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赤の離宮

「つまらん」


 アデスがだだっ広い寝室のソファーの背に両腕を乗せて、高い天井にぶら下がるシャンデリアを見つめながら呟く。

 こっそりと持ち込んでいた酒は昨日、事件が起きたせいで帰れない鬱憤晴らしに全て飲み干してしまった。

 いつも以上に酒が進んだのは夫に帰宅が遅くなるという経緯の説明連絡をすれば、監禁だなんだと騒いで今すぐ来るというのをなんとか宥めたストレスも原因だろう。


 犯人は自分ではないし、他国で起きた事件に興味は無い。

 だが現場にいたのならば不用意に出掛けるのも気が咎めるし、出掛けたところで娯楽があるわけでもない。

 リュビマは信仰の違いから神聖国からは嫌われているようなものだ、フラフラしていてまたなにか事件でも起きたときに変な疑いを掛けられても困る。


 だから離宮でこの現状を打開してくれる誰かを大人しく待っているのだが、今のところ誰かが訪ねてくる気配はない。

 聖女がなんだっていうんだ、オアシスのほうがよっぽど尊いだろう。

 ただじっと天井を見つめ続けるだけなのも気が狂いそうなので、庭で体でも動かそうかと思っていれば、連れてきていた幼い使用人がアデスの部屋へと入ってくる。


「ティティ(女王)・アデス。ラビュリントス王国のリマリ(王子)とリマティ(婚約者)が謁見を希望しております」

「なに!クリスティーがかい?」


 ソファーに預けていた身を勢いよく起き上がらせたアデスが、現状を打開してくれる誰かが現れたのだと歓喜し、飛び出すように扉の外へと出る。

 そして玄関の間で待つクリスティア達の姿を二階の階段上から見付けると、階段を降りるではなく手すりを乗り越えて飛び降りる。

 風圧を感じるほどのあまりの勢いに二人が唖然としていれば、アデスの大きな声が響く。


「クリスティー!会いに来てくれて嬉しいよ!暇で暇で干涸らびちまうとうところだったんだ!」

「まぁ、アデス。あのような降り方は危険だわ、怪我をしてしまうでしょう?」

「あははっ、心配してくれるのかい?可愛い子め!あたしは丈夫だから問題ないさ!」


 まるで喜ぶ犬のよう。

 クリスティアの姿を見て尻尾をはち切れんばかりに振り、抱きついてクルクルと回転するアデス。

 余程、暇だったのだろう。

 いつもより歓迎が熱烈だ。


「クリスティアを下ろしてください、リュビマ女王陛下」


 そしてその目が回りそうな歓迎を、ユーリが止めて二人を引きはがす。

 引きはがさなければ、アデスはそれが当たり前であるかのようにクリスティアを抱き上げて何処かへ連れ去って行くからだ。

 事実、隣にいたはずのユーリから既に距離が離れていた。

 ユーリの忠告に、ケッと息を吐いてアデスは抱き上げていたクリスティアをユーリの隣へと仕方なさげに下ろす。


「聖女様がこの度の事件を捜査する件を、お聞きになられましたかアデス?」

「あぁ、修道女から聞いたよ。だからアタシはてっきりあの子が話しを聞きに来るかと思ってたんだが……あの子はアンタの身代わりかい?」

「身代わりだなんて……わたくしは今回、聖女様の助手ですわ」


 引きはがされて不服そうなアデスは、色々な理由はあれども外にも出ずにいたんだから褒めて欲しいのにと、唇を尖らせる。

 なので要望通りにご褒美だと、ユーリの隣から離れたクリスティアがエスコートを求めてアデスへと手を伸ばせば、彼女は嬉々としてその手を取り、先程に居た部屋の隣にある客間へと案内する。


「随分と手腕な助手だねぇ。それで?なにを聞きたいんだい?」


 クリスティアをソファーに座らせて、隣に座ろうとしたアデスだがユーリに邪魔されたので渋々、対面に座る。

 隠し事はなにもないと言わんばかりに両腕をソファーの背に乗せて、胸を大きく開く。


「最初に亡くなられたアレス大司教とは、招待状の件以外にはなにかお話しをされましたか?」

「いや。自分の言うことを聞かなければ後悔すると吠えていたが……聖女の件だったんだろうね。ま、後悔はしないが惜しいことはしたとは思うよ。聖女とティーラ(聖なる乙女)は結局のところ同じ存在だろ?オアシスはティーラの愛馬の渇きを癒やすために精霊が与えてくれたものだ。あの子を取っ捕まえて砂漠をオアシスに変えてもらえれば、砂漠の旅が楽になるってもんさ」


 ガハハッと笑うアデスの言うティーラとは、リュビマに古くから伝わる伝説の一つだ。

 勿論、詠美にそんな力はないので砂漠に連れて行ったところで、干涸らびるだけだが。


「あぁ、そうだ。あんまりにも吠えるから、躾をしてやるつもりだったが……人と約束があるとかで逃げて行ったんだ」

「約束?そのお相手が誰かはお聞きになりましたか?」

「いや、ただアイツは来た道ではなく違う道を戻って行っていた。ほら、窓から見えるあっちの邸のほうだ」


 アデスが自らの後ろの窓を指差すので視線を上げて見れば、そこには白の離宮が建っているのが見える。

 白の離宮にはペルボレオ王国の国王であるレア・ネモイが滞在している宮だ。


「ネモイ国王陛下にお会いに行かれたのでしょうか?」

「さぁね」


 それは分からないというように、アデスは肩を竦める。

 興味もなかったから見送りもしなかったので、正確に何処に行ったのかは分からないのだ。

 分かるのはあっちの方角という曖昧な事実だけ。


「では、イーデス大司教とはお話しにはなられましたか?」

「パーティーで死んだ男かい?全く。あのとき初めて顔を見た」


 初めて顔を見たのだから話したことは勿論ない。

 というか神聖国の者達はあからさまにリュビマの民を避けていたので、まともに会話をしたのは最初に死んだアレスくらいなものだ。


「事件の時になにか気になったことはないのか?」

「ないね、リマリ・ユーリ。アタシの目はいつだって可愛いモノにしか向かないんだよ。あの男が死んだときも、側に居た小さな子供(修道女)しか見てなかったさ。可哀想に、倒れた男を見てショックを受けていて。あの子の足を濡らしたのがあの男の血でなくて、本当に良かったよ」


 そういえばアデスは悲鳴を上げた修道女をイーデスの遺体を見れないようにすぐさま抱きかかえて、ホールの端へと移動していた。

 優先順位が揺るぎなく分かりやすいアデスに、呆れるユーリと笑うクリスティア。

 それからは大した情報はなく、なんとかこの場に引き留めようとするアデスを振り切るように、二人は赤の離宮を辞するのだった。

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