好きこそものの②
「少し、荒療治でしたけれど……上手くはいきましたでしょう?」
結果は満足いくものであった。
事故以降エネスはすっかり変わったのだ。
昔のように、宝石への情熱を取り戻しつつある。
だがアリッサの額には、大きな傷跡が残ってしまった。
女性として、それは致命的な傷跡でもある。
「アスター嬢はショックを受けられたのではないですか?」
「私に怪我をさせたことが許せなかったようで……婚約を破棄させようと必死になっています。真実を知らないまま。私をホーム家へ行かせようとしているんですよ」
「まぁ、シャロンが喜びますわね」
「ふふっ、私はどんなことがあろうともファニキア家から出るつもりはありませんから。なので諦めてもらうために、あの子には全てを話すつもりです。あの子の大好きな兄が戻ってきたのですから、きっと理解してくれるでしょう」
全てを話せば、アスターは怒るだろう。
怒るだろうけれど、感謝もするはずだ。
きっとこれが最善だったのだとアリッサは信じている。
「そうですね。ならばそこには少しだけ真実を混ぜてあげてください。アスター嬢は兄が危険な宝石を商会で新しく売り出そうとしているのだと考えていたみたいです。あなただけを狙ったと考えるよりも、アスター嬢の気持ちは楽になるでしょう」
「えぇ、えぇ、必ずそうします」
優しいあの子が考えそうなことだ。
これで兄妹の仲も上手くいくはず。
なんの憂いもなく、全てを受け入れて満足気な笑みを浮かべるアリッサの顔を見つめながら、クリスティアは疑問に思う。
この事件の唯一の被害者であるというのに、あまりにも呆気なく彼女は全てを許している。
「ともすると、全てを失う事故になるところでしたでしょう。アリッサさん、どうしてそのようなことをなさったのですか?」
宝石眼を失えば、ファニキア家はアリッサをあっさりと見捨てたはずだ。
エネスだって、これ幸いと婚約を解消したかもしれない。
視力を失って彼女が得られるモノは一体なんだったのか。
「クリスティー様。好きこそものの上手なれ、ですわ」
それは、クリスティアが思っているような結末にはならなかったと確信しているような穏やかな微笑みであった。
アリッサの表情に後悔は一切ない。
どうしてそう微笑めるのか。
彼女の真実は一体なんなのか。
意味が分からずに眉根を寄せたクリスティアが唇を再度、開き掛けたところで、慌ただしい足音が近寄ってくる。
「アリッサ!」
「エネス様」
「学園まで一人で来たのか?まだ無理をしたら駄目だろう」
「いいえ、クリスティー様が馬車を手配してくださいましたわ。それにお医者様も外出は問題ないとおっしゃっておりますし。少しは外へ出ないと、私だって息が詰まります」
「だが……」
「まぁ、随分と過保護になられましたのね」
片膝をつき、アリッサの手を握り心配げに眉尻を下げるエネス。
あれだけアリッサへの恨み言を吐いていた人物とは思えないほどの変わりように、クリスティアは驚きながらもその様をからかうように微笑む。
背負っていた劣等感を拭い去ったこれが、本来の彼の姿なのだろう。
眉間の皺は3割ほど薄くなったエネスは、クリスティアを決まりが悪そうに見上げる。
「色々と目が覚めたんです」
「それはとても喜ばしいことですわ。アリッサさんをお呼びしたのは先のパーティーで身に付けるアクセサリーに特別な宝石を是非、選んでいただきたかったからです。それにたまたま偶然に、事故を目撃してしまいましたから。お怪我の具合も知りたかったのです」
事故を計画したことを話すつもりはない。
そう暗に告げるクリスティアにエネスは安堵したように眉間の皺を更に弱める。
とはいえアリッサは既に事件の真相を知っているので話したとて、でもあるが。
話さないことは彼女の意思でもあるので、クリスティアが事実を話すことはない。
「そうですか……ですがあまり無理をさせないでください」
「勿論ですわ」
「心配しすぎですエネス様」
「アリッサ」
後ろめたさからか、過保護が増している。
じっと見つめるエネスの眼差しに、アリッサはふふっと笑む。
「ごめんなさいエネス。心配させてしまって」
気安く、砕けた言葉でアリッサはエネスに握られた手の甲に、自身の手を重ねる。
それはずっと昔、立場もなにも分からずに、家族のように友人のように過ごしていた幼い頃に戻ったよう。
いや、それよりももっと……もっと深い感情がこもっているような。
心配が伝わったことに満足したように頷いたエネスはまるで憑き物が落ちたかのよう。
ラニアとはすっかり別れたと聞いている。
「あの公女。アリッサが選んだ宝石のデザインですが、よろしければ私にお任せくださいませんか?アリッサが見極めた宝石は全て、私が加工したいんです。お願いいたします」
「クリスティーとお呼びになってくださいエネス様。勿論ですわ。お二人の合作ならばきっと素晴らしい作品となりますでしょう。期待しております」
「はい!必ずご期待に添えてみせますクリスティー公女!」
宝石はフランシスに、見極めはアリッサに、そしてデザインはエネスに割り振るのもいいかもしれない。
フランシスは嫌がるかもしれないが、アスターのためにと言えば渋々、受け入れるだろう。
自信を持って胸を張るエネスのその姿に、自らをイミテーションだと蔑んでいた影はもう無い。
「もうアリッサを連れて行って構いませんか?」
「えぇ、構いませんわ。どうぞお気を付けてお帰りになられてください。よろしければ、アリッサさんを向かいに行かせた我が家の馬車を帰りもご利用ください。ルーシー、手配してあげて」
「畏まりました」
「ありがとうございますクリスティー公女」
「色々と感謝致します、クリスティー様」
それは公爵家の家紋の入った高貴なる馬車。
その馬車に乗り、直接に送り迎えをされるのは特別な相手だと誰もが知っている。
今後は仕事をしていく上で、アリッサを平民だと侮る者も減るであろう。
ぺこりと頭を下げたアリッサがエネスの手を取り立ち上がる。
そしてそれが自然であることかのように、エネスが自身の腕へとその手を引き寄せる。
気遣われるように、優しく。
照れくさそうにだが、嬉しそうに身を寄せたアリッサのエネスを見上げるその眼差しは、心から愛している者を見つめる眼差しで。
そんなアリッサの姿を見て、クリスティアの胸に謎が解けるように、アリッサの真実がストンと落ちてくる。