青の離宮①
「はぁ……来て早々あんな光景を見ることになるなんて思わなかった」
どんよりとした重く沈んだ気分で荷解きを終えたアリアドネが、テラスへと続く大きな窓を見て肩を落としている。
旧王城で隠れているのであの小さな鐘塔が見えないのは幸いだが、クリスティアのメイドとして後を付いて歩いていたのでバッチリ目撃することとなった先程の事件。
外を見ていれば今し方飛び降りたあの男のことが脳裏に浮かび上がり、思い出すなと頭を横に振る。
アリアドネは誰かが落ちていると認識した瞬間にすぐに顔を手で覆って視界を塞いだので、像に突き刺さる姿までは見ていなかった。
だが悲鳴と飛び交う物騒な言葉達を聞きながら、落ちるより悲劇的なことが起きたことは察せられて、ずっと地面に視線を向けていた。
視界を塞ぐだけでは防げなかった風に乗って漂ってくる鉄臭い香り。
落ちてくる姿でさえ忘れられない光景だったというのに。
中庭の悲劇を最後まで目にした者達の今日の夢見は、十分に悪いことだろうと慮る。
「気持ちが落ち着くように、共に紅茶でも飲みましょうかアリアドネさん。皆も、疲れたでしょう。用があれば呼ぶから少し休んでね」
労いの言葉を掛ければメイド達は頭を垂れて部屋を去る。
室内に残るのはクリスティアとアリアドネだけ。
お言葉に甘えて、クリスティアの向かい側に座ると、外に出る直前にメイドが入れてくれた紅茶を飲む。
「てか、こんなことが起きて……聖女に会えるのかな?」
「そうね。もしかすると、わたくし達へのお披露目は一旦取り止めになるかもしれませんわね」
暖かい紅茶を飲めば気持ちも落ち着く。
ホッと息を吐くアリアドネ。
対してクリスティアは、ルーシーが入れてくれるお茶とは違うことに物足りなさを感じ、一口飲んですぐにカップをソーサーへと戻す。
「招待状にはあくまでも特別なパーティーであるとしか書かれていませんでしたから、それが聖女のお披露目なのかは現状では分かりません。予定を変えて別のパーティーに差し替える可能性もございます」
聖女の降臨はあくまでクリスティアが情報を得て推理したこと。
先程の死によってどう変わってもおかしくはない。
あのような死に方は、神聖国としては不浄であると捉えるはずなのだから。
「てか、聖女のお披露目ならもっと盛大にするもんじゃないの?パレードみたいなのとかさ。カラーダイヤを売ったお金もあるはずなのに、なんでこんなこっそりとなの?」
「既存の祭りに充てる費用もあるでしょうし。今回は謂わば本物の聖女降臨祭となりますから、今まで以上に奇跡を演出する費用が必要となるはずです。カラーダイヤの販売だけでは心許ないので、わたくし達が呼ばれたのでしょう。まずは巡礼の順番を決めるという名目として、わたくし達にそれとなく寄付金を募るはずです。その大きさによって、国でのお披露目の順番が決まるはずですわ。わたくし達に期待されているのはね、信仰心ではないのよアリアドネさん」
それはユーリも言っていたことだ。
ニッコリと笑むクリスティアに、アリアドネは嫌な顔をする。
「げぇ……なんか守銭奴っぽい」
「純粋な信仰心だけで、これだけの信仰を維持させることは出来ませんから。最近は、信仰心を持たぬ者も多いと聞きますし。聖女降臨を大々的にアピールすることによって、失った信仰心を高めたいのでしょう。巡礼の順番は信仰への関心がなかった者達への戒めともなりますし、最初に選ばれた国の信者達はより一層、励むことになるでしょう」
ラビュリントス王国は聖女信仰が根強いのでそれなりに貢献をするだろう。
ユーリとしても国民が望むのならば、惜しむことなく寄付金を出すはずだ。
最初の巡礼地に選ばれる候補地として、ラビュリントス王国は最も近いところにいる。
そんな話しをしていれば、唐突にコンコンとノックが響く。
「どうぞ」
「失礼いたします。戻りましたクリスティー様」
イーデスを追いかけていったルーシーだ。
戻ってきた早々に机に並べられたティーカップを見て、少しばかりムッとした表情を浮かべる。
「お帰りなさいルーシー。冷めてしまったから、新しい紅茶を入れてくれる?」
「畏まりました」
全く冷めてはいないのだが侍女の拗ねた顔を見て、笑みを浮かべたクリスティアは減った様子のない中身の残ったティーカップを自分から遠ざける。
それに嬉しそうに頷き、いそいそとカップを受け取ったルーシーは紅茶の準備を始める。
ティーポットを温めて、今の気分に合った茶葉を選ぶ、そうして準備をした黄金色の液体がカップに注がれ、芳しい香りが部屋を充満する。
香りからしても、先程の紅茶とは全く違う。
「やっぱり、あなたが入れてくれる紅茶が一番だわ」
「勿体ないお言葉でございます」
差し出されたカップの紅茶を一口、口に含んだクリスティアはホッと息を吐く。
間違いなくクリスティアの好みの味わい。
長旅で疲れた体もすっと安らぐ。
そんな主人の柔らかくなった雰囲気を感じ取り、ルーシーは満足する。
その味の違いを味わいたいアリアドネがキラキラとした期待する眼差しをルーシーに向けるが、空になったカップに紅茶が注がれることはない。
分かっていたことだがそれに、むぅっと拗ねたように下顎を突き出す。
「それで、どうだったのかしら?」
「はい。あの鐘塔への出入り口は、廊下から見て裏側の中央に1カ所だけでございました。扉は内開きの鉄の扉で、中を覗く引き戸式の小窓が1カ所あり、扉には鍵が掛かっておりました。イーデス大司教は数名の修道者に声を掛けた後に入り口まで参りました。そこで暫く立ち止まり、事情を聞いてきたらしいアルテ大司教と合流いたしました。どうやら扉を開く鍵は二つ必要らしく、イーデス大司教はアルテ大司教から鍵を受け取ると扉を開き、中へと入りました」
ルーシーはイーデスに悟られないように、こっそりと後ろを付いて様子を見ていたが、遠目から見ても鍵は古くて特殊な構造であったように見えた。
誰もが自由に出入り出来る扉ではないようだ。