婚約者をフりにいこう!!
「…夢か」
いや、これは幼いサレスの記憶だ。
どうやら自分の容姿が家族と違う事が
コンプレックスだったようだ。
「居場所が無いと思っていたのかもな」
現に今はタケヒトである俺がサレスだ。
サレスは弟の襲撃にあった時に
死んでしまったのかもしれない。
「孤独なままサレスが死んだのなら
この世界の神は本当に酷い奴かもな」
そうならば、相見えた時には
俺が神を斬ろう。
「お嬢様、おはようございます」
ノックの後フローゼが入ってきた。
「おはよう、フローゼ」
「…!
はい、おはようございます」
「何故2回言った?」
心なしか堅物のフローゼの表情筋が
少しだけ緩んでいる気がする。
「大事な事なので2回言いました」
そのフレーズはどこかで聞いた気がする。
「サレスお嬢様、本当に行かれるのですか?」
「あぁ、婚約者殿にはどのみち
婚約破棄されて殺される」
「えぇ!?」
記憶では婚約者の公爵子息ラモラは
主人公である平民のイデナ嬢に一目惚れして
その優しい人柄や自己犠牲的精神にさらに
惹きつけられる。
対照的に婚約者であるサレスは
猟奇的で嗜虐癖を持ち合わせている破綻者で
容貌も醜いと言われている。
迎える公爵家としても男としても
最終的にラモラは全力でサレスを拒絶し
最期にはとどめをも刺す。
「サレスが殺されるのは魔法学校3年生時の卒業式。
婚約破棄が発生するのは2年生時の12月。
イデナ嬢の誕生パーティーを
サレスがぶち壊したという
もっともな理由でな」
「はあ…?」
魔法学校入学前に婚約破棄してしまえば
少なくとも違う結末へと運命は変わっていく筈だ。
「しかし、よろしいのですか?
お館様にお伺いなさらなくて??」
「…大丈夫じゃない?」
「えぇ…」
サレスの悪癖を止めず進めず、
家の名に傷がつくような噂が巷に流布していながら
屋敷を空けて女に溺れている父親
レディール辺境伯。
少なくとも名誉や矜持に
固執するタイプの人間ではない。
公爵家もレディール家も財力は
十分に蓄えられている様なので
そもそもこの結婚は形式的なものにすぎない。
「心配するな、フローゼ。
いざとなったら皇帝にでも
嫁いで来てやるさ」
「皇帝ですか!?
ず、随分と大きい得物を…
いえ、それなら確かにお館様も
納得して下さるとは思います」
「実は当てもある」
「え、あるのですか!?」
ミーシャは何だか皇帝になりそうな気がするので
あながち間違ってはいないだろう。
「何だか、立派になられましたね。
ご自身だけでなくお家の事まで考えられて」
今日のフローゼは顔が緩みっぱなしだ。
「家とは人の集まりだからな。
仕えてくれるお前たちの為にも
支えてくれている領民たちの為にも
武人とはかくあるべきだろう?」
「…!
はい、仰る通りです」
「それでは行ってくるとしよう
地図を」
「はい、こちらに。
公爵家までは街道へ出て
西へと進んでいけば次第に見えてくるでしょう。
どれが公爵様の屋敷かは一目で分かると思います」
「…『1人で行かせるわけには参りません!』
とか無いのだな」
「それは私を真似ているつもりなのですか
お嬢様?」
大袈裟に真似たからか
あまり似ていなかったらしく
フローゼが小さく笑う。
「はい、お嬢様にお任せしても
大丈夫だと確信しましたので」
「そうか、ありがとう」
「馬は…ヴァルムでしたね
彼女の足なら半日ほどで
辿りつけるでしょう。
それはそうと…」
1つだけ心配事が、と言った
不思議そうな顔をするフローゼ。
「どうした?」
「いえ、何故紳士服を纏われているのですか?」
黒を基調としたスタイリッシュな紳士服。
屋敷中の衣類を漁って
動きやすい奴を探した成果がこれだ。
「髪まで結わわれて…
かといって男装でもないようですが…」
「ドレスとはそもそも礼装だろう?
動きにくくてな」
髪は三つ編みを適当に
後ろでまとめただけの簡単な奴だ。
よく…誰か、身近な女性がしていたのを覚えている。
胸も動くのに邪魔なので
少しだけキツメの下着をつけている。
これで紳士帽でも被れば
かなりの男装になるだろう。
「これから男をフりにいくのだ
女性らしい装いである必要はなかろう?」
「…それもそうですね」
フローゼは納得したのか諦めたのか
書物の仕入れの手配があるという事で
恭しい一礼の後に去っていった。
俺も腰に刀を差して部屋を出る。
西洋のような世界観で
何故日本刀があるのか分からないが
使い慣れた得物があるのは大いに助かる。
陽光に照らされた長い廊下を歩いていると
白髪青眼の可愛らしいメイドと
すれ違い一礼される。
と思ったが、すぐに声を掛けられた。
「あれ?もしかして貴殿、サレス嬢か??」
「あぁ、妹の方の…シニスか。
おはよう」
彼女が両手で抱えている
バスケットからは何か良い匂いがする。
「おっはよう!サレス嬢。
何で美少年のコスプレを??」
「特にそういうつもりではないが
動きやすさを追求したらこうなっただけだ」
「そうか!!
結構薄幸そうな総受けっぽくてよろしいですな~」
「そうか、まるで分からんがありがとう」
「こちらこそ!
朝から濃厚な奴ドモ…じゃなかった
これ、朝飯!!」
丁度バスケットの中身が気になっていたので
差し出されたバスケットを受け取って
中を覗いてみると色々な種類の
カスクートが入っていた。
「どれも美味そうだな」
「今日は海老とアボカドの奴と
ローストチキンと五種のチーズの奴と
えーとね、後は忘れた!!」
「ありがとう、味わって食べるよ」
「じゃ、私はフローゼの手伝いしてくるッ!
風邪に気をつけろよ~サレス嬢」
こちらに手を振りながら走り去っていくシニス。
朝から元気だな。
カリカリのベーコンと
シャキシャキのレタスのカスクートを
頬張りながら屋敷の外へと出ると
黒髪赤眼のお淑やかなメイドと
荷物を色々と背負った
黒馬のヴァルが出迎えてくれた。
「おはよう、サレス嬢」
「おはよう、デクス。
ムルの姿が見えないがどこだ?」
ヴァルの装備や荷物等の支度は
ムルに頼んでいたので
それを終えたあやつが見えないのはおかしい。
トイレか?
「ムルは寝坊かましてぐっすりしてる。
準備は私の方で万全にしておいたから安心して?
…サレス嬢、少しかがみな」
言われたとおりにかがんでやると
デクスは俺の口元の何かを
ハンカチで拭い取った。
「ソースがついていた。
ちゃんとした令嬢なのだから
少しくらいは気にした方が良いな」
「ありがとう、デクス
心に留めておくよ」
「うん、サレス嬢は良い子になったな
よしよし…だな」
双子ながら対称的な姉妹だ。
デクスはとても大人びている気がする。
「ヴァルも調子よさそうだな
…それでは、行ってくる」
「いってらっしゃいませ、サレス嬢」
無人の門が独りでに開いていく。
開ききってからヴァルに進むように促す。
「さぁ、初対面の婚約者殿に別れを告げにいこう」
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