ファニキア家のメイド③
「本当に可哀想なのよアリッサ様。婚約当初は仲が良かったらしいのだけれど、今は使用人の子だからってエネス様に不当に扱われているの」
「そうなんですか?」
「宝石眼を持っているから婚約者になったんだ!そうでなければお前なんて、俺と口を利くことも許されないただの使用人だ!母親同士が仲が良いからって馴れ馴れしくするな!って怒鳴りつけられていたわ。宝石の鑑定も碌に出来ない落ちこぼれのくせに、偉そうったらないわ。まぁ、それもエネス様にとったら面白くないんでしょうけどね」
「どういうことですか?」
「だって、ファニキア家といえば宝石鑑定が出来ることが一族としての証なのに、エネス様にはその能力が全くないの。だから鑑定は全てアリッサ様に任されていて。実際、宝石鑑定の場にエネス様が同席することはないの。役立たずだって宣言されているようなもんでしょう?嫡子としての爵位を次ぐのは自分なのに、使用人がしゃしゃり出て全部奪っていくって……嫉妬と嫉みでアリッサ様に酷い態度を取ってるのよ」
エネスがアリッサを酷くなじる現場を何度も見てきたマリンダは、深く溜息を吐く。
「アリッサ様もアリッサ様なのよね。あの眼があれば、別の場所でも雇ってもらえるでしょうに。両親がお世話になっているからって、ファニキア家に尽くしてるの。もしお二人に子供が生まれて、その子が宝石眼を持ってたら、アリッサ様なんてあっという間に捨てられちゃうんじゃないかって噂されてるんだから……ほんと、見ている私達が居た堪れないわ」
「ホーム家が引き抜きたいって言ってたのを聞いたことあります。アリッサ様を虎視眈々と狙ってるって」
「そうなの?いっそのこと引き抜かれてしまったらいいのよ。そうすればどれだけ大切だったのか分かるはずだわ。アスター様が変な風になっちゃってから、ファニキア家は問題だらけになったって先輩が愚痴ってたわ」
「アスター様って、学園でも変なクラブに入ってますよね。オカルトクラブっていう」
「だからなのね!アスター様ったら私に塩をぶつけてきたことがあるのよ!お前は呪われてるーー浄化だーーとかいって!失礼しちゃうでしょう!?」
塩の入った壺を持って追いかけられたことを思い出し、メイド服を洗うのが大変だったとマリンダは怒るが。
そのなんとも滑稽な光景を想像し、アリアドネは笑いそうになるのを奥歯を噛み締めて耐える。
やはりアスターは邸でも奇行が目立つから、当主の座から降ろされたようだ。
「この間なんてアスター様がエネス様の宝石を盗んだらしくて!大喧嘩よ!お前が不届き者だから呪ってやったんだってアスター様が喚いていて……取っ組み合いの喧嘩にまでなりそうだったから、私達もうハラハラしたわ。アリッサ様がお止めしてなんとか収まったけれど。お二人の仲の悪さに当主様と奥様が頭を抱えていらっしゃるわ」
それはクリスティアへと渡された宝石達だろう。
やはり手紙一つでは解決しなかったらしく、帰ってから揉めたらしい。
「お二人が揉めだしてから結構、使用人も辞めちゃったのよね。使用人を敵かのように扱うエネス様が当主になれば、居心地が悪くなるでしょうし……給金も今より減っちゃうかも。アスター様はアスター様で、塩を撒いて幽霊が憑いてるって脅したりするし。取り憑かれてるのはアスター様でしょって感じよ」
マリンダは呆れたように、馬鹿にしたように肩を竦める。
だがそうやって揉めてくれたお陰で使用人が辞めて、マリンダは前に勤めていた邸よりもまだマシなファニキア家で勤められるようになったのだから不満は飲み込む……文句は多くあるが。
「長く勤めている先輩達はお二人は昔、それはそれは仲のいい兄妹だったんだって言ってるんだけどね。今の状況を見る限りは信じられないわ」
「どれくらいのタイミングでお二人って揉めだしたんですか?」
「さぁ。でも丁度私が勤めだしてから半年経つから、それよりは前なのは確かよ。アスター様が次期当主になるだろうって話しになっていたときはね、お二人の仲はそう悪くなかったみたい。でもそうだわ。エネス様の婚約が決まって暫く経ってから、喧嘩が増えたって侍女長が漏らしていたわ」
「婚約が決まってから……まぁ、恋人がいるのに家の事情で婚約者が決まったのなら、不満に思うのも分からなくはないですけど」
「あら、違うわよ」
喋りすぎて喉が渇いたのか、グラスの炭酸水を飲もうとしていたマリンダは頭を左右に振る。
なにが違うのか分からずに、アリアドネは小首を傾げる。
「婚約が先で、恋人は後。アリッサ様への当てつけよ」
「そうなんですか!?」
てっきり婚約前に恋人がいたんだと思っていたのに!
ならエネスのそれは浮気であり、質が悪いではないか!
前世でわくわくと見ていた、婚約者の悪役令嬢が婚約破棄されて断罪されるシーン。
ヒロインが悪であれば、悪役令嬢は何処からか颯爽と現れるヒーローに助けられる、そんな展開になるのだが。
平民のアリッサにそんなヒーローがいるのだろうか、いないのならば……断罪は成立してしまうのだろうかとアリアドネは下唇を突き出し、不満を現す。
こういう物語は不誠実な男を叩きのめすのがスカッとして面白いのだ。
「恋人のためにアクセサリーでも手作りしてるのか、最近は部屋に石ころみたいなゴミが転がってて掃除するのが大変だし。エネス様って手先だけは器用なのよね。そうそう、恋人と上手くいって浮かれてるのか、同じレコードばっかり聞いてて、鼻歌まで歌ってるのよ」
「私、エネス様のこと凄い嫌いです」
「あははっ!奇遇ね、私もよ」
気味が悪いったらないわっと嫌な顔をするマリンダ以上に、アリアドネも眉間に皺を寄せて嫌な顔をする。
その表情にマリンダが笑い、グラスを持ち上げれば、アリアドネも近くにあったグラスを掴んで持ち上げる。
どうか不誠実な男に強力な呪いが訪れますように。
そんな願いを込めて二つのグラスを合わせて甲高い音を鳴らした二人は、中身の炭酸水を一気に飲み干した。




