あるメイドの死②
「ちょっとなにしてるの!不法侵入でしょう!」
「中でミダ夫人が倒れているかもしれないでしょう?ミダ夫人!失礼しますよ!」
確かに誰も居ないのならば扉が開いているのはおかしいことだけれども、単純に鍵をかけ忘れていただけとかだったらどうするのか。
不法侵入だが不審者ではないというアピールなのか、大声を上げながら部屋の中へと入っていくヘンディングスの後に続いて、アリアドネも恐る恐ると中へと入る。
しんっと静まり返った薄暗い廊下の左右には部屋へと続く扉が二カ所と奥に一カ所。
何処かからピチャリピチャリと水音が跳ねる音がしていて。
恐怖心を煽るその音はなにかのホラー映画の序章のようで、アリアドネの身を震わせる。
一番奥の扉が玄関と同じように少し開いている。
ヘンディングスとアリアドネは引き込まれるようにしてその扉へと近寄り、恐る恐るとドアノブを引く。
「ミダ夫人?」
どうやらそこはリビングらしく。
ヘンディングスが名を呼びながら中へと入ると、広いリビングの中央にある机には倒れたカップから液体が流れ出ていて……床には本や割れた花瓶の破片が散乱し、椅子が倒され、棚からは物が雑然と飛び出し床に散らばっていた。
アリアドネとヘンディングスの間で広がるただならぬ緊張感。
この部屋の様子が通常の状態ではないと、誰もが理解出来る状況。
室内は酷く荒らされているのだ。
「ど、泥棒にでも入られたの!?」
「ミダ夫人!?いないのですか?ミダ夫人!?」
「ねぇ、この状況で人が居たら危ないでしょう……やっぱり留守なんじゃないの?」
「玄関の鍵に壊された形跡はなかったんですけど……この荒らされようですから一度、警察を呼びましょう」
誰かによって荒らされたこの部屋に、家主がいないのならば幸いだが……。
リビングにあった電話を使い、警察へと連絡をするヘンディングス。
そこからアリアドネが無意識に離れたのは、先程から絶えず聞こえてくる水音が気になったからだ。
ピチャリ、ピチャリ。
不安を煽るこの嫌な音を止めたいという無意識の行動。
それはキッチンの蛇口から響く音ではない、廊下から聞こえる音だった。
音に引き寄せられるようにしてリビングの扉を出て、左手側の扉を開く。
怖々と頭だけをまず覗かせて中を見ればそこは脱衣所で、どうやら音は脱衣所の先にあるであろうバスルームから響いているようだった。
脱衣所の中へと入り、磨りガラスの扉の前へと立つ。
ピチャリピチャリ。
跳ねる水音が廊下にいたときよりも大きい。
その音に首から顎までの産毛を逆立たせて、乾く喉に息を呑みながらもアリアドネはその磨りガラスの扉の取っ手を掴むとゆっくりと開く。
ポタリ、ポタリ。
鮮明な水音が中で反響している。
開いた先に広がるバスルーム。
誰かが今までお風呂に入っていたのかというくらいに湿度が高く、少し白く霞んでいる。
扉の真っ直ぐ先にはシャワーがあり、そこからは水は流れていない。
アリアドネは左奥に視線をずらす。
浴槽の奥には蛇口があり、ちゃんと閉まっていなかったのか、そこからこの不快な音の原因である雫が落ちている。
(あぁ、そこから水が零れてたんだ……)
音の原因が分かり安堵したアリアドネはその音を止めようと一歩、浴室へと入ろうとする。
だが足はその一歩を踏み出す前に、ピタリと止まる。
蛇口から垂れた雫は浴槽へと落ちている。
ポタリ。
ポタリ。
浴槽へと、落ちる様を目で追ったアリアドネの視線。
その視界に水が半分ほど溜まった浴槽の中が映る。
蛇口から落ちた雫は広い浴槽に溜まった水に落ちて跳ねている……のではない。
ブロンド色のなにかに当たり、跳ねているのだ。
それが髪の毛であると頭の端であまりよく理解せずに思ったのは、すぐに浴槽に浮かんでいるそれの全体像を見たからだ。
背の向けられた薄紫色のドレスが水に溶けようとしているかのように揺れている。
力なく浮かび上がるそれは、一滴の水に弄ばれるかのように、頷くように揺らされていた。
あぁ、あれはミダの遺体だ。
紛れもないミダの遺体が浴槽の中で揺蕩っているのだ。
これがどういう状況なのかゆっくりと反芻して理解した瞬間、アリアドネの頭のてっぺんから足の裏側まで一気に鳥肌が立ち、慄き震える唇が開く。




