解放の街などと認識されています。令そのものは撤廃し、本国の法で調整していただいた方が、鳥獣憐みの令の効果は際立ちます。」

 同じくエレガンの意図を汲み取りながらも、令の撤廃を謳う。


「外聞だけを気にしているわけではない。」

 ドーラが椅子の背にもたれ、天井を一度だけ仰ぐ。


「あの子が、あそこまでして止めたかったのは何だ。犬猫だけじゃない。鞭も、石も、それを見て笑う声すらも。全部まとめてイジメと呼んでいたな。俺は、リルの思いの形として残してやりたい。」

 エレガンの意図を直接言葉にするドーラ。


 エレガンの手が一瞬止まる。

 リルが書いた稚い字のメモ――捨てられなかった紙片が、机の端に差し込まれている。


「それはここにいる皆が、そう思っておられることでしょう。ですが、感情論で法令の要否を決めるわけにはまいりません。」

 カタリナが、緩みかけた場を締める。


「領主様。」

 カイが、言葉を選びながら口を開いた。


「今の令は、あまりに具体的過ぎます。犬猫、害獣、家畜……個別に書けば書くほど抜けができますし、抜け道も生まれます。それに、リル個人の好悪と混同されてまう部分もあるんやないですか。」


 エレガンは静かにうなずく。

「つまり残すなら、リル個人の物語から、街全体の戒めに変えろ、と、言うわけですか。」


「今ならば、聖女がこう言ったからではなく、この街はこう決めた、にできるでしょう。でないと、あの台に吊るされた意味が、娘ひとりの悲劇で終わってしまう。」

 オクパトスが、令の存廃には触れずまとめる。


 沈黙が落ちる。

 外からは、噴水の水音がかすかに届いていた。


「では。」

 エレガンが、白紙の板面を指さす。


「一行だけにしましょう。具体は、いくらでも解釈できるように。」


 エレガンがペンを走らせる。

 墨の匂いが、部屋の空気を少しだけ引き締めた。


「……むやみに、生き物を虐げることを禁ず。」


 声に出してみると、思ったよりも短かった。

 だが、その短さが、かえって逃げ道の少なさを物語っているようにも思えた。


「名を残せますな。鳥獣憐みの令、という呼称。それから、リル殿の願いを。」

 とルイス。


 エレガンは少しだけ目を細めた。


「残します。」


 聖女の悪法だと呼びたい者には、そう呼ばせておけばいい。

 その裏で、この街の人間が何を考え、何を改めようとしたかは、ここにいる者たちが覚えていればよい。

 そんな風に、会議はきれいに収まりかけた。


「令を残すのであれば、罰則についてもご検討ください。」

 ファルスがぴしゃりと流れを切る。


 そりゃ、そうだけどよ。

 ただの傍観者であるあたしは、せっかくきれいに纏まりかけていたところに水をぶっ掛けられたように感じていた。


「罰則など不要だよ。もちろん罰金もね。」

 ネロがにこにこしながらそう告げた。


「ふふっ、あなたがそれを言うのですね。」

 隣のオクパトスが釣られて笑う。


「カタリナ、ファルス、よろしいでしょうか。」

 エレガンがそう促すと、二人は黙礼で返す。


「では、貼り出しは――」

「孤児院です。」


 エレガンは迷わず言った。


「あの台を、ただの晒し台で終わらせるわけにはいきません。」

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