解剖所見②
「顎の傷は床にでも押さえつけられた時に付いた傷じゃないのか?」
「いえ、傷は全て正面から受けているので。例えば背中で馬乗りになって床に押さえつけられたときに出来た傷なら背中に刺し傷がないことの説明になりません。これだけ殺意を持って何度も刺しているのに床に押さえつけたリネットさんを刺さない理由はないですよね?」
ラックの説明に確かにと頷き納得するユーリ。
「首を絞めたような形跡はございませんでしたの?」
「俺達もそれを怪しんだが首を絞めたような圧迫痕はなかったそうだ」
「では全くなんの傷がお分かりになりませんのね」
なんらかの弾みで武器を落とし、首を絞めた拍子に顎の傷が付くようなことがあるかもしれないがその圧迫痕も無い。
さっぱりだというように肩を竦ませたニールにクリスティアも残念がる。
「部屋にあるもので傷と合う物がないか探してみたんだが合う物はなかったし、死後の傷ではないようだからもしかしたら事件前に付いた関係ない傷なんじゃないかと捜査会議では重要視はさなかったんだが……」
「事件前は、あり得ませんわねニール」
「あぁ、俺もそう思って気になっている」
「何故そう言い切れるんだ?」
「殿下。リネットさんのドレスは首元が開いたオフショルダーネックのドレスでしたわ、顎から首にかけてのラインはすっかり見えてしまう形です。つまり顎の傷を隠してはいない格好ということですわ。写真を見る限りではファンデーションで傷を隠した形跡もないようですし、それで夜会に来たとは到底考えられません。女性というものはですね殿下、例えどんな小さな傷であろうともそれが見える場所にあればあるほど恥じ入り隠したがるものですわ」
「貴族の令嬢ならば尚更、小さい傷でも隠したがるもんだろう」
「えぇ、そうですわねニール。それを隠さず晒していたということは事件時に出来た傷だと考えたほうがよろしいかと思います」
スタンドカラーの襟元にレースのフリルが付いたような顎まで隠れるほどのドレスではなくリネットが着ていたのは鎖骨まで見えるドレスだったのだからそこに傷を隠そうという意思はない。
それはつまりこの傷は犯人がなんらかの意図かもしくは意図せず付いた傷であり、その凶器は犯人が持ち去ったということ。
そしてそれはリネットを殺すに到った短剣よりも大切な証拠であったということだ。
「他に事件現場にはなにかございませんでしたの?」
「いやない。血の量が量だったからそれを踏んだ靴の痕が何カ所かあったが多くが量産品だったし、警察が来る前に何人か現場に入ったようだしな……まぁ今、鑑識が調べてる」
事件現場を荒らさない良識が夜会に来ていた者達にあったなら助かったんだが……。
娯楽に飢えた貴族の屋敷では難しいかと深くニールは憂いた。