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密約②

「内から扉は開かないようですが、どうやって外へと出るのでしょうか?」

「外も内も鍵がなければ扉は開きません」


 扉の取っ手の下にある鍵穴。

 イオンが手に持つ鍵が、外へと続くために必要なのだと見せられる。

 持ち手の先のコインのような部分に、手を合わせたローブ姿の聖人が彫り込まれた錆び付いた古いタイプの鍵。


「もし聖女様の教育を今後お任せいただけるのでしたら、わたくし達がこちらに出入りするには少し不便に思うのですが。鍵の管理はどなたが?」

「私と四人の大司教、マザー・ジベルがそれぞれに持っています。私の鍵は一つで扉を開くことができますが、大司教とマザー・ジベルが持つ鍵は、二つで一組となっております。もしこの度の礼儀作法が上手くいきましたら、聖女様の居を移しても差し支えないかと」


 詠美がどれだけ従順に従うか、それが重要だ。

 逃げることはないと確信できれば、聖女という立場に相応しい部屋を準備する気であるイオン。

 本来ならばこのように薄汚れた塔に閉じ込めておくなんてことを、イオンもしたくはないのだ。


 イオンの側近く、聖女らしい部屋で下々の者達からの羨望を受ける。

 そしてそれをイオンが御する。

 それがイオンにとっての理想。

 クリスティアによって、その理想が叶うかもしれない。

 階段を上り終わり、希望を携えたイオンは詠美が待つ上階の部屋の扉をノックする。


「失礼します、聖女様」

「どうぞ」


 扉が開かれると同時に、真っ先に皆の鼻腔を擽ったのは絵の具の匂いだった。

 そして部屋の中には、ラフの描かれた画用紙や、絞り出された絵の具が床に転がり、風景画の完成された幾つものキャンバスが壁に立てかけられている。

 部屋の中程より奥、頭上の小さな明かり窓に向かって立てたイーゼルの前で、詠美が筆を持ち後ろ向きに立っていた。


「本日より聖女様に、礼儀作法をお教え下さる方をお連れいたしました」

「クリスティア・ランポールでございます。これより聖女様とご一緒できますことは、わたくし一生涯の誉れとなることでしょう」

「よろしくお願いします」


 最上級の礼を示すクリスティアへと、一つに結ばれた髪を揺らして、パレットと筆を持った詠美が振り返る。

 その姿よりまず真っ先に視界に入ったのはイーゼルの上、設置されたキャンバスの絵だった。


 青の離宮前に咲き誇っていたネモフィラの花が断崖一面に咲いている、描き途中なので左側は余白だ。

 その余白に気を取られないほどに、ネモフィラはリアルで瑞々しい。

 動いていないはずなのに、風に揺らぐ様は本当に香りが漂ってきそうなほどで、その絵に目が奪われる。


 まずは第一関門が突破された。

 簡単な挨拶を済ませて、イオンがお昼頃に鍵を開きに参りますという言葉を残して去って行く。

 そして鐘塔は牢獄(密室)となった。


「また会えて良かったです」


 イオンが塔の外へと出て行くのを見送ったルーシーが部屋へと戻ってきたのを確認して、詠美が安堵した様子で肩を落とす。

 昨夜、詠美をイーデスへと引き渡す前。

 またすぐに会いに行くから、鐘塔の中で大人しく待っていてねとクリスティアに言われていたので、詠美はいつも通りに絵を描いて過ごしていたが。

 まさかこんな形ですぐに再会することになるとは。


 イオンと連れ立って来たときにはなにかの企みが知られて、怒られるのではないかと少しハラハラとした気分だったが。(いつも抜け出した時に怒られていたので)

 教育係として平然と挨拶をする彼女の剛胆さを見て、詠美は悪戯が成功したときのような愉快な気持ちになっていれば、アリアドネが怒ったように声を荒げる。


「なんなのあの人!教皇が聞いて呆れるわ!詠美さんをこんな所に閉じ込めるなんてあり得ないし!病気になったらどうするのよ!ていうかもっと豪華絢爛な良い部屋を与えるべきでしょう!」

「これでも最初は凄い広い部屋を与えてくれてたんだよ。でも僕が何度も抜け出したから、自業自得っていうか……ま、住めば都だよ」


 やってしまった過去の行いによってこうなってしまったので、詠美に不満はない。

 そうであったとしてもと……自分のことのように怒るアリアドネに微笑む。

 水彩画に油絵、キャンバスを染める絵画の数々をクリスティアは見回す。


「どれも素敵な絵ですわね」

「ありがとうございます。前は風景画を書いても、あんまり面白くなかったんですけど……この世界の景色を書いているとなんだか面白いっていうか、落ち着くんです」


 馴染みが無い景色だからか、あれも描きたいこれも描きたいと筆が動くのだ。

 クリスティアに褒められて嬉しげな詠美を見て。

 飄々としているので分かりづらいが、思っているより神経を弱わらせているのかもしれないとアリアドネはその気持ちを推し量る。


 彼女はまだ学生、十代の少女だ。

 一人異世界に来て心細い気持ちを、絵を描くことで誤魔化しているのかもしれない。

 しかも聖女という尊い存在であるはずなのに、こんな小さい窓しか無い部屋に閉じ込められて。

 自分がこの世界の聖女なだけに同じ扱いを受けていたのかもしれないと思えば、怒りがふつふつと湧き上がる。


「絶対に元の世界に帰ろうね詠美さん!アイツらの好きになんてさせるもんですか!もし戻るのにこの紋章が必要ならあなたに移すことだってできるんだから!」

「まぁ、そうなのですか?」

「うん、その場合は何処かに怪我してもらわないといけないけど……一度、傷を癒やしたことのある人には紋章を移せるの。トゥルーエンディングのときはそうやって、聖女の力をこの世界の人に移して元の世界に帰ったっていうのがストーリーだから」

「へぇーー」


 そうして聖女の力はこの世界を巡るようになり、アリアドネの糸でアリアドネが聖女となったのだった。


 打倒神聖国。

 労働環境の改善。

 ブラック企業許すまじ。

 詠美を帰して、イオンをぎゃふんと言わせてやるのだ!

 右手を挙げて自分を鼓舞するアリアドネは強く頷く。

 片や当の本人である詠美は他人事のようだ。


「そうなのね。いずれにせよ、まずはこの牢獄から出るために夜のパーティーまでに簡単な作法を身に付けましょう。今後、詠美さんが自由を手に入れるために。優雅に、従順に、あなたがわたくしの言うことに従う良い子なのだと、皆に見せつけて差し上げなければなりません」

「そうなんですか?分かりました。頑張ります」


 そしてその従順な姿を見た者達が、勘違いをするように。

 クリスティアに任せれば、神の国が望む聖女が出来上がるのだと。

 イーゼルの隣にある小さなテーブルにパレットと筆を置いた詠美は苦笑いし。

 そして厳しいレッスンが始まるのだった。

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