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アン夫人の証言①

「あなたは一緒ではないの?」

「俺はアテンドですから。ここまでエスコートしたことを光栄だと思ってください」


 部屋へと入ってきたアン・ディゴリア夫人が入り口で別れを告げるシークを不安そうに明るい茶色の瞳で見上げている。

 クリスティアが居間から客間までの案内を頼んだのはヘンディングスであったのだが、後ろから肩を落として歩いているのを見るにどうやら彼は夫人のエスコート役には選ばれなかったようだ。


「それに高名なる探偵さんの手腕を直に見られる機会なんて、そうないことですよ母さん。俺が父さんのへそくりをこっそりと拝借したことは暴かれないように気を付けておいてくださいね」

「馬鹿なことを言わないで、あの人に隠せるほどのへそくりなんてありません」


 ニヤッと笑うシークの軽口に呆れたように、だが少しだけ緊張を弱めたアンは笑む。

 そんな母親の様子を見て、シークはクリスティアへとウインクする。

 クリスティアも口角を上げて、アンの緊張感を和らげてくれたことへのお礼として軽く頭を下げる。


「どうぞお座りになられてくださいアン夫人。わたくしのことはクリスティーとお呼びください」

「あの、私はあまりお役には立てないと思いますわ……正直、あの時のことは混乱もしておりましたし記憶も曖昧で……」

「問題ございません。本日は軽い雑談をなさる場だと思ってください」


 自身の前のソファーを手を上げて示すクリスティアに、逃れることは出来ないと一つ深呼吸をしたアンはおずおずと、そのソファーへと腰を下ろす。


「それで、あの、私は一体なにをお話しすればよろしいのでしょうか?」


 クリスティアを見つめ、胸に拳を当てたアンは身を縮めて気弱げに問う。


「領地からいらしてから事件当日までの行動をお教えください。こちらへは事件の二日前にいらしたとお聞きしました」

「えぇ、そうですわ。お義父様のお誕生日ですから、毎年お祝いに領地から首都へと参ります」

「事件当日まではどうお過ごしになられていましたか?」

「首都には友人が多くおりますから、久し振りの再会を楽しんだり……美術館に足を運んだりしておりました。私は絵が好きで、王妃様が主催しております美術サロンの会員でもあるんです。自分で絵画も書いておりますわ」

「まぁ、そうなのですね」

「どんな絵を描くのですか?」


 興味深げにヘンディングスが問う。


「風景画が主です。人様にお見せできるほどの腕前ではないのですが。私、エイミー・レイルの絵が好きで……首都に来たときには必ず美術館に飾られたレイルの絵を見に行くんです」

「暗い断崖と明るい海のコントラストが素晴らしく美しい作品ですわね。確かタイトルは……」

「憐れなる者の希望……写実画なのに心象画というか、本当に素晴らしい作品ですわ」


 王国美術館に飾られたエイミー・レイルの絵はその一枚だけだ。

 絵の半分以上に描かれた暗い断崖の先で、海の水面がキラキラと輝いている絵画。

 確かレイルの友人から寄贈された作品で、その友人が所有する土地から見た景色を気に入って描いたものだとの説明が書かれていた。


 心惹かれる美しい風景画が知られていることに、アンは嬉しげに頷く。

 だがクリスティアは絵画談議をしにきたわけではない。


「では首都に来られてからはお忙しくなさっておられたのですね?」

「えぇ、そうですわね。朝に出掛けて夕方に戻ることが多かったですわ。お義父様もそれに対してなにかおっしゃるということもなかったですし……一度、主人のせいで領地に行くことになってしまい申し訳ないとおっしゃってくださったことがございます。友人知人の居ない土地ですから、不便があったらすぐに言うようにと」

「気遣ってくださったのですね」

「えぇ、良くしていただきましたわ」

「分かりました。では事件当日はどのようにお過ごしになられておられましたか?」


 自分の子供達には厳しい一面があったが、アンにとっては本当に優しい義父であった。

 思い出すように表情を柔らかくしたアンだったが、事件当日の話しを求められると一転して、緊張した面持ちを浮かべる。


「特に変わったことのない朝でしたわ。朝食を済ませたら主人が散歩をしに庭へ行くと言うので私も共に参りました。お義父様は少し暑がりでしたので邸の中は少し寒くて、外の方が丁度良いくらいでしたわ。庭はお義母様が生きていらした頃は手入れがしっかりされていたのですが、今はすっかり荒れていたので主人は文句を言っていました。けれど、私はそれも趣があって良いと思っておりましたわ」


 絵画を描くときも人工的に作ったものを見て描くよりも自然そのままのものを見て描く方がアンは心を動かされる。

 ロンドは庭の手入れをすることを引き合いに首都に戻ることをノーホスへと提案したようだったが……戻ってきたとしても自然を好むアンにあの庭を手入れする気はあまりなかった。


「そうして散歩をしているうちに昼食となりましたので邸へと戻り、昼食後に主人がお義父様とお話しがあるというので私は夕食の時間までテラスで絵を書いておりました。あぁ、そうだわ。丁度、食堂へと向かう頃にドクとデリアが外で遊んでいる姿を見ました」

「エニコディオご夫妻のご子息ですね。デリアとは?」

「お義父様が飼っている番犬です。ビーグル犬のよく吠える子で……デリアはお義父様とドク以外には懐いていないんです。番犬としては優秀な子なのですが……今日は弔問客が多いですから、可哀想ですけれど離れの小屋に繋いでおりますわ。あの日は丁度散歩から戻る頃に吠える声が聞こえましたので、そちらを見ればドクがデリアを連れて遊んでいる姿を見ました。デリアったらなにを見たのか、邸に向かって吠えておりましたわ」


 いつも見ている邸が怪物にでも見えたのかしら。

 ドクもデリアも邸を見上げて楽しげにはしゃいでいた姿を思い出し、少し可笑しそうに笑みを浮かべたアンはだがすぐに、暗く表情を落とす。


 いつも通りの一日だと思っていた。

 いつも通りシークは事業のための資金援助を、ロンドは首都へと戻る相談を、ノーホスに訴える。

 そしていつも通り、はぐらかされたまま終わり領地へと戻るのだと……そう思っていた。


 あんな事件が起きるまでは……。

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