オオカミが来たぞ③
「ファニキア令息は恋人に対して随分と寛容なのですね。少し前に、ラニア嬢とお話しをいたしましたが……わたくしの友人である令息に随分とご関心を向けておられましたわ。その方に、ご自身には恋人はいないと断言しておりましたけれど」
まるで片思いのようだ。
恋しく想う相手という点ではいえば、まさに恋人なのかもしれないが。
等しく想い合ってはいない。
クリスティアはエメラルドが入れられたジュエリーケースへと手を伸ばす。
「恋人の価値観は人それぞれです」
「そういうものですか?嫉妬はなさらないのですね。わたくしからすれば、ファニキア令息から頂いたというエメラルドをこれ見よがしに身に付けていたというのに、酷い恋人だと思うのですけれど。男性にしてみればそれすらも可愛いく思えるのかしら?でしたら、可愛く思う相手を呪うだなんてことはなさらないでしょうね」
触れた指でエメラルドのケースの蓋を閉じる。
「わたくしの瞳の同じ色のルビーは混じり物があるそうですが、この3粒よりかは価値のある宝石だそうです。綺麗なカットをされていて、半分にカットされてはおりませんでしたわ。他の宝石とは仲間はずれですわね」
次いでルビーの蓋を閉じる。
「トパーズは……そうですわね。わたくしの言う呪いはかからない性質を持つとお教えいただきましたので、こちらも呪われていないのでしょう」
そしてトパーズの蓋を閉じる。
「わたくしね、どうしても分からないことがあるのです。ここにある宝石の多くはどうして半分に切られているのか」
残ったのは蓋の閉じられていないアメジストのケース。
「こういう変わった形に宝石をカットなさるのはなんらかの付着物があり、それを取り除くためだとお聞きいたしました。そしてそれは魔法鉱石であることが多いと」
沈黙する宝石はキラリキラリとシャンデリアの光りに照らされて存在だけは主張している。
エネスはその輝きを避けるようにアメジストから視線を逸らしている。
「恋人に差し上げるエメラルドの内包物が魔法鉱石であるはずはなく、ルビーはカット以外の加工をされておりません、トパーズは魔法鉱石を吸収するそうですわね。ではアメジストはどうでしょう?ファニキア家が一時、所有していたアメジスト鉱山から多くのブラックアメジストが市場に流れたとお聞きいたしました。王室が所有する鉱山では出回ることのないカラーだそうですわね。何故、王室が流通を制限しているのか。それは宝石鉱山から出る危険な魔法鉱石と見分けるのが難しいから。ファニキア令息……ブラックアメジストで一体、なにをなさるおつもりなのですか?」
アメジストのケースを差し出して問う緋色の瞳。
閉じられることのない蓋に、エネスはゴクリと唾を飲み込む。
「な、なんのことでしょう?」
「わたくしは真実ではなく、事実を見ているのですファニキア令息。一つ、あなたは魔学クラブで魔法鉱石の加工を行うグループのリーダーをなさっている」
右手を上げて、クリスティアは人差し指を立てる。
「二つ、あなたがクラブに提供した魔法鉱石……魔宝石と称したものは全て、宝石鉱山から産出された魔法鉱石である」
次いで中指を立てる。
「三つ、それらの魔宝石は魔法道具に敏感であり、カット方法によりそれぞれ起きる反応が異なる」
そして薬指を立てる。
この追及から逃れられると思っているのか、立てた指をじっと見つめ思案するようなエネスの表情に、クリスティアはエヴァンから預かった資料をルーシーから受け取ると、机の上へと置く。
「加工実験の資料によれば、どのカットも一部の魔法道具になんらかの反応を示すらしいですわね。プリンセスカットは魔力で灯る明かりに反発し、割れしまう。ペアシェイプカットは魔力で吹く風を相殺し、使用出来なくなる。マーキスカットは振動によって魔力を弱め、魔法鉱石としての価値が無くなる。そしてオーバルカットは魔力の乗った音に、爆発を引き起こしてしまう」
エヴァンの資料を指差しながら、魔法石が宝石のように加工された場合、どういった反応が起こるのかをなぞるように示す。
そのどれもが安全ではないのだと。
「アスターはあなたが皆に認められるために、魔宝石を市井へと売り出すことを懸念しているようでしたが。あなたはそれほど大それたことをするつもりはないのでしょう?ファニキア家の令息ならば魔宝石の危険性を知らないはずはないでしょうし。次期当主になる努力をなさっているあなたが、わざわざ自らを貶めるようなことをなさるはずはない。ならばあなたの目的は別にあると考えるべきです。魔学クラブで実験結果を執拗に聞き出そうとしたのも、その目的のためなのでしょう?」
アスターは真実を見ていた。
それは心象に寄り添ったものであり、自らが望む都合の良い事柄でもある。
だからこそクリスティアは事実を見るのだ。
誰かの心象で彩られていない、ただ現実に存在している事実。
事件の本質を間違えないように。
事実を見て、推理をする。




