エストライン王国の女傑
「フフ……でも、私は楽しいからいいけど、ディートリヒ殿下は大丈夫なの? あの子、ラインマイヤー卿の娘でしょ?」
向こうへと離れて行ったペトラを見やりながら、メッツェルダー辺境伯は尋ねた。
「ふむ……大丈夫、とはどういう意味でしょう?」
「あら? 分かっていないのかしら?」
メッツェルダー辺境伯が、羽扇で口元を隠しながら冷ややかな視線を送ってきた。
なるほど……彼女の品定めは、既に始まっていたか。
「ええ、分かりません。この私がラインマイヤー閣下のご令嬢の機嫌を悪くしたからといって、何の影響がありましょう。そもそも、私の味方ではないというのに」
「……へえ」
私の答えを聞き、メッツェルダー辺境伯は一転して好奇心に満ちた瞳に変わる。
どうやらあのペトラのおかげで、逆に彼女の印象をよくすることができた。
……いや、毅然とした態度でペトラを一蹴した。マルグリットのおかげ、だな。
ただ、一つだけ問題なのは、メッツェルダー辺境伯との会話にこぎつけることができたものの、傍にはマルグリットがいる。
さすがに、派閥のことを含め、面倒事に巻き込むわけにはいかんからな。
私はハンナに目配せすると、彼女は軽く頷いた。
「マルグリット様。先程の令嬢方とのやり取り中でのことだとは思いますが、せっかくのドレスが少し汚れてしまったようです」
「え? そ、そうかしら?」
「はい。汚れを落としますので、こちらへ……」
そう言って、ハンナはマルグリットを連れ出してくれた。
本当に、ハンナは優秀な侍女だな……。
「フフ……だけど、大事な婚約者を追い払って私と二人きりになりたいだなんて、大丈夫なの? 最近の十三歳って、歳の離れた女性が好みなのかしら?」
「そうですね……あなたに興味はあるのは事実ですが、あくまでも別の意味ですので。それに、私が愛しているのはマルグリットただ一人ですよ」
「まあ、情熱的ね。それが若さというものかしら?」
「どうでしょうか……それより、少々お時間をいただいても? 素晴らしいワインも用意してありますので」
「本当に、王宮ではこんな坊やにワインの味まで教育するなんて……フフ、面白いわね」
どうやら、メッツェルダー辺境伯は誘いを受けてくれるようだ。
「では、せっかくですので場所を変えましょう。こちらへ……」
「ええ、お願いするわ」
私は右手を差し出すと、メッツェルダー辺境伯が手を添えた。
そして、メッツェルダー辺境伯との会談のためにあらかじめ用意しておいたサロンへとエスコートした。
「へえ……本当に素晴らしいワインじゃない。まさか、あなたがこんなものを用意しているなんて、嬉しい誤算ね。だけど……フフ、私を酔わせてどうするつもり?」
ワインをまじまじと眺め、喜んだかと思えば、今度は艶っぽい表情を浮かべながらこっちを見ている……。
まさか、こんな面倒な性格だとは、思いもよらなかったぞ……。
「……とりあえず、他意はありません。ただ、メッツェルダー閣下をもてなすには、それなりのものがいると考え、国王陛下の秘蔵のワインを拝借しただけです」
「え……? これ、陛下のワインなの……?」
私とワインを交互に見ながら、メッツェルダー辺境伯が目を見開く。
すると。
「ププ……! アハハハハ! まさかディートリヒ殿下がこんなにくだけた御方だとは、思いもよらなかったわ!」
「そ、そうでしょうか……?」
「そうよ! 誰よ一体、“冷害王子”だなんて正反対のあだ名をつけたのは!」
メッツェルダー辺境伯が、腹を抱えながら大声で笑う。
もはやその姿に、辺境伯としての威厳は皆無だった。
というか、私が抱いていたメッツェルダー辺境伯のイメージが、ガラガラと崩れているのだが……。
「ハア……もう、本当に愉快だわ。それじゃ、国王陛下秘蔵のワイン、いただくわね」
メッツェルダー辺境伯が慣れた手つきでワインの栓を開けると、グラスに注いで一気にあおった。
「ふう……うん、本当に美味しいわ……」
「お気に召したなら、何よりです」
「フフ……ええ、気に入ったわ。それで、こんな美味しいワインをいただいたんだもの。話くらいは聞いてあげるわよ」
「……ありがとうございます」
だが、話を聞くだけ、か……。
ここからは、私次第だな。
「では、単刀直入に言います。私は、この国の王になるつもりです」
「へえ、いいんじゃない? 元々第一王子なんだし、黙っててもなれるでしょ?」
「いいえ。残念ながら今のまま王を目指しても、愚王のそしりを受けて弟に追い落とされる未来しかありません」
そう言って、私はかぶりを振った。
これは、前の人生で身をもって経験した、まぎれもない事実だからな……。
「で? なら、どうするつもりなの?」
「はい。だから私は、今度こそ負けぬよう、力を手に入れるつもりです」
「ふうん……」
私がそう話すが、メッツェルダー辺境伯は興味なさそうにワイングラスを傾けた。
まあ、この女性がこの国に、政治に、そして私に関心がないことは分かっている。
ならば。
「そこで、私はその力としてメッツェルダー閣下を手に入れたい」
「あら? まさか、婚約したばかりのディートリヒ殿下から、そんな情熱的な言葉をもらうだなんて思わなかったわ」
「はは……もちろん、私の操はマルグリットただ一人ですよ。なので、代わりといっては何ですが、私が王となったあかつきには……「待ちなさい」」
条件を提示しようとした瞬間、メッツェルダー辺境伯に低い声で遮られた。
それに、彼女のアメジストの瞳は拒絶の色を浮かべている。
「さすがにそれは甘いんじゃないかしら? 何一つ保証されないような皮算用で、この私を釣ろうだなんて甘くみられたものね」
「…………………………」
確かに、彼女の言うとおりだ。
私が王になった時の話をしたところで、王にならなければ全てご破算だからな。
だから。
「もちろん、ただであなたが力を貸してくださるとは思っていませんよ。加えて、そんなあやふやなものを条件として差し出すことの無意味さも理解しています」
「あら、そう。ならどうするの? といっても、私はこのワイン分は聞いてあげたつもりだけど?」
そう言って、メッツェルダー辺境伯は空になったワインを逆さに向けた。
……飲むのが早すぎでは?
「まあそうおっしゃらずに。ワインなら、まだ十本はありますよ」
私は、サロンのソファーの横に置いてある木箱を開け、中からワインを取り出した。
「あらあら、これは今夜は酔い潰れてしまいそう。そうなったら、ディートリヒ殿下が介抱してくれるのかしら?」
「ええ、私の優秀な侍女が。誠心誠意面倒をみます」
「プッ! アハハハハ!」
私の答えが余程おかしいらしく、またもやメッツェルダー辺境伯はソファーの上で笑い転げる。
「で? 続きを聞かせてちょうだい?」
「ええ……と言いたいところですが、今日のところは話だけ聞いていただくだけで結構です。ですが二年後、あなたは絶対に私に力を貸したくなるはず」
「へえ……その二年後に何があるのかしら?」
メッツェルダー辺境伯が二本目のワインを開けて口に含みながら、興味深そうに尋ねた。
「はい。二年後、我が国の王立学園に、一人の留学生が入学します」
「留学生……まさか」
そう……メッツェルダー辺境伯の領地に面する大国、カロリング帝国から留学しにやって来る。
弟の魔の手から逃れるために。
「……カロリング帝国の第一皇女、“ロクサーヌ=デュ=カロリング”殿」
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