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記憶の中の死②

『お兄ちゃん、帰ってたの?』


 そう文代はその背中に声を掛けた。

 妹が大好きで、シスコンをこじらせている兄。

 仕事で迎えに行けないだなんだと騒いでいたが結局、一人で上京する妹を心配して仕事を抜け出して帰ってきたに違いないと。

 30も間近の妹に過保護すぎると呆れながらも生まれてこの方、実家暮らしだったせいか誰かが部屋に居ることに安堵し、その背中へと近付こうとした文代だったが。

 だが、その足を止めたのは暗がりの中にいる男の背格好が兄とは違うと気付いたからだ。


『誰?』


 そう呟いた瞬間、ゆっくりと振り返ったその男は文代に向かって口角を上げた。

 暗がりの中、顔は覚えていないけれども……その上げられた口から覗いた白い歯をはっきりと思い出せたのは、その口から言葉が発せられたからだったのかもしれない。


「私、気が付いたらお風呂場で沈められてたの!苦しくて沢山暴れたのに!沢山沢山暴れたの!でも全然逃げられなくって!あの男、歌ってた!歌って!歌って!それでっっ!」


 混乱する。

 沈んでいく。

 バシャリバシャリと跳ねる水音。

 あの男はそうだ、白い歯を覗かせながら言ったのだ。


「探偵には素晴らしい贈り物をって……!」


 暗く低い声音であの男が!


 何処かで聞き覚えのある台詞をあの男は!


 アリアドネの瞳から溢れる涙がシーツを濡らしていく。


 苦しくて。

 悔しくて。

 悲しくて。

 辛くて。


 どうして死ななければならなかったのか、理由の分からない死を漸く思い出しことに。

 何故兄の言うことを聞かなかったのかと後悔が溢れ出すように。

 涙が、零れて落ちていく。


「アドネちゃん!」


 その時、アリアドネの両親であるパシィとミースが病室へと慌ただしく入ってくる。

 ルーシーに目が覚めたことを伝えられて医者の元から急ぎ戻ってきたのだ。

 上半身を起こして涙を流す娘の姿を見て、パシィも目を潤ませるとすぐにアリアドネを抱き締める。


「お母さん!」

「びっくりしたわねアドネちゃん。もう大丈夫、大丈夫よ」


 全部、全部思い出した!

 思い出してしまったのだ!


 両親の顔を見て安堵したのか、わんわん泣き出したアリアドネをパシィが強く、強く抱き締める。

 過去に起きた自身の死に様を鮮明に思い出したショックから泣いているのだとは思わずに、遺体を発見したショックから泣きじゃくっているのだと……パシィは抱き締めた背を安心させるように撫でる。


 もう怖いモノはなにもないのだというように。


「ミース様、どうぞ園丁のお仕事は暫くお休みになられてください。父にはわたくしから伝えておきます。そしてアリアドネさんのお体のご様子によっては地方での療養もお考えください……不足のないようにわたくしが全て手配いたしますわ」

「そんな……感謝いたします、お嬢様」


 なによりもアリアドネの心の回復を優先させて欲しいと願うクリスティアの配慮にミースは深く頭を下げると抱き合う妻と娘へと近寄り、気遣うように二人の背へと手を置く。

 クリスティアはその姿を見て、ヘンディングスを連れてそっとその場を離れると病室の外へと出る。


「……探偵には素晴らしい贈り物を」


 閉まる病室の扉の先で自らの死を思い出し、涙を流すアリアドネが記憶していたその台詞。

 扉が閉まり、ぽつりと同じ台詞を呟いたクリスティアの胸は、何故だか酷く重く重く沈み込むのだった。

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