幸せを願った者達②
「ヒューゴ様はリネットさんから妊娠を告げられたときに、その相手がマーク様であることを教えられたのですね。ですからマーク様を共犯者として逮捕させようとそう思ったのでしょう?」
「なにもかもお見通しなんですね、そうです。リネットの名誉の為にあんな奴が父親であるということは言えませんでしたから僕の子供だと……僕がリネットに懸想していたことは皆、知っていましたからきっと分からないだろうと思ったんです。だから動機を知っていた僕はリネットを殺すのならばあの男だろうとそう思ったんです、でも狡賢い奴だから証拠なんて残さないだろうということも分かっていましたから……あの男の思い通りになるなんて許せない、僕はあの男を捕まえるためならばなんでもするつもりでした」
それはきっと貴族としての名誉を汚したとしても、その命が断頭台の露と消えることになったとしても構わないほどの覚悟だったのだろう。
クリスティアがマークを追い詰めたとき、立ち上がったヒューゴはマークを殺すつもりだった。
クリスティアが予めヒューゴを注意して見ておくようにとニールに促していなければ、その胸ポケットに隠していた短剣で襲いかかるつもりだったのだ。
結局その目的は果たされず、自分の手で復讐を遂げることの出来なかった恨事を抱えながらヒューゴが見つめるリネットの墓石にはリネット・ロレンスとその子が眠ると彫られている。
「妊娠を告げられたとき……結婚を申し込んだんです。子供はきっと僕にも似るだろうから父親が誰かなんて関係なかった。リネットは似たような人を相手に選んでたから……馬鹿な従兄弟と似たような人を。一族で僕はその従兄弟とよく似ていたからきっと生まれる子供も見た目はそう違いない子供が生まれるだろうから結婚して欲しいって。父にも母にも僕の子だというから一緒に育てようとそういったんですけど」
溜息のように言葉を吐き出しながらヒューゴはフッと自嘲気味に笑う。
「子供を使って想いを遂げようとする僕の卑怯さを嫌悪したんでしょうね。馬鹿なこと言わないで、絶対幸せにはなれないと言われたんです」
言葉を噛み締めるようにして唇を噛んだヒューゴは、それでもリネットの断りなんて聞き入れず強引にでも説得して籍を入れてしまえば良かったと、そうすればこんなことにはならなかったのにと爪が食い込むほどに掌を握り締める。
「リネットに僕との付き合いを了承してもらうのにも苦労しましたから……諦めるために一度でいいから付き合ってくれって懇願したんです。お情けで付き合っていた相手と結婚したって幸せになれるわけがないとそう思ったのでしょうね」
「違いますわヒューゴ様」
「えっ?」
「クインリイ家のメイドであるミリーがおっしゃっておりましたわ。絶対に幸せにはならないからとリネットさんはおっしゃっていたと、幸せにはなれないと申したのではありません。間違えてはお可哀想ですわ」
ヒューゴの手をそっと掴んで握り締めた手を開かせたクリスティアは血が滲んだその掌にハンカチを巻き付ける。
静かに否定を告げるその声に邸のメイドが言ったことと自分が言ったことのなにが違うのか、なにが可哀想なのか分からずにヒューゴは眉根を寄せる。
「僕が言ったことと同じでしょう?なにが違うんですか?」
「ヒューゴ様。女というものはですね誰かに心を傷付けられた言葉というのはどれほど年月が経っても忘れないものです。何年も昔の細やかな言葉を覚えておいてそれが夫婦喧嘩の種になるなんてことは良くあることですわ。だからこそ相手を傷付けるために口に出す自分の言葉にはより一層気を付けるというものです、それが本意でないのならば尚更……」
黒いヴェールの先で緋色の瞳がヒューゴに真実を諭すように問いかけてくる。
「リネットさんは結婚をお断りするときに幸せにはならないからっとおっしゃられたのです、そうでしょう?でしたらリネットさんお一人の幸せのことをおっしゃっていたのではありません。あなたが……ヒューゴ様、あなたが幸せにはならないから結婚は出来ないとそう申したのですよ」
クリスティアを見つめていたヒューゴの瞼がハッとしたように見開いていく。
その、彼女が言わんとすることを理解した姿にクリスティアは優しく微笑む。
「あなたの幸せを願ったのです」
それは……リネットを刺し貫いた短剣を持ってしてヒューゴの胸をも貫く言葉だった。
自分一人だけの幸せを考えたのならばリネットはきっとヒューゴのプロポーズを受け入れていただろう。
世間体的にもそれが一番都合が良かったはずだ。
でもそうではなかった。
リネットはこの先に続くヒューゴの未来を……幸せを……願ったからこそ彼のプロポーズを拒絶したのだ。
リネット自身が幸せにはなれないのではなく、ヒューゴこそが幸せにはならないからと。
それはきっとこんなどうしようもない自分を懸命に、純粋に、恋い慕ってくれていた少年へと向けられたリネットからの紛れもない愛情だったのだ。
「僕は……彼女に幸せを願われたのですね」
ヒューゴがリネットに対してそう願っていたように……。
ヒューゴはあの日。
プロポーズをしたあの日。
忘れようとしていたリネットの言葉と表情を忘れないようにと思い出す。
唇を結んで顔を強張らせたリネットの拒絶に嫌悪されたのだとそう思っていた。
そう……思ってしまったのだと、薄く開いた唇を震えわせて水浅葱色の瞳を眼鏡の奥で潤ませたヒューゴは貫かれた胸から溢れ出していく痛みを抑えるように手を当てて言葉にならない想いを表情に滲ませると、青く晴れ渡る空を見上げる。
その頬を瞳からこぼれ落ちた涙が撫でるようにして流れていく。
顎を伝い白い墓石をポツリポツリと灰色に染めるその雫を見つめながら、こんなときですら声を荒げず大人であろうとする少年を憐れみクリスティアはゆっくりと瞼を閉じる。
リネットを想い溢れだしてしまったこの幸せがどうか静かに眠る彼女の胸へと届きますようにと切に祈るために……。