憐れな愛②
「そういえば!ゲームでのフラン様の婚約者のこと思い出したの!あの男!ヘンディングス・エモド!なんか嫌いだなってずっと思ってたんだけどあの男がフラン様の婚約者だったの!」
「まぁ、ヘイスティングスが?それは……あまり喜べないお相手ね」
ヘンディングスは悪い男ではないけれども移ろいやすい男。
淑女の鏡と表されている友人のフラン・ローウェンの相手となるには不誠実で。
両方の友人として、歓迎するとはならない。
「断固絶対阻止するわ!一途っていう点ではロバート様に軍配を上げるんだから!」
今、フランの婚約者候補として一番有力な努力の男、ロバート・アスノットとの仲を、ヘンディングスが入り込めないように取り持つのだ!
意気込むアリアドネのやる気に拳を握る姿に笑みを浮かべて、ルーシーが入れた紅茶を飲むクリスティア。
その和らいだ空気を感じたアリアドネは、前世の自分が死した事件のことも伝えなければと躊躇いがちに唇を開く。
今なら伝えられる気がする。
この軽口に乗せて、大したことではないように……話しをするのだ。
ドクリ、ドクリ、と矢鱈と耳に付く心音を感じながらアリアドネが息を吸ったところで、扉が勢いよく開き、バンッと壁にぶつかる音が響く。
その音に驚き、アリアドネの肩が盛大に跳ねる。
「クリスティア!クリスティー!クリスティーヌ!」
「あなたってば……もう少し静かに扉を開くことは出来ないのかしら?」
噂のヘンディングスが悲痛なる声を上げて扉の前に立つ。
相も変わらず礼儀のない登場に、ドキドキと驚いて早く鳴る心臓を押さえるアリアドネの姿を横目に見たクリスティアが咎める声を上げるが、聞いていないヘンディングスは一直線にクリスティアの元へと走り寄る。
「酷いんです!僕は、僕はアーテに全てを捧げて尽くしたのに彼女、別の人と結婚することにしたって!祝ってくれるでしょう?って!なんて残酷な人なんだ!」
クリスティアの膝に縋り付きわんわんと泣きだしたヘンディングスはどうやらアーテに呆気なくフラれたらし。
悲嘆に暮れるその様に先程、彼女の夫達の話しを聞いたばかりのアリアドネは頬を引き攣らせる。
新しい犠牲者が選ばれたのだ。
彼女に愛を捧げる憐れな犠牲者が……。
「仕方がないわ。だってあなた、いつだって誰も本気で愛したりはしていないでしょう?アーテは特に、そういったことにはすぐに気が付いてしまうのよ」
「なにを言うんですか!僕はいつだって本気で、僕は……僕は……!」
うっうっと嗚咽を漏らしながら感じる、優しく頭を撫でるクリスティアの掌。
いつだって残酷な優しさでヘンディングスを慰めるその掌に、縋り付いたまま不満を示すように唇を尖らせる。
「……なら今すぐユーリ殿下との婚約を破棄してくださいクリスティー。そうしたら僕にだって一欠片の望みはあるでしょう?」
いつだってずっと、僕はその隣が空くのを待ち続けているというのに……。
受け入れられることのない望みを懇願するように、見上げた潤んだ青緑色の瞳。
その瞳を真っ直ぐに見つめ返したクリスティアは緋色の瞳を細める。
「わたくしのような女にあなたのような優しい人は勿体ないわ、ヘンディングス」
「だから僕の名前はヘンディ……」
いつだって間違われる名前を訂正しようとしてはたと、それが正確に呼ばれた名前であることに気付く。
なんて残酷な女神なのだろう。
いや、これはもう悪魔の所業だ。
そんな悪魔に魅入られ続けている僕はなんて憐れな男なのだとヘンディングスが涙に濡れた驚きの眼差しをクリスティアへと向ければ、彼女はおかしそうに笑い、涙に濡れるその頬を袖で優しく拭う。
「ふふっ、酷い顔だわヘイスティングス」
「だから……僕の名前はヘンディングスですクリスティー」
その笑顔があまりにも魅力的だったから……失恋の痛手はこの胸からすっかり消え失せてしまい。
釣られるようにして、ヘンディングスはへへっと笑う。
そんな二人を見ていたアリアドネは、呆れたような気持ちと安堵した気持ちを綯い交ぜにしながら開きかけた唇を閉じる。
(あのね……あのねクリスティー)
ドクリドクリと言い知れぬ不安で揺れる鼓動が体を揺らしている。
(私、多分……あなたの事件、愛傘美咲の事件のせいで死んじゃったの)
声に出せずに飲み込んだのはいずれ伝えなければならない言葉。
愛傘美咲と小林文代。
殺された理由は全く違うのだろうけれども、二人の死は紛れもなく、同じ事件であったことをアリアドネは思い出したのだ。




