アメシスト国へ
「わあ」
思わず声が漏れた。
あれから夕食を食べてこけもものドリンクを飲んだ。それからラスの魔法で宙に浮くと、太い枝にぶつからないようにしながら樹木のてっぺんまで飛ぶと、本当に入口があった。あったと言うより何故が木の真上に扉があった。
木製の、優しい木の色をした何処の家にもあるような扉。
不思議、どうしてこんな樹の頂上に扉があるの?これも魔法なのかしら。
「入るよ」
ラスが躊躇なく扉のドアノブに手をかけると、ギィとした音を立てる。ラスの背中から中を覗き込むと、遠くの方でたくさんの灯りが見えた。
「み、ず?」
「湖だね」
恐る恐る扉を潜ると私たちは湖の上にある孤島に立っていた。孤島の上には何もない。ただ、新緑色の芝生が生えている。その周辺を広い広い湖が広がる。灯りが見える街も大分距離がある。
パタンと扉が閉じる音がして振り返ると、あの扉は消えていた。
初めて見る湖はとても大きく、夜のせいか果てしなく見える。
遠くに見える街までは飛んで行くのだろうか。そう思った矢先、孤島に小さな船が寄せられていることに気付く。
「折角だから船で行こうか」
小舟に近づくと、中にはランプが置かれていて火も灯っていた。
「この扉を使った人の為に置かれているんだ。飛べる魔法が使える魔法使いは必要ないけれどね、今回は折角だから。さあおいで」
なかなか乗らない私にラスは両腕を広げる。
飛び込めってことかしら?少し恥ずかしい気もしたが、目を瞑り彼の腕の中へ飛び込まず、手を借りて乗り込むと船がぐらぐらと揺れた。
勿論、船に乗るのも初めてなのだが、そんなものは怖くはない。
先程からラスのブレスレットや小舟にあるランプに照らされて見える、湖の下を泳ぐ細長い生き物の存在が不気味なのだ。今にも食べられてしまいそうなくらい大きい。
「あ、気付いたんだね。怖い?この船に乗っていればアイツらは来れないよ。落ちてしまったら食べられちゃうけど」
そんなことを言うものだから、尚更怖くなり私は羞恥を忘れてラスにしがみついた。時折していた爽やかな匂い、ベルガモットの香りが強く鼻をくすぐる。
幸い魔法で動いているのか、オールを漕がなくて良いおかげで、私はラスにしがみつくことが出来ている。
暫くすると慣れというものは怖いもので、ラスから離れて湖の中を除き込んでいた。
水中をよく見ると光る水草やゆらりゆらりと何かが動いている。その横には不思議な世界が広がっていた。ぎっしりと建物が立ち並び、お城を上から見ているようで、今にも人が出てきそうだ。
幻想的な景色に目を奪われる。湖は底が見えないほど深い。どうして水の中に町があるのだろう。陸にも人はいるのだから水の中にも住む人がいるのかしら。
「ラスさん、すごいわ。湖の中に町があるの」
「昔は人魚が住んでいたらしいんだ、今じゃ姿を現さないから存在してるかわからないけどね」
「にんぎょ?」
「人に魚と書いて人魚。上半身は僕たちと同じ姿で、下半身が魚のように尾鰭がついているんだ。リティは魚を見たことないかな?ちょうどそこに」
ラスは私がしがみついているボートの先を指差す。気になって目をやれば、あの不気味な影の正体の姿があった。
「っ!」
ランプの灯りに照らされて何かがギョロリと動いた。
目玉だ...、大きな目玉がこちらを伺うように見ている。まるで舟から落ちるのを待っているかのようだ。
「落ちたら食べられちゃうね」
少し茶化しながら言うラスにムッとしながらも慌てて小舟から手を離し、必死にラスの腕にしがみついた。
「魚ってあんなに大きいの?私は料理された魚しか見たことがないわ。もしかして私はあれを食べているのかしら...」
「まあ、色々種類があるみたいだけど、あれは食用ではないかな。大丈夫、さっきも言ったけどこの舟から落ちない限り食べられないよ」
くすくす笑う彼を睨みながら、ゆっくりと進む小舟の先を見た。街の灯りが湖を照らしている。辺りは誰もいない。
後ろは呑み込まれてしまいそうな暗闇に不安になる。
暫く小舟に揺られながら時折湖の中を覗けば、あの巨大な魚はいなくなっていて、湖の町も消えていた。気付けば陸が目の前にあった。辺りは明るく、騒がしい音が耳に届く。夜だというのに賑やかだ。
ふと、湖の中にきらりと光るものが見えた気がした。よく目を凝らして見ると、黄金色の長い何かが見えた。そして人の手に美しい色の黄緑色の尾鰭が一瞬過ぎった気がした。
もしかしたら人魚という存在なのかもしれない。
あまり姿を現さないのは、その美し過ぎる姿に人々は囚われしまうのではないだろうか。