青の離宮④
『まずは避難誘導を行う、体調が悪そうな者が居たら大聖堂の外れに治療院があると聞いているので、そちらへ連れて行くように。数名は現場の保存を……ライル、何処に行くんだお前は現場保存だ』
指示するジョーズの声がスクリーンから響く。
自分の声をこういった形で聞くのは初めてなので、ジョーズはその違和感に驚いたように瞼を見開いている。
映像はミサの目を通しての録画なのでジョーズの肩の高さとなっており。
ジョーズが何処かへフラフラと行こうとする部下の首根っこを掴んで引っ張ったせいで、映像が少しぶれる。
『うえ、えぐいっすね』
首根っこを掴まれたジョーズの部下の声が後ろから響く。
その声だけでも現場の凄惨さが窺い知れるほどに、嫌悪感を滲ませた声であったし。
映像にはしっかりと腹部にランスが突き刺さって、くの字に曲がった男の姿も映っている。
目を逸らしたくなる光景だ。
事実、アリアドネは現実で目を逸らした光景を映像で目撃するこことなり、顔を真っ青にして俯く。
『少し高さがあるな。誰か梯子を借りられるか聞いてきてくれ。まずは遺体を下ろそう』
遺体は丁度、ジョーズが見上げた目線に力なくぶら下がった掌が来るくらいの高さだ。
現場の保存は大切だが、遺体をこのままにはしておけない。
ジョーズの指示に甲冑の去る音を聞きながら、ミサの視線がジョーズの横顔を下から見るように移動する。
『ジョーズ卿。遺体を動かす前にクリスティー様に現場の状況をしっかりお伝えしたいので、像を一周してください』
『……分かりました』
ジョーズが少しばかり沈黙したのは、この凄惨な現場をあまり子供に見せたくないという意識が働いたからだ。
ジョーズでも目を逸らしたくなる惨状。
だが遺体を動かす前の状況を保存しておくことも重要だと理解している。
複雑な気持ちを飲み込んでミサの要求通りに、ジョーズはゆっくりと像の周りを一周する。
見上げた目線の先で、天に向かって掲げられたランスに遺体が突き刺さっている。
顔を地面へと向けて見開かれた瞼と半開きの唇から糸のように滴り落ちる血。
ミディアムの髪の毛は風に揺れ、首に掛かったカズラの赤い色は流れ出た血で一部が赤黒く染まっている。
地面にはミトラが落ちていて、その横に古い鍵が落ちていた。
『なんの鍵でしょう?』
『さぁ、分かりませんが。一緒に落ちてきたのなら、なにかの証拠品かもしれません。一応、保管をお願いします』
『分かりました』
ジョーズが持ち上げた鍵を見るために、前へと揺れるミサの視線。
持ち手の先にあるコインのような部分に天使の姿が彫り込まれている古い鍵。
一度それをアップにしてから、ミサは顔を上げるようにして、再度遺体へと視線を向ける。
『次に遺体の状況を確認したいので、私を台座の上に乗せてください』
『えっ!?』
驚いて思わず声を上げるジョーズ。
流石にそれは許容できない。
見上げるだけでも気分が悪くなる遺体を、間近で見ようだなんて。
思わずミサの足に触れて肩から動けないようにしたジョーズに、ミサは小首を傾げる。
『私は魔法道具なので現場を荒らしたりはしないので大丈夫です』
『いや、そういうわけでは……あいたた!』
サイズは掌サイズであれど見た目は幼い子供、ジョーズの良心が咎める。
もごもごと口籠もりながら躊躇うジョーズに業を煮やしたのか、足に触れる手を叩いたミサはその髪の毛を引っ張るようにして頭に上ると、そのてっぺんから台座へと飛び移る。
『危ないですよ!』
『私は魔法道具だから大丈夫です!』
跳ねるように視界が揺れる中、ジョーズが手を差し出している姿と慌てた声が響く。
その声を気にせずに、ミサは更にジャンプをして馬に飛び乗り、像の肩に飛び乗り、そして遺体の背中へと飛び乗る。
『推測するに遺体は20才から30才くらいの男性。転落時に生きていたのかは不明。胸部に像のランスが刺さっている以外の損傷箇所はなし』
グッサリとランスの刺さった箇所を見るミサの視点に、雨竜もユーリも顔を顰めている。
ランスに貫かれた部分以外に衣服の破れは無く、靴も履いている。
それは不思議なくらいに、不審な点は一切無い飛び降り。
一通り遺体を間近で見終わったミサは、ずっと心配そうに彼女が動く場所場所で手を伸ばして、落ちてきても問題ないようにと待ち構えていたジョーズの掌へと飛び移る。
『満足です、ありがとうございます』
『これをクリスティー様にお見せするんですか?』
『勿論です!』
元気なミサの返事に、ジョーズの戸惑いの感情が仮面越しでも分かる。
そのタイミングで、待っていた梯子が到着する。
台座に梯子が掛けられ、騎士達が大変そうに遺体を下へと下ろしたのを見届けて、映像は途切れたのだった。
「以上が現場の映像となります、クリスティー様!」
突然にカーテンが開かれ、窓から差し込む明かりの眩しさに皆が少し瞼を細める。
スクリーンから飛び出してきたミサが褒めて褒めてと言わんばかりに背伸びをして、机の上からクリスティアを見つめているので、その頭を撫でる。
「ありがとうミサ、よく撮れているわ。ジョーズ卿も、ミサに従ってくれて感謝いたします」
「いえ」
やはり年若き子供達に見せるべき映像ではなかった。
クリスティアにはお礼を言われたものの、主君であるユーリを横目に見れば、明らかにテンションの下がった表情を浮かべているので申し訳ない気持ちになる。
この室内で平気そうな顔をしているのは、クリスティアとルーシーだけだ。
「クリスティー様、クリスティー様。遺体の様子を見るに不審な点はありませんでした。もし事件を疑うんでしたら、しっかりとした検死が必要になると思うんですが。神聖国では期待ができません。ここには王国のような警察組織はありませんから。今後の捜査はどうするんですか?」
褒められて嬉しそうなミサがまるで猫のように、クリスティアの掌に頭を擦りつけながら問う。
神聖国にはラビュリントス王国のような警察組織はない。
神の国を自負しているからこそ特に、そういったことには疎いのかもしれない。
この国が信じるのは、人の善なのだから。
「そうね……」
「神に守られた国で、悪意ある事件が起きることはないと思っているのだろう」
「人に欲があるかぎり、その行いは善いものだけではないというのに……この事は状況を変える機会となるかもしれませんね」
いずれ国を背負う立場のユーリも雨竜も、神聖国のような危機感のない振る舞いには呆れてしまう。
そんな二人を見て、クリスティアも同意するように頷いて微笑む。