有力な容疑者
「ミダ夫人の死因はなんだったのですか?」
病院の前庭。
第一発見者であるアリアドネに話を聞きに来たのだろう、ニールとラックの姿を入り口付近で見付けたクリスティアは病室に行く前に二人を引き留めて話しを聞いていた。
「解剖はまだだが、コンスチン博士の見解によると溺死だろうとのことだ」
「抵抗した痕跡が無かったので睡眠薬かなにかを飲まされて沈められた可能性もあるのではないかと、机には飲みかけのカップが転がっていましたから。詳しくはまだ鑑識の結果待ちです」
「そうですか」
話を聞きながらクリスティアは溜息を漏らす。
こんなことになるとは思わなかったのだ。
誰一人として、思いもしなかったのだ。
「腹立たしいことですわ。わたくしは生きているミダ夫人と話をしたというのに……彼女はなにかを知っていたからこそ殺害されてしまった。わたくしはそれを完全に見逃してしまったのです」
「あれだけの会話では、誰にもなにも分かりませんよクリスティー」
ヘンディングスが慰めるように声を掛けるが、だがそれはなんの慰めにもならない。
クリスティアが事実を見付ける前に、新たな殺人は起きてしまったのだから。
「僕が見たミダ夫人の部屋は随分と荒らされているようでしたけれど、なにか無くなった物でもありましたか?」
「それが現金や宝石類などに手は付けられていなかったのでお金が目的ではなかったようです。実は被害者は貸金庫を借りていたようなんですが……その鍵が見付かっていません」
「貸金庫を?」
それはつまりミダを殺した犯人は探していた物を見付け、出し持ち出した可能性があるということだ。
探していた貸金庫の鍵を……。
きっとそこに保管されているのは重大で重要な証拠。
殺人犯人にとって都合の悪いなんらかの証拠であるそれを隠滅されれば……事件を暴くことが難しくなるかもしれない。
「殺人犯人にまんまとしてやられて、これからどうなさるおつもりですか?」
「どうするもこうするも。その貸金庫を扱っている銀行に行って確認を取ったが、借りている金庫へは男爵が死んだ次の日に被害者本人の出入りがあったことは認めた。それ以降は誰の出入りはないと。つまりまだ鍵は使われてはいないということだから、犯人がまだ鍵を持っているか見付からなかったんだろう。中を見るには捜査令状を持ってこいっとのことだったからな。令状を取る間は誰か来たら速やかに警察に知らせるようには言っている。貸金庫を鍵で開けた人物がほぼ間違いなく殺人犯人だろうからな」
銀行としてはそういう対応も仕方のないことだろう。
捜査令状も無しに、借りていた人物が亡くなったからという理由で金庫を開ければ他の客への信用問題に関わる。
一体、中にどれほど重要なモノが隠されているのか……。
銀行には誰かが金庫を開けに来たらすぐにでも連絡するようにと伝えてはいるが。
期待と同時に先を越されるのではないかという不安と焦り、そして警戒感が対人警察内では広がっている。
ニールが疲れたように目頭を押さえる。
「一応、被害者の自宅もだが男爵邸でも鍵の捜索を行っているところだ。自宅に保管していなかったのなら、働いていた先に隠していたかもしれないからな」
「あの、フォレストさんにお話しをお聞きしたいのですが……問題はなさそうでしたか?」
「いいえラック、彼女は目を覚ましたばかりです。ショックも大きく……今はご遠慮なさってください。代わりに彼とお話しを、共に遺体を発見したのですから」
病室で休むアリアドネではなく、代わりにヘンディングスを差し出せば、ヘンディングスもそれに異は無く。
警察、二人の前へと歩み出る。
「なら遺体を発見したとき、なにか気付いたことはなかったか?」
「発見時のことは正直僕も曖昧で……混乱してましたから、警察を呼ぶのに必死で。気付いたことはなにも……」
そう言いかけてヘンディングスはハッと思い出す。
「そうだ!マンションの入り口でエニコディオ卿が馬車に乗って逃げ去る姿を目撃しました!あれは確かにエニコディオ卿だったと思います!」
「エニコディオ?アロン・エニコディオか?」
アーテに強い嫌悪感を持つ相手であるからよく覚えているのだとヘンディングスは強く頷く。
「一瞬でしたけれど間違いありません!彼でした!慌てたように馬車に乗り込み去って行ったのです!」
あのマンションに一体どんな用事があったのか分からないが、彼がミダに会いに来ていたのならば……それは重要で重大な用件だったに違いないとニールとラックは顔を見合わせると頷く。
「分かった、感謝する。もしまたなにか聞きたいことがあれば、そのときは遠慮せずに話を聞きに来るからなクリスティー」
「えぇ、そのときはわたくしも配慮を求めませんわニール」
新たな証言を得て去って行く対人警察の二人を見送り、クリスティアは溜息を吐くとアリアドネが居る病室の方向へと視線を向ける。
その心配げな横顔を見て、ヘンディングスがおずおずと言葉を掛ける。
「こんなことになるとは思わなかったんだ……本当にごめんよクリスティー」
「いいえ、あなたのせいではないわ。あなたのせいでは……」
悄気るヘンディングスへと視線を移してクリスティアは頭を左右に振る。
では一体、誰のせいなのか。
それは分からない。
分からない暗闇が今、彼女達を覆っていた。




