密約①
「この度は、聖女様を保護してくださったことを心より、感謝申し上げますランポール公女」
「いいえ、たまたまわたくしのメイドが庭を散策中に仲良くなったようで。腕の怪我に驚いたものですから保護をさせていただきましたが……聖女様は随分と悪戯好きなようですわね」
「えぇ、私どもも大変驚きました。聖女様にあのような才能があったとは。あの、聖女様のことはどうかご内密にお願いいたします。まだ幼い子供であらせられるので……分別がつかないと申しますか」
翌日の旧王城にあるイオンの執務室。
昨夜の件で早速の呼び出しを受け、訪れたクリスティアにイオンが申し訳なさそうに頭を垂れている。
詠美に逃げられてしまったことが気まずいのか。
詠美の存在を知られてしまったことが気まずいのか。
兎にも角にもまだ、聖女の公表を控えたいイオンの見てとれる懇願に、クリスティアはニッコリと口角を上げる。
「勿論ですわ。彼女の立場上、然るべきお披露目の場も必要でしょうし。教皇聖下のお立場も理解しております。それよりもどうぞ、聖女様をお叱りになられないでくださいね。絵をお描きになるそうなので、外の景色を見たかっただけのようですわ。塔から見る遠くの景色だけでは些か、ご不満がおありだったようです」
「聖女様よりお聞きしました。この世界にいらしたときに混乱され、元いた場所に戻れると頑なに信じられていたせいで何度も危険な行いをなされていたものですから、私どもも致し方がなく……とはいえ、少し過保護になり過ぎていたのかもしれません」
「突然現れた神の子を守り、導きたいと強く思うことは当然のことですわ」
「えぇ、そうなのです」
監禁ではないということを強く印象づけたいのだろう。
言い訳のように連ねられる言葉にクリスティアが理解を示せば、イオンは安堵したように胸をなでおろす。
「そこでご提案なのですが……」
「はい?」
「わたくしが滞在中、聖女様に礼儀作法をお教えするのはいかがでしょう?」
「礼儀作法……ですか?」
「えぇ、これから聖女様をお披露目なされるのでしたら様々な社交活動も必要になってくるかと思います。そういったときにある程度の礼儀作法を身に付けておかなければ、不敬にも彼女を見下す者も現れるでしょう。聖女様はどうやら人を使うということにも慣れていらっしゃらないご様子。わたくしのメイドをお付けして、そういったことにも慣れていただくのがよろしいかと思います。上の者が下の者に扱われるのは、不当ですから」
「確かに、そうですが……」
「教皇聖下、聖女様はまだ真っ白なキャンバスです。わたくしでしたらそのキャンバスに、ある種の色を塗ることも難しくないかと存じます。無知故の純朴さはそのままに、従順な信頼を教皇聖下に寄せるような純真な色。とても美しい色になるでしょうね」
自らの存在価値にまだ気付いていない無垢さがある彼女ならば、染めることも容易い。
特別な力を誰にも彼にも分け与えることがないように、イオンの意のままに付き従う素晴らしい聖女を……描いてみせよう。
上に立つ者として、そういった教育に自信があるのだろう。
その教育の賜物である、見ることも言うことも聞くこともなく、人形のような無表情さと沈黙で付き従うメイド達を掌を向けて示すクリスティア。
その魅力的な結果を想像したイオンは、物欲しげにゴクリと喉を鳴らす。
「差し当たり本日のパーティーで、聖女様をわたくし達にご紹介いただけるものと推察しております。まずはその場での作法をお教えするのはいかがでしょうか?教皇聖下への礼儀もご一緒に。お気に召さなければこの話は無かったことにしていただいて構いませんわ。それと、場所は鐘塔の部屋の中でしたら、ご安心いただけるかと思います」
逃がすのではないかと不安があるのならば、その不安がなくなるように。
まるで益しかない提案に、イオンは躊躇いながらも頷く。
「きっと神もお喜びになることでしょう。どうぞ、宜しくお願いいたしますランポール公女」
「えぇ、勿論ですわ。今後ラビュリントス王国への巡礼の折には、わたくしが彼女の後見人をお選びいたしましょう。わたくしよりも高貴なるお方が、きっとよくお似合いになられるかと思います」
教皇の眼差しが更に期待に輝く。
公爵家よりも更に上となれば、それは皇室しかない。
今後の交流に関して、晩餐の場でのユーリの反応はいまいちだったが……婚約者の後ろ盾があればイオンが当初から望んでいた交流が生まれるはずだ。
上がりそうになる口角を必死に押さえた歪な笑みを浮かべるイオン。
満足を隠しきれないその笑みを見て、クリスティアは柔和に微笑む。
イオンの体調が思わしくないというアデスの話しが事実であれば、彼は神の御許へと向かう前になんらかの功績を残したいはず。
イオンのさして白くはないが、分かりやすい色に染まっているキャンバス。
その上へと塗るのは分かりやすいようにそれより濃い、同じ色。
クリスティアはイオンのキャンバスを十分に上手く塗れたようだ。
「では、聖女様の元へと参りましょう」
そしてクリスティアの口車に乗せられて早速、詠美の待つ鐘塔へとイオンの案内の元に向かう。
変わらず、入り口には鍵が掛けられているようだ。
また逃げ出したせいで頑丈にならなかっただけマシだが、それもクリスティアの教育次第ということにもなるだろう。
イオンの懐から出された鍵が扉の鍵穴に差し込まれる。
「出入り口はこちらだけなのですか?」
「えぇ、そうです。元はオリュム王国の頃に使用されていた身分の高い方の幽閉塔でしたので……このようなことがなければ使うこともなかったのですが」
詠美が何度も逃げ出すのが悪いのだと言わんばかりの口振りだが、それはこんな所に監禁する理由にはならない。
クリスティアの後ろで澄ました顔で付き従っているアリアドネは、内心でムカムカとした腹立たしい気持ちを湧き上がらせている。
イオンを騙すためのパフォーマンスのために大人しくしているのだが、そうでなければその後頭部を叩いていたところだ。
垣間見えるイオンの傲慢さに聖職者が聞いて呆れる。
心の中で思い浮かべる罵詈雑言を、その背中へと視線でぶつけまくる。
そんなアリアドネの内心など誰も知らず、鐘塔の内扉を開くとすぐに螺旋の階段が上へと続いている。
カビ臭い室内に眉間に皺を寄せたイオンが袖で鼻を覆う。
扉が閉まると薄暗い室内にガチリという鍵の掛かる音が響いた。
鍵は扉が閉じれば、自動で閉まるようだ。




