鞭の行方
「近衛軍に注目が集まっているので、このまま反乱軍の鎮圧について整理しましょう。」
この反乱には、不可解なことがもう一つあった。
その落としどころが、この会議で決着するだろう。
「私の方で参考人を用意しています。入れてもよろしいでしょうか。」
ファルスの提案が通り、表で待たせていた行商人が招き入れられた。
「私が走らせる馬車を追い越すように、目の前に兎の獣人が飛び込んで来たんです。」
状況を把握していない行商人は、報告のまま話せばいいと言われてそう切り出した。
「ラヴィのことか?目的がリル救出に変わってウチからも参加させた、奴隷候補らの逃亡旅団を率いとったんやけど。」
「逃亡、旅団……くそっ、俺たちは……」
カイの発言から、逃亡という語を拾い、言葉を詰まらせるバルカ。
目に、涙を浮かべて。
「そうです。私は避ける暇もなく、ラヴィさんを撥ねてしまって。同伴者のリオナさんという女性に頼まれて、領を出てすぐの街まで運びました。」
「ありがとう。下がってくれ。参考人からの情報は以上です。」
ファルスは行商人を下げる。
「その二人だ。逃亡旅団を逃がすために、殿を務めて残った。そうだよ。逃亡だったんだ。俺たちと数は同じくらいいただろう。聖女を助け出すと、一切争う意思を見せずに去って行ったんだ。」
バルカの目には、後悔がありありと浮かんでいる。
リオナとラヴィの安否の話だったはずだが、思い出すのは逃亡旅団の姿ばかりなのだろう。
「ちょっと待て、ラヴィが出発前に言っていたぞ。逃亡旅団のみんなは、例外種になっているみたいだって。それが怒りだ。ってみんなに告げていたんだ。」
レンから投じられた情報は、その異常さを際立たせた。
「そうだね。紫露が、水を止めるために、水結晶を粉にした。それは本来、枠の内にある、願いの魔法を、打ち消す。そういう術なんだ。術で粉になることを、利用して止めたんだ。」
イシスが底知れぬ紫露の実力の一部を明かす。
なぜか、バルカの背後に立ち、その耳を塞ぐようにして。
俺が王都で辺境伯領の特使に就くために苦戦していたころ、シロと出会った。
リルの側に戻るためだと話すと、後天的に例外種を造る方法を知っていると言って、近衛軍を用意した。
その功績をもって、俺はこの辺境伯領の特使となったのだ。
「願いの魔法について、教えてもらえへんやろか。」
魔法なんてものは、伝承として残るような大昔とは違い、自由に使えるものではない。
ここらで確認できるものと言えば、水結晶と、知る人ぞ知る黄金の穀倉地の豊穣。
帝国に至っては、魔法に頼らない国家運営をしている強国だ。
「願いの魔法は、魔物と人間とで、子をなすための、愛の、魔法さ。イシュの民の、血に宿る。原初の人間が、反抗期を恐れて、怒らないよう、ちょっとだけ願っちゃった。だから、怒りを、抑えるようにもなった。という説が、僕は好きだね。」
イシスは部屋の中を自由に動き回って、人と人との間に顔を出したりしながら、大げさに語る。
発生原因はともかく、気性が穏やかなイシュの民の血には、この魔法の力が宿る。
それを打ち消すのだから、当然怒れるようになったはずだ。
「うちのモンらは、みーんな優しいからな。誇らしいわ。いっちゃんでっかい熊の獣人のツッキーなんかな、いっつもみんなのこと気遣っててな、めっちゃ編み物とかすんねん。怒れるようになったからって、暴力を振るうようなんは、モンらにはおらんって。」
皆の視線が一斉にカイへ向かう。
場を弁えず軽口を叩き出したカイを、誰もが諫めようとしたのだ。
俺の口からも、咎める言葉が出かかった、そのときだった。
「熊の……獣人……あいつか。……あいつは俺たちの手で、丁重に弔った。」
「なん……やて……?どういうことや!死んだ、ゆーんか!?」
カイの叫びを聞いて、泣き出すのはバルカの方だった。
「あいつは、逃がすために力を振るった。弾みで兵が死んだ。うろたえて膝から崩れ落ちてなお、血を止めようとしていた。そこに別の兵が突進してきて、槍で刺した。背中越しに腰から胸に抜けてなお、そいつは死んだ兵を潰さないよう、両手をついて絶命したんだ。」
とめどなく流れ落ちる涙とともに、間近で見ていただろう状況を語るバルカ。
「あいつらに矛先を向けながら、あいつらを見ていなかったと気付かされた。その時点で、俺たちには戦意なんて残っていなかった。」
「流れた水は元には戻りません。」
カタリナが冷たく告げる。
まるで、後悔に酔うことなど許さないとでも言うかのように。
それ以降、バルカは黙り込んでしまった。
効きすぎた水だと、一瞬だけ思った。
さっき皆の視線が一斉にカイへ向かった光景が、脳裏にちらつき、ぞっとする。
見逃されたイシス。
視線が向けられたカイ。
明らかに咎められたバルカ。
反乱軍と同じ行動原理に陥っている。
これこそが、歪みなのだろう。
冷や汗が伝うのを感じ取り、姑息にも話題を変えるという方法を選んだ。
「俺は紫露にリルを頼むと要請した。」
動かせる軍は、近衛軍しか残っていなかった。
短時間で戻って来た橙たちが、模擬戦同様圧勝したのだと思っていた。
反乱軍の死傷者多数、イシュの民の死者は計り知れない。
そんな情報が、各国には出回るだろう。
「僕は、無事に追い付いたらイシュの民を正しく伝えてとお願いしたよ。かいつまんであらましを教えてさ。」
ネロが紫露にそんなお願いをしていたようだ。
確かにリルは、獣人のことをイシュの民だとは思っていないような節があった。
「逃亡旅団の死者数の情報は、個別にはありません。少なくとも今、1名は判明しましたが。」
オクパトスがリルを含む他の者たちの安否に誘導する。
「紫露と一緒に、みんなを弔った。やったことは、それだけ。ツッキー以外に、葬送に足した者は、いないよ。紫露は、ハピィの案内で、逃亡旅団を、追い掛けた。」
オクパトスの隣からひょいと顔を出し、対角のカイに視線を向けたかと思うと、羽ばたくような手振りで末席側へ歩いていく。
少なくとも人間の手で殺されたイシュの民は、逃亡旅団の中にはいないと見ていいだろう。
「では、外壁の外側の民衆の処遇を、どうするか決めていきましょう。」
エレガンの進行に、バルカの肩がぴくりと動く。
同時に、イシスの動きも止まった。
「人的被害は、孤児院名簿の、おそらく全員。そして、逃亡旅団の1名。そして、反乱軍数名。物的被害は、水結晶1基、外壁の一部、孤児院全損です。護岸に損傷はほとんどありません。」
「イシュの民の力で、造られたものばかりだね。」
オクパトスが整理する。
イシスがすかさず投じた一言で、釘を刺されたように思えた。
「なんでそんなんやねん。怖いわ自分。俺なんかツッキー一人のこと聞いただけでおかしなりそうやのに。」
「そうかな。処遇って、何。僕からすると、そんな考えの方が怖いよ。人間はすぐ、鞭でぶつもんね。」
それだけ言い残すと、イシスは興味を失ったように、部屋を後にした。
「……どないすんねん、これ。」
「してやられたな。」
俺の言葉で、会議は終わったようなものだった。
会議は細部の擦り合わせへと沈み、外壁の外側に鞭が振り下ろされるようなことはなくなった。
ネロの横顔が、どこか拍子抜けするほど静かだった。
指先を伸ばして合わせた自分の両手に視線を落としている。
その澄んだ眼差しが見ているのは、きっとリルのことだろう。
そう思えたのは俺の親心のせいかもしれない。
イシスが謳った愛こそが、歪みの出口になるのだろうか。
我ながらきれいごとに過ぎると思いながらも、完全には否定しきれず、苦笑いがひとつ漏れた。




