イリュジオン
「魔法使いの国、イリュジオンだよ」
窓から抜け出した先は一瞬目が眩む程明るく、久しぶりに太陽の光を浴びた気がする。
アメシスト国とは違ったまた活気のある街は、魔法使いが多いのか、いきなり炎が吹き出したり、丸い何かが浮かんでいたり、兎に角騒がしく、見ているだけでわくわくしてしまう。
「よし、6日目だからぎりぎりだね」
ラスは時計を確認して、今までにない嬉しそうな笑みを浮かべながら私を振り返る。
そんなラスを少し恨めしく思ってしまいたくもなるが、彼には関係のない事だから仕方がない。ラスは自由を手に入れて、私は夢のような世界から目が覚めるのだ。
絨毯は静かに地面に着地すると、ラスは早々に絨毯を仕舞い、私の腕を取った。イリュジオンに着いたラスは今までは私に気を遣っていたが、口を開くこともなく淡々と私の腕を引っ張り先を急ぐ。時々躓きそうになるが、彼が振り返ることはなかった。
数日間、一緒に過ごしたけれどラスにとって私はその程度の存在なんだと改めて実感する。
行き交う人も魔法使いなのだろうか。街並みもどこか不思議で色も取り取りの不揃いだ。そしていくつか高い塔が聳え立っている。
御伽話だと思っていた魔法使いも、結構存在するのね。
暫く歩き続けると、ラスはある扉の前で立ち止まった。
煉瓦で建てられた可愛らしいお家。入り口は黄緑色の扉に草の冠が掛けられている。そして、可愛らしい花壇には鳥の置物がいくつか飾られていた。可愛らしい筈なのに、何とも形容し難い雰囲気に唾を飲み込む。家なのだから誰かが住んでいるのに、何かがいるような、あるような不気味さに、繋がれていない手で腕をさする。
ラスは静かに扉に手をかけると、中へ踏み出した。どうやら鍵は閉められていないらしい。
家の中は閑散としているが、誰かが住んでいるのか生活感がある。机には先程まで座って紅茶を飲んでいたかのような食器。書き物でもしていたのだろう、ペンと紙が置かれていた。
「いるんでしょ」
ラスが小さく呟くように声を発した。
後ろからは表情が見えないが、声が苦しそうで繋がれている手に力が込められた。
カツン、カツンと靴の歩く音が2階からこちらに近付いてくる。最初に見えたのは赤い靴。夜の帷のような簡素なドレスが揺れてこちらにら近付いてくる。
「アリア...」
ラスが苦しそうに彼女の名前を呼ぶと、彼女はにこりと笑った。
真っ直ぐな長い黒檀の髪が揺れる。恐ろしいほどの白い肌。顔立ちは整ってはいるものの、どこか不安定で彷徨っているような雰囲気が漂っている。
「久しぶりね、あの時と全く姿が変わっていないのね」
クスクスとラスに笑いながら私の存在に気付いたのか、こちらに視線を向ける。
「貴女がこんなまじないをかけなければ、僕も少しは成長していたでしょうね。約束通りまじないを解いてもらうよ」
彼女はまたおかしそうにクスクス笑いながら私を指さした。
「ラスも悪い子ね、何も知らない初心なお嬢様を連れてくるなんて。此処がどこか何の話をしてるのかちっともわからない顔をしてる」
振り返って私を見るラスの顔は無表情で何を考えているかわからない。説明して欲しいのに私が発言することも許さないような空気感に居づらさを感じる。
「その様子だと、お嬢様はラスが魔女だって事も知らないようね」
「まじょ?」
魔法使いは知っているが、魔女は聞いた事がない。ラスは魔法使いではなく、魔女だと言うの?
「アリアっ!」
ラスの悲痛の声が響く。本当は聞かれたくないのだろうが、無力な私には止める力もない。彼女は不敵な笑みを浮かべながら話を続ける。
「魔女は魔法使いよりも魔力を持っていて、魔法の扱いにも長けているのよ。だから昔から魔女は狩られてきたの。魔女狩りと言って、捕まえた者には大金が出るらしいわ」
「...それだけの理由で魔女狩りなんて」
魔女狩り、そんな理由でラスや彼女は酷い目にあってきたのだろうか。
「そう、それだけの理由よ。いつ狙われるかわからない、そんな恐怖が付きまとうの...それなのに!!ラスはどうして分かってくれないの?一緒に戦おうって」
「... ...だからと言って争いでは何も解決にはならないし、そんなのは許されない。いくら魔法使いから差別されようと争いはしたくない」
私はラスの本を胸元に抱いたまま、2人の言い争いを見つめる事しかできなかった。そんな私の姿を一瞥し、またアリアは口を歪めながら言葉を吐き出した。
「魔女狩りをしていたのは、魔法使いたちよ。自分たちよりも優れた人種が存在する事が許せなかったみたい。それだけの理由で魔女は何人も何人も捕まえては利用され続けてきた」
私の顔を見ながら話す、アリアという女性は苦しそうだった。
「だから復讐しようと...?言うこと訊かないラスを本の中に閉じ込めたの?」
「ええ、ラス程の魔力を私は逃したくないの。私にはラスの力が必要なのよ!」
長い黒髪を振り回しながら、頭を抱えるアリア。ずっと復讐だけを胸に今まで生きてきたのだろうか。
私には関係のない話だけれど、ひとつ疑問が生まれ気がついたら口に出していた。
「...私は、貴女の気持ちはわからない。けれど、ラスにしている事は、今まで貴女を苦しめてきた魔法使いと同じ事ではないの?」
「っ黙って!!」
「リティっ!?」
ラスが叫ぶと同時に。私の真横を何かが飛んでいく。私の背後でガラスの割れる音が響いた。彼女が机に置かれたグラスを私へ投げたのだが間一髪で当たらなかった。
「...ラスさんを本から解放して」
私は力無く床に座ってしまったアリアに声をかける。きっと悪い魔女ではない気がする。彼女の復讐心が彼女を変えてしまったのだろう。悲しい、助けて欲しい、そう私が毎日思っていたように心の悲鳴が聞こえるような気がする。
「...出来ないわ」
「どうして?」
「ラスの、ラスの本には魔物がいるの。私のまじないと魔物の力でラスを閉じ込めているのよ。私の力ではラスを閉じ込められないから」
暫く、ラスも彼女も口を開かない。そんなに恐ろしいものなのだろうか。
窓から差し込んでいた太陽の日差しも、今では薄暗くなり夜が近づいている。