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ふわりと頬に当たる暖かな風に重たい瞼を開き、ぱちりと何度かまばたきをする。見慣れない真っ白な天井。顔を横に向けるとレースのカーテンが揺れていた。どうやら開いた窓から風が入ってきているようだ。
ふと右手に違和感を感じ、そちらに目を向けると窓から差し込む光に照らされて、きらりきらりと淡く輝く髪があった。
「ら、す、さん?」
自分の掠れた声に驚いて、握られていない反対側の手で喉を触る。私はどうしたのかしら?
少し身体を起こすと気怠さが残る。何があったのか思い出そうと頭を傾げた時、パチリとライラック色と目が合った。
「リティ!」
名前を呼ばれ、体に衝撃が走る。彼の勢いに起き上がりかけた身体がボスンとベッドに戻った。ラスが私を抱きしめたのだ。ベルガモットの香りが私を包む。抱きしめたというよりは押し倒されている状況に混乱する。
「あっ、ごめんね!心配したよ、身体は大丈夫?」
慌てて顔を上げたラスは謝罪をしながらもまだ距離は近い。至近距離から顔を覗き込まれ、流石の私でも寝起きなのだから恥ずかしくなる。
少しそっぽを向き声を出そうとするも、がらがらと音が出るだけで言葉が出ない。
「ああ、待ってね」
そう言って机に置いてあったカップに水を淹れると、持って来てくれた。
そして起き上がろうとした私の背中に手を添えて手伝ってくれる。私は軽くお辞儀をして、差し出されたカップを受け取ると、水を口に含んだ。
冷たい水が喉を流れる。思っていた以上に喉が渇いていて、思わず勢いよく水を飲んでしまう。時折、口の端から水が溢れ、喉を伝う。
「君は3日も眠っていたんだよ」
水を飲み終わると、ラスは待っていてくれたようで口を開いたが、その内容に驚愕する。
「み、みっが?」
3日と言いたいところだが、声は思うように出てくれない。心なしか体が熱いのだ。
「君のおかげで僕は助かったんだけど...」
そうだ、確か私は魔物に寿命を渡して、それから気絶したんだわ。無事にラスは解放されたようね。私も生きていて良かったわ。
「...リティはどうして僕を助けたの?君が倒れてからずっと気になってた。僕は、そんなことしてもらえる人じゃないのにって喉を痛めているのに話せないよね。ごめん」
そう言って俯いたラスは何かを言いにくそうに口をもごもごとさせていた。
私は世間から見れば箱入りのお嬢様だけれど、下心のない善意なんてものはないと今までの経験上から分かっていた。
今まで優しくされてきた事は数えられるくらいしかないが、皆下心あっての優しさだった。
貧乏の貴族という地位しか無くとも、歴史あるロレーヌ伯爵家を我が物にしようという人達は何人もいた。
今の婚約者を選んだのは、いちばんのお金持ちだっただけ。身体が弱い弟が爵位を継げないのは仕方がない。だから私が婚約者と結婚すれば、少しでも家の役に立つと思っていた。
残念ながら、お父様の優しさはお金の為だった。お母様が生きていたら、少しは違った先があったのかしら。
私はまだ近くにいるラスに少しだけ近づき耳元に口を寄せると一瞬ラスの身体はビクッとして申し訳ない気持ちになる。
小さな声なら出せるだろうと近づいたのだけど、少しだけ我慢してもらえるかしら。
「あの時も、言ったかしら。私は楽しかった、恩返し」
やはり小さな声でも喉が痛く、お礼の意味を込めて少し微笑みながら離れると、ラスは驚いたように目を見開いていた。
それよりも私が気になる事は、あの後どうなったのかだ。アリアさんや魔物さんについて、解決はしたのだろうか?
私が気絶してからの様子を詳しく聞きたかったが、少し怠かった身体がだんだんと酷くなり、身体が熱くて涙目になる。
「らす、さん」
そんな私をラスは驚いたようにまた目を見開き、慌てて私のおでこに手を当てた。
「少し横になろう」
そう言って私の腰に手を添えると、優しく寝かせてくれる。
ラスは何か小さく呟くと、おでこが少し冷たくなった。火照る体には気持ちが良い。
私も魔法が使えれば良いのに、そんなことを思いながら、お礼の意味を込めてラスを見上げて微笑んだ。
微睡む意識の中、「そんな...」と驚くラスの声が聞こえた気がした。