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悪意に染められた純真②

「ではミダ夫人を殺す道理があったのは、どなたなのでしょう?」


 黙ったタシアのその瞳は揺れていた。

 確かに、誰にミダを殺す道理があったのだろうか。

 アロンでなければ一体誰が……。


 アロンは全部自分が上手くやると言っていた。

 大丈夫、全て上手くいくからと……そうタシアを安心させてくれた。

 それは結局なにが上手くという言葉だったのか……。

 タシアとアロンの認識はお互いに合っていたのだろうか。


 疑問が、疑惑が、タシアの足元から湧き上がり、黒く、暗い疑念がどんどんと体を這い上がろうとしている。

 けれどもアロンは……彼はそんなことはしないと、タシアの心の奥だけは揺るがずに固く、彼を信じている。


「タシア夫人。わたくしは事実を知りたいのです。それにはあなたが一番に守りたい者の事実を告げなければなりません。そうしなければ事実は都合良く歪められ利用されることになるでしょう。エニコディオ様の犠牲は決して貴いものではございません。いずれご子息が事実を知ったとき、それは彼を責め苛む枷となるはずです。タシア夫人、どうか事実を……ご子息は一体なにをしたのですか?」


 静かに、諭すように促される。

 言い逃れは出来ないのだ。

 たとえ意地を張って隠したとしても、全てはもう知られていることであり、彼女はただ事実の確認をしたいだけなのだ。

 まるで審判者のように、罪を問うクリスティアに、タシアは泣き出しそうに顔を歪めると両手でその顔を覆う。


「本当に違うのです……本当に……あの子にそんなつもりはなかったのです」

「分かっております。ご子息は……ドクはわたくしのメイドに、薬を飲んだら男爵の病気も良くなると思っていたとそう言ったそうです。つまりそれが毒であったと知らなかったのですね?」


 うっうっと嗚咽を溢しながら泣き出したタシアは何度も何度も頷く。


「あの日……父が亡くなった日。憔悴の中で帰宅したときに、あの子のズボンにその小瓶が入っていたことに気が付いたのです。わたくし、見覚えがなかったものですから。これをどうしたのかとドクに聞くと、病気のお薬だからおじいちゃんの飲み物に入れたと……あの人から頼まれたと……」

「……アーテが頼んだのですか?」

「えぇ!そうです!純粋な子供を巻き込んだあの悪魔!父の隣で天使のような顔をして微笑んで!わたくしはあの人のことは嫌いでした!嫌いでしたけれど父の心に寄り添ってくださったことには本当に感謝していたのです!母を亡くして日に日に衰えていく父が、あの人と一緒に居るときには見違えたように元気でいましたから。あの人にどんな噂があろうとも、父が共に居ることで心穏やかでいられるのであれば、あの人とのお付き合いも良いことだとそう思っていたのに……それなのに……父が病気だと偽ってドクに薬を……!」


 ドクの話しを聞いたとき。

 タシアは足元の地面が崩れ落ちて奈落へと落ちていくような、そんな感覚であった。

 その小瓶に入れられていたものは一体なんだったのか。

 その小瓶の中身がもし毒物であったのならば……。


 家族の中でノーホスとアーテの付き合いを否定しなかったのはタシアだけであったというのに、酷い裏切りだ。

 卑怯で卑劣で悪魔のような所業。

 ドクは、病気が治ると信じて……純粋に純真に毒物をワインボトルの中へと入れたのだ!


「誰にも気が付かれなければ一生、わたくしは黙っているつもりでした。ですがミダ夫人がドクの話しをしたときに、きっとあの子がワインボトルに毒物を入れる姿を目撃したのと思いました。だから、あなたが事件を捜査するとなったときにアロンに小瓶の話しをしました……もし彼女からお金を要求されたらその通り支払おうと。証拠品はこちらが持っているのだから、後は目撃者さえ沈黙させれば問題ないと。全てを差し出してでもドクを守ろうと話しあったのです。例え嫌われていたとしてもあの子にとっては祖父です。自分が祖父を殺したかもしれないと苦しむことだけはないようにしたかったのです。それであの日、ミダ夫人が亡くなった日に話したいことがあるから家に来て欲しいとの連絡が来て……アロンは自分一人で行くから心配しなくてもいいと。小切手を持ってミダ夫人に会いに行ったのです。そしたら彼女が死んでいたと……」


 浴槽に浮かぶ姿を見て、慌てて逃げてきたのだとアロンは言っていた。

 タシアはそれを信じていた。

 疑いもしなかった。

 対人警察が彼を容疑者として連行するまで。


「どうしてミダ夫人に会いに行ったのか、理由を問われればドクのこともお話ししなければなりません。だからアロンは黙秘しているのだと思います。彼は本当にミダ夫人を殺しておりません!あの人はそんなことが出来る人ではないんです!」


 アロンは違う、絶対に殺していないと信じている。

 けれどもう、どうすればいいのか分からない。

 家族を守りたいのに何一つとして守ることの出来ない無力さに苛まれ、タシアはいっそのこと自分が全ての罪を被れば……家族を守れる気さえしていた。

 それが愚かな選択だとしても。


「お話ししてくださって、ありがとうございますタシア夫人。この小瓶は預からせていただいても?」


 こうなってしまえばもう、拒絶は意味の無いことだとは分かってはいるものの。

 頷くことは出来ずに、クリスティアが取り出したハンカチへと丁重に包まれていく小瓶を縋るような眼差しでタシアは見つめる。


「あの子は……あの子はどうなるのでしょうか?あの子は一体……」

「…………」


 その問いにクリスティアは答えることが出来なかった。

 誰かの悪意によって無垢な手を汚した幼い子供。

 きっと誰も……それを咎めることも、責めることも出来ないはずだから。

 広がる沈黙に、タシアはクリスティアへと覚悟を込めた眼差しを向ける。


「もし、もしもこのことでドクがなんらかの咎を負わなければならないのでしたら、どうぞその小瓶にはわたくしの指紋も付いていることでしょう。わたくしは喜んで、あの人からこの小瓶を受け取ったと証言いたしますわ」

「……お約束は出来ませんが、承知いたしました」


 子を守るために刺し違える覚悟を決めた母親の姿に、クリスティアはそれは誰の幸福にもならない結末だと理解しながらも、事件を解決するまでの間にタシアが愚かな真似をしないようにするために了承をしてみせる。


 自らが起こした罪は、事実であるが故に自らが理解をし、背負っていかなければならないものだ。

 そうしなければ……いずれ事実を知ったときに苦しむのは、罪を犯した本人であろうから。


 クリスティアは、罪はいずれ暴かれるものだと信じていた。

 そうして暴かれたときに、誰かが知らずして背負ってしまった罪と、自らが背負うべきだった罪とが合わさり、その重みで潰されてしまわぬように。


 傷つき苦しむことになったとしても、事実を知り罪と向き合わせるのが家族としての責務であるべきだと。

 そして理解したその罪を共に背負い、支え合うのが家族としてあるべき本物の愛なのだと……クリスティアはそう、願っていた。

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