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あるメイドの死③

「きゃぁぁぁぁぁぁ!!」

「なにっ!」


 アリアドネの悲鳴を聞いたヘンディングスが驚き、振り返る。

 後ろに居たと思っていたアリアドネがいつの間にか居なくなっているではないか!


 慌ててリビングから飛び出して声が聞こえた廊下へと出れば、左手側の開いた扉の先でアリアドネが部屋の奥を指差して怯えている。

 ヘンディングスがアリアドネのそのあまりの怯えように、ただごとではないことが起きているのだと察し、息を飲み込み体に緊張の力を込めると指が差されている方向へと顔を覗かせる。

 そこには極めて普通のバスルームが広がっていた。


 一体、なにに悲鳴を上げたのか……ヘンディングスは分からずに更に脱衣所の中へと入り浴室を見回すと、その視界に浴槽に浮かぶ変わり果てたミダの姿が映る。


「うっ!」


 そのあまりにショッキングな姿に、込み上がる吐き気を押さえるように唇に手の甲を押し当てるヘンディングス。


 これは一体、なにが起きているのか!


 ポタリポタリと蛇口から落ちる雫の音を聞きながら、ヘンディングスは恐る恐るとその揺蕩うミダへと近寄る。

 到底生きているとは思えないが、万が一ということもある……。

 揺蕩う体に触れる勇気はないので、ブロンドの髪の隙間から見える横顔を見てみるが、瞼の見開かれたその顔に血の気はない。


「し、死んでる」


 そうヘンディングスが呟いた瞬間、ガタリという音がしたので振り返る。

 見ればアリアドネが脱衣所で苦しそうに胸を押さえて蹲っている。


「どうしたんですか!?」

「はっ!はっ!」


 息が、息が出来ない!

 喉が詰まって苦しい!


 あまりの苦しさにボロボロと涙が溢れて、床に付いたアリアドネの手の甲へと落ちていく。

 落ちる雫を見つめながらアリアドネの頭の中にパッパッパッと鮮明な映像と感触が駆け巡る。


 頭を押さえる強い掌の感触に顔を覆う水。


 浮かび上がりたいのに沈んでいく体。


 沈んで、口へと入ってくる大量の水、水、水!


 苦しい!

 止めて!苦しい!

 お願い離して!


 どうして私がこんな目にという混乱と逃げることのできない絶望。

 迫り来る死にバシャバシャと必死の抵抗で両腕を暴れさせながら、この苦しさから逃れようと藻掻く。

 その耳へと、くぐもった歌声が聞こえてきて……一際強く、彼女の頭を押さえつける。


『そこへ黒ツグミがやってきて』


 誰か!誰か助けて!!


『彼女のお鼻をついばんだ』


 お兄ちゃん!!!!


「アリアドネさん!しっかり!」


 ヘンディングスに肩を揺さぶられたアリアドネはハッと正気に戻ったように瞼を見開くと、消えた息苦しさに必死に息を吸って吐いて、俯いていた視線を上げる。


 思い出した。

 思い出したのだ。

 あんなに苦しかったのに。

 あんなに悲しかったのに。

 どうして。

 どうして忘れていたのか。


「わた、私、思い出した、思い出した」


 そうだ、私は。


 私は。


 私は!


「私は、殺されたんだ」


 そう告げるとアリアドネの意識はフッと遠ざかる。


 浴槽の中、水面に揺蕩っている遺体。

 あれは小林文代の遺体だ。

 何故、殺されなければならなかったのか分からない憐れな遺体。


(お兄ちゃん、ごめんなさい)


 きっと悲しんでいるだろう。

 きっと苦しんでいるだろう。

 本当に、本当にごめんなさい。


 残してしまった家族を想い、アリアドネの閉じた瞼から涙がこぼれ落ちていき……世界は水底へと沈んでいった。

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