若き代表
会議室に並べられた椅子が、その日はいつもより一脚多かった。
穀物家の後継として、カイが正式に呼ばれていたからだ。
細長い会議室の奥、火の入っていない暖炉の前に一枚板の長机が据えられていた。
その短辺の中央に、お父様が腰掛けていた。エレガン辺境伯としての顔だ。
お父様の右手側、長辺の最も上座にネロおじさん、その隣にオクパトスのおじさん。
続いて運輸家のファルスと水務家のカタリナが並ぶ。
王都からの二人と、道と水を握る二家。壁の内と外をつなぐ線を、そのままなぞったような並びだった。
左手側の長辺、上座にはドーラが座る。
お父様の隣ではなく、脇。
夫婦でありながら、領主と特使という距離も保った席だ。
その隣に軍務家のルイス、さらにその隣にカイが座っている。
前回までは、穀物家の席がルイスより上座にあった。
今回から、兵を預かる軍務の方が、穀物より机寄りになっている。
空いた一席は、かつてそこにいた者の不在でもあり、いつか誰かが座るのを待つ場所にも見えた。
カイのすぐ後ろには、穀物家の年配の者が一人、付き添いとして控えていた。
開会の挨拶が済むと、静かに一礼し、部屋を辞していく。
この場で責を負うのは、もう若い当主ひとりだと示すための段取りなのだろう。
私とリオナは、お父様の少し後ろ、壁際の長椅子に控える。
上座にかたまった四人──お父様とドーラ、ネロおじさんとオクパトスのおじさん──が、この部屋の芯だ。
その芯に、四家の代表と私がどう重なるのかを、いやでも意識させられる配置だった。
窓の外には外壁の影。
ここが、鳥獣憐みの令が試験的に施行されている、王国でただひとつの領地であることを思い出させる。
◆
「では、議題を確認いたしましょうか。」
オクパトスのおじさんが書類を軽く持ち上げた。声はいつも通り乾いている。
「下級役人による動物を使った恫喝の多発について。現行の鳥獣憐みの令のもとで、どこまでを所有とみなし、どこからを禁ずるか。次の期への移行を視野に入れた線引きの検討。」
「恫喝、ね。」
ネロおじさんが肩をすくめる。
「かわいいお嬢さんや坊やの前に獰猛な獣をね。親は子を守るために手を出す。からの罰金。あるいは、怖がった親が勝手に従う。悪知恵を働かせるには、楽な仕組みを用意しちゃったねぇ。」
「楽だからこそ、横行しているのです。」
ファルスが静かに続ける。きっぱりとした口調だった。
「外壁の内側の娯楽にもなっている節がある。聖女様のおかげで、あんな悪党も犬の前では震え上がる。などという噂話は、決して悪評としてだけは受け取られていません。」
胸の奥が、少し冷えた。
私が作った法の名前が、そんな使われ方をしている。
「外壁の外側からも、動物を盾に恫喝するのをやめさせろ、誰かを脅すために犬や家畜を使うなど言語道断だ、という嘆願が届いております。」
オクパトスのおじさんが別の束を示す。
「内側で生まれた法を、内側の役人が盾にして、外側の民を脅している。……その構図が、歎願書の行間からも読み取れます。」
「恫喝そのものを罰する規定は、すでにありますな。」
ルイスが低く言う。
「ただ、条文は人同士のやりとりを想定していて、動物を盾にした場合までは、書き込みが甘い。」
「なら、恫喝の盾を奪うか、恫喝する側から権限を奪うか、その二択だな。」
「後者を選ぶと、役人が足りません。」
オクパトスのおじさんが即答した。
「ただでさえ辺境です。監視の網を細かくすれば、別のほころびが出る。となれば——」
「動物の所有そのものを、禁ずる方向で考えざるを得ないかな。」
ネロおじさんが言葉を継いだ。そこで、いくつかの椅子が小さく軋んだ。
「待ってください。」
私の声が出ていた。
みんなの視線が一度だけこちらを向く。リオナが、そっと私の袖をつまんだ。
「……言ってみなさい、リル。」
お父様——エレガン辺境伯が促してくれる。
私は深呼吸をして、口を開いた。
「所有をまとめて禁じてしまえば、恫喝は止まるかもしれません。でも、今度は別の困窮が生まれます。畑を守る犬も、荷車を引く獣も、全部一度に奪うことになる。」
「だからこそ、例外を詰めるのです。」
オクパトスのおじさんが、淡々と続ける。
「殺して食べるための家畜。卵や乳を得るための家畜。輸送用の獣。どこまでを不可とし、どこまでを不可避の必要とみなすか。」
「穀物家としては、申さねばならぬことがございます。」
カイが、いつになく真面目な声を出した。
字面からはわからない独特の抑揚が残るものの、いつもの軽口は影を潜めている。
「肉も卵も乳も、貴重な栄養源です。害獣期で外壁の外側は畑が荒れてます。ここで所有禁止となれば、飢える者が出ます。」
◆
肩に巻いた布の下で、石が割った痛みがじわりと広がる。
冷やす水も足りず、湿らせた布を押し当てて結わえただけの傷だ。
こうして自分が的になって、ようやくあの会議室の光景が、言葉ではなく手触りを伴って戻ってくる。
暖炉の前の長机。動物を使った恫喝をやめさせろという嘆願書。
あの紙に並んでいたのは、犬猫をかわいそうがる声ではなかった。
動物を盾にした恫喝をやめさせろ。
誰かを脅すために犬や家畜を使うなど言語道断だ。
悪かった、ではなくあいつらに犬を盾にさせるな、という怒りだった。
あの歎願を寄せたのは、もともと犬猫を切りつけ、放置した人たちだということ。
その手が法に縛られたはずなのに、いつの間にか守られる側として、同じ法の中に居場所を求めてきたこと。
自分たちが害したせいでできた鳥獣憐みの令に向かって、自分たちを守れと食ってかかる。
私はあの怒りを、私のせいだ、何とか助けないと、と受け取っていた。
所有をまとめて禁じてしまえば恫喝は止まる。
けれど畑を守る犬も、荷車を引く獣も奪うことになる——そうならない線を探しているつもりだった。
傷付けることを禁ずるという理念を、誰も新しい被害者にならない形で守ろうとしていたのだ。
けれど、鳥獣のための法に、鳥獣ではない人間を直接書き込むことはできなかった。
その線の外に残された人間が、私に石を投げた。
法そのものが間違いだったとは、まだ言いたくない。
けれど、誰の怒りを、どの高さから運んで机の上に置いたのか。
あのとき見抜けなかった重さが、傷の奥から響いてくる。




